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1987年の名古屋モーターフェスティバル。お目当てはスズキが発表したファルコラスティコに続くコンセプトバイクのNUDA。’87と言えばF1日本GPが鈴鹿で初開催された年。費用の都合で前回のように東京までモーターショーを観に行く事は断念した。当時住んでいた名古屋での開催にもNUDAが来てくれるので安心した。スズキNUDA(ヌーダ)は❝変わりバイク❞大好きなドルフィンにとって押さえておきたいバイクだった。―が、カメラのシャッターとストロボのシンクロ速度を間違えてしまい、このショーの
さて、#60さんが走っている本番で近い位置を走ることになるだろうから今のうちに偵察させてもらいましょうか🤭ちゅーことで、少し待って前に行ってもらううんうん、ふむふむ、なるほどなるほどGROMで同じくらいのタイムの人と走ったことがなかったがGSX-Rが強みを発揮出来るところは同じと言うことが分かった、あまり前か😄なので、前に出て引き離せるか試してみる#60さんが全力で走っているのか分からないが徐々に引き離せることが分かった1C2Cがかなり良くなってきた3C4Cは今一歩6
塗料O.KスプレーガンO.Kまずはプラサフ塗りふむふむ、シンナーで40%希釈ん?乗りが悪いなクッソー、垂れまくった!希釈し過ぎたか?しかし、スプレーガンなら安く上がるかと思ったが塗料が思ったより高いそんで、スプレーガンの後始末で部屋中シンナーくさい全部で35000円くらいかかっているんだよなスプレー缶を35缶買える費用対効果を考えるとスプレー缶で良かったか?😱
鈴鹿8時間耐久オートバイレース、43回の歴史の中で❝記憶に残る❞レースNo1は1985年大会だろう。終始3ワークスのバトルが展開され、劇的な幕切れとなった2019年・43回大会も素晴らしかった。しかし、インパクトという点では’85年は強大なものがあった。自分が観戦に行っていたからだろうか?引退していたWGPチャンピオンのケニーロバーツ氏が選手復帰。日本一速い男・平忠彦選手と組む。ドルフィンが2輪レースを観始めるようになった時には既に引退していたケニー氏。「走りが観られるチャ
1990年鈴鹿8時間耐久ロードレースで、平忠彦選手が8耐挑戦5回目にして悲願の優勝を遂げた。毎年「優勝候補」とされながらもトラブル等でリタイアを余儀なくされていた。皮肉なことに怪我で急遽監督として臨んだ'87年にTECH21ヤマハは優勝を遂げていた。時代はバイクブーム真っただ中。ヤマハ、ホンダがWGP500ccライダーを招集してきたので、日本では開催されていなかったWGPのライダー観たさに多くのファンが集まった。その数16万人(決勝日)。大会史上最高観客動員数を記録した。その一端を
おはようございます|・`ω・)とうとう近所のTSU○AYAにある「鬼平犯科帳」全部レンタルし終えました・・・(;∀;)終わった・・・ついに終わった・・・ですので、大滝の五郎蔵出演回をピックアップしてメモ帳に書き込みました!これから狙い撃ちで借りて見まくります!お気に入りのAVみたいに!←・・・しかし綿引勝彦さんマジ神・・・(;∀;)←コ□ナより重症さて、アホな事言っておりませんで本題。前々から目をつけておりました・・・いやhama~くんじゃないっすよ?!(そろそろ怒られそうなの