ブログ記事114件
ラッパー、ECD氏が1月24日に亡くなりました。日本のHIPHOPの初期から活動し、さんピンCAMPなど日本語ラップの最重要事項の仕掛人としても常に引っ張りながら型にはまらず常に新しいものを模索し続けたアーティスト。個人的にはスチャダラパー、EASTEND×YURIの次に知ったラッパーで、コンピ「今夜は"ラップ"ダヨネ。」に収録された「マテリアル・ラブ」が気になり、小6の時にアルバム「ECD」と「SUMMERMADNESS」を親に買ってもらったのを覚えています。それ以前にス
ECDの全レコード第3回、1998年~2003年。アルバムでは「MeltingPot」~「MASTER」、いわゆるアル中時代から入院、復帰するまでにあたりちょうどメジャーレーベルから決別するまで。本人の状態もあり音楽的にも最も混沌としていた時代ですね。HIPHOPというものから完全に逸脱しながら、意図するかは別としてラップの可能性をグンと広げ一リスナーからしてみるとあまりに衝撃的な時期でした。※18.4.12「MISSION4+YAMATAKEMANIAREMIXPAR
成田を前日の夕方に出発し、チャンギ空港で一夜を明かし、早朝に出発。そしてようやく、ほぼオンタイムでデンパサール空港に着陸!空港の屋根を見て、バリ島についたー!と実感!!去年の夏も、今年の3月もガルーダ便でしたが、今回は、シンガポール航空便だったからか、到着したゲートがいつもと違う!大きなバリ絵画が並ぶ通路を歩いて、入国審査へ向かいました!早朝でガラガラということもあり、のんびり写真を撮りながら…笑。バロンもいました!写真とともに、今回の手続きのことを少し…。今回は、
ECDの全レコード4回目、最終回。今回は2004年~2018年。アル中から復帰して一切の酒を断ち、メジャーと決別してからの自主製作期。デモなどへの積極的参加や結婚して2人のお子さんができたり、これまでのさんピン世代を引っ張ったHIPHOP兄さんとしてではなくより個人、ECDとしての色を強めながらラップミュージックを模索した時期だと思います。ガン闘病中から亡くなるまで最後までアーティストとして生涯を貫いた軌跡、レコード媒体のリリースは少なくなったものの常に新しくあり続ける姿が輝かしいで
(2019.1.24追記「HOMESICKONTHEONE'S&TWO'S」)ECDの全レコード、途中ですがここで一つおまけ記事。アナログメディアということでカセットテープとVHSについても。と言ってもこの辺はあまり熱心に終えてる分野ではなく結構抜けがちなのでまとめて番外編ってことで。その流れでDVD、以前書いたCD-R記事の補足も。〇カセットテープ意外にもオフィシャルでリリースされたテープは特典のMIX一本のみ。ただメジャーでの活動期間があったのでアドバ
窓側ではないため、バリ島上空で、バリ島に戻って来れた〜という感動は味わえなかったけれど…飛行機を降りて、乗ってきた機材を撮りながら、空港の景色を見渡して、4年ぶりのバリ島にしみじみ。そこで。ふと、ダメだ!入国審査の長蛇の列、少しでも早く並ばないと!と思ったのでした。笑なんとなく、いつもは右側からイミグレに向かった記憶なのに、左側からだったので、到着した場所の違いかもしれませんが、イミグレまで随分スッキリした印象。歩きながら、雑に、空港内の展示を撮影。そうそう、前日になり手続きをしていた
ECDの全レコード、第二回は94年から97年です。アルバムでいうとホームシックからBIGYOUTHとたった2枚ですがCuttingEdgeからのメジャーリリースとなりレコードも最も多く切られた時期になります。この時期はちょうどラップを聴き始めたばかりの中学時代なので思い入れが強く思い出話みたいになってしまいました。今でも空で全部歌えそうなくらい聴き込んでました。それでは、お付き合いください。※18.4.12俺達に明日は無い(TestPress)追記ECD[MINI