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マーキー(本名:中村麻紀[なかむらまき]/旧姓:翁長[おなが]/1987年8月23日~)は、日本のミュージシャン。1987年8月23日、翁長麻紀が生まれる。沖縄県浦添市出身。翁長麻紀はバンド加入前、女優を目指しカナダへの留学を決めていた。2003年、翁長麻紀ことマーキーを除く5人は、沖縄で「アンチノブナガ」(Anti-Nobunaga)という名前のヘヴィメタルバンドとして活動。同年、マーキーは事務所でアンチノブナガのメンバーたちと出会い、バンド活動への道を選んだ。バンド
元プロレスラーでボディービルダーの北村克哉君が急逝した。ただただ驚きでしかなく、頭がパニックだ。ある方からのご紹介を受けて、3年前からお付き合いさせていただいた。北村克哉君と会って直ぐに感じたこと。とにかく純粋でストレート。真面目でストイックで筋トレの話以外は全く話に乗ってこない。だが筋トレの話になると、爆弾トーク。止まらないほど話し続ける。そのくらい、筋肉、トレーニングに人生をかけて、それ以外には興味ないようだった。今まで見たことのない一眼見て"非日常"の外観は
2006年人気絶頂だったPRIDEと暴力団の関係が明らかになりフジテレビはPRIDEを放送中止にして撤退した地上波を失ったPRIDEはあっというまに収益が悪化翌年に完全消滅した全盛期で人気抜群だったPRIDEでさえテレビ放送が無くなると終わり格闘技団体はテレビ放送が命綱一方フジテレビもPRIDEというキラーコンテンツを失う事となり痛手を負ったその当時PRIDEを主宰していたのが榊原なのだが
くっそ〜またかこのカスライジンCEO榊原信行凝りもせずまた反社稲○会音声データ有り口止め料500万支払済みおい榊原よなんであの時森下さんが死ななあかんかったんや?DSE森下直人社長42歳2003年1月9日死亡アントニオ猪木さんが間髪入れずに「自殺じゃない、殺されたんだろ」と言うたおい榊原よこれは何や?何で猪木さんはそんなこと言うたんや?お前は絶対に知っとるわなそしてお前はPRIDEをUFCに売却したダナ・ホワイトは金額を明らかにしてへんけど1
奇跡の一枚にはならないのよ惜しい自由すぎるwみんなアゲみたいw3月20日生まれミニチュアピンシャー子犬オーナー様募集中です☆ミニピンらしく元気満タンな子犬達です。詳細は、お気軽にお問い合わせ下さい♪お問い合わせはこちらからDogDesignPRIDE|LINEOfficialAccountDogDesignPRIDE'sLINEofficialaccountprofilepage.Addthemasafriendforthelates
バンクーバーからこんにちは!真美瑛です。6月がPrideMonthとされていて、学校やパブリックスペース、あちこちでレインボーフラッグやPrideMonthのポスターが飾られます。沢山の”LOVE”の文字を見かけて嬉しくなります❤️バンクーバーは2年ぶりに7月末にPrideParadeが帰ってきましたー❣️❣️❣️そして、隣町のNewWestminsterでは8月に大規模なEvent“NewWestPride”が開催されました🎉🌈多国籍民族、移民大国のカナダ、特にダイバー
毎日毎日飽きもせず戦ったり走ったり戦ったりw元気で何よりです母のHPが削られてますがねーウィペットと暮らしてるとモフもウィペット化するんだよ環境って大事w大人になったら時速60キロで走るのかなぁ?みんなかっこよく育ってるねTikTokで動画配信中フォローしてねん❤️TikTok-MakeYourDaywww.tiktok.com明日から東京ビッグサイトで日本最大のドッグショーが始まります♡参加される皆さん頑張ってくださいねー(*´꒳`*)来年はジンジン
どうもずっとPRIDEが脳内ループわたしです毎日、ブログを書いていますわたしがブログに思いを綴り始めて半年とちょっとが経ちますなんとこれが300本目!!たくさん、たくさん父さんへの想いを綴ってきましたまたまたサクッと読み返してみたよやっぱり父さんへの愛でいーっぱい♡大好きが溢れてるもう、大好きで溺れそう(笑)父さんこれは父さんへの300通目のラブレターですよそっちはどうかな?先に逝ってしまった逢いたい人達には逢えましたか?わたしはと言うとちっとも夢に
2004年8月15日、さいたまスーパーアリーナで開催されたPRIDEグランプリ決勝戦。準決勝でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとセルゲイ・ハリトーノフが対戦。ノゲイラが3-0の判定で勝利し、決勝進出。注目の大一番は、小川直也VSエメリヤーエンコ・ヒョードルの準決勝だ。ヒョードルは、涼しい顔で冷静沈着。小川は、人類最強・氷の皇帝の牙城を崩せるのか。ゴング前、ヒョードルが両拳を前に出すが、小川は握手を拒否。異常な大歓声に放送席も驚く。ゴングが鳴った。ヒョ
2006年5月5日、大阪ドームで開催されたPRIDE無差別級グランプリ開幕戦。藤田和之がPRIDEのリングに久々の登場。対戦相手はジェームス・トンプソン。トンプソンは暴走ダンプカーのごとくゴングと同時に突進し、猛然とパンチ攻撃で相手を撃破してしまう強豪ファイターだ。相手にとって不足なし。ゴングが鳴ったが、トンプソンは突進しない。藤田は侮れない相手と認めているようだ。藤田が何度も低空の高速タックルをするが、トンプソンは全て切る。研究してきたか。トンプソンが
下腹部ポッコリさんにオススメカットソー!
