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若気の至りあるいは最近は黒歴史と言ったりもしますね。過去の未熟な自分がやらかしたことを思い出しては過去の自分を埋めたくなったりあら、しません?私だけ?埋めるまでいかなくてもわーっとかき消したくなったりしますよね。私は最近そういうのもちゃんとひとつひとつ自分をゆるしてあげる必要があるなと思って思い出すたびにゆるして手放しています。ずっと嫌なことをされた、意地悪をされたと思っていたけれど私の方も未熟でうまく伝えられていなかったなんていうのも傷ついたのに
最近違和感を感じている言葉があります。それは「努力」。私はよく「努力家だね」と言われるのですが自分ではそんなつもりもなくちょっと恥ずかしい気持ちになります。私が努力と聞いてイメージするのは毎日フルートを練習するとか毎日勉強するとか絶え間なく取り組むことです。私はといえばすきあらばサボるし飽きっぽいしすぐ忘れるし…ではそんな私がやっていることは何だろうと考えてみました。「工夫」はしていると思います。例えば1人では絶対続かないなと思ったら一緒にやる人を探して声
「自分探し」なんて言葉が使われるようになってどれくらい経つでしょうか。正直なところ、私は幼い頃から「私」がはっきりしていて私を否定する人たちとの戦いを長らくしていたような気がします。「私」を見失ってしまう人は否定を受け入れて相手が望む姿を演じることに慣れてしまったのだと思います。「私」を生きるために戦う人と「私」を見失う人は実は裏表です。どちらも、自分で「私」を認めても受け入れてもいないのです。長所も短所もあって私。どこかに理想の私がいるかもしれないは幻想です(