11月23日の祝日に出た特食はヤマザキパンの「ミルクブッセ」。2口くらいで食べ終わるやつね(笑)。何か最近このようなものばかりだな…。「ココナッツサブレ」や「キャラメルコーン」、ちゃんとした菓子パンなどが出ていた頃が懐かしいぜ(遠い目)。一体どうしちまったんだ、横浜刑務所よ…あの頃を忘れちまったとは言わせねぇぜ(笑)。その日放送された映画は「TELLME~hideが見た景色」。そう、あのXJAPANのメンバーだった
嘘は無い様に。(keiichitatsumi)確固たるPRIDEなんて捨て去って素直に生きるのが、1番なのかもね。
《本日のDVD観賞》かつて「60億分の1」「TheLastEmperor」「人類最強の男」と呼ばれ、多くの格闘技ファンが認めていたエメリヤーエンコ・ヒョードル。そしてUFCに上がらなかった最強のファーターであり、UFC社長である「デイナ・ホワイトを最も繰り返し空振りさせた男」と呼ばれた。1番UFCに参戦する可能性があったタイミングは、PRIDEが崩壊してUFCが買収した2007年9月にデイナ・ホワイト社長も『ヒョードルがUFC以外の団体で戦うことになるなら、こんなにクレイ
競馬伝説PRIDEピックアップガチャと、リリース記念ガチャ・・・確率に賭ける?それとも、確実にこなす?
《本日のDVD観賞》4月13日のUFC300で、元RIZINライトヘビー級王者のイリー・プロハースカがアレック・ペレイラにUFC初黒星を喫して以来の再起戦でアレクサンドル・ラキッチに2RでTKO勝ちした。RIZINライトヘビー級王座を返上し、2020年7月からUFCに参戦して3連勝で一気にUFCライトヘビー級王座を獲得。しかし、怪我で王座返上~2023年11月に復帰も、アレックス・ペレイラとのUFCライトヘビー級王者決定戦でKO敗けからの復帰戦だった。RIZINとUFCの両王座を獲得した
《本日のDVD観賞》昨年末にBellator日本大会で『引退ツアー』日本最終試合をした‘皇帝‘エメリヤーエンコ・ヒョードル。相変わらずの剛腕振りを魅せていたが、43歳になり2007年までの日本での寒気がするほどの強さからは当然のように衰えていた。PRIDE終焉後はコンバットサンボのロシア大会で優勝したり、AfflictionでWAMMA王座を獲得する。UFCなどのメジャー団体とはそりが合わず、青木真也選手やゲガール・ムサシとのジャケットマッチなどををする~ロシアでもかなりの名士らしく
2005年大晦日に開催された「PRIDE男祭り-頂-」のメインは、小川直也VS吉田秀彦。小川が入場する時、橋本真也の「爆勝宣言」が流れ、プロレスファンは歓喜乱舞し、泣いているファンもいた。白いハチマキをした小川が堂々と入場する。吉田は柔道着姿で入場。しかし、コールされる時、吉田がPRIDEで初めて柔道着を脱いだ。さすがに小川相手に柔道着で闘うのは危険過ぎる。賢明な判断だ。小川は193センチ、110キロ。吉田は180センチ、107.5キロ。柔道の現役時代はかなり
《本日のDVD観賞》やはり、クイントン”ランペイジ”ジャクソンはUFCを出て行ってしまうのでしょうか!?UFCとマッチメイク等で揉めていますが、映画出演などもしてモチベーションが上がらないのかな。PRIDEでは、無理矢理にホームレス・キャラにされていたのが懐かしい程に稼いだでしょうから。豪快な力技&確かなボクシング技術もあり、大好きな格闘家なのでまだまだ活躍してほしいです。2002年4月28日PRIDE20クイントン・ランペイジ・ジャクソンvs佐竹雅昭1R、タックルと
TaylorSwift-YouNeedToCalmDownの歌詞和訳です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーテイラースウィフトが6月14日に、ニューシングル「YouNeedtoCalmDown」の音源を公開しました。これは、PrideMonthに合わせて公開されたもので、テイラー自身のLGBTQコミュニティーを支援したい、という思いが込められた曲です。テイラーファンでゲイ男子高生でもある私
あの谷津嘉章がPRIDEに参戦すると聞いたアントニオ猪木は、笑顔で語った。「谷津は面白いよ。だって強いもん」しかし相手が悪かった。PRIDEの番人、剛腕ゲーリー・グッドリッジだ。結局谷津はグッドリッジに2連敗することになるが、あのハードパンチャーに何度顎を殴られても倒れない谷津は、さすがプロレスラーだ。小原道由も果敢に挑んだが、ヘンゾ・グレイシーに判定で敗れた。日本のヒーロー桜庭和志も、強豪のヴァンダレイ・シウバに敗北。試合中に左肩を負傷する不運に遭い
以前の記事で打撃系格闘技の必殺技として、グラウベ・フェイトーザの『ブラジリアン・キック(1990年代半ば)』とヴァレリー・ディミトロフの『ヴァレリーキック(2000年代前半)』を紹介し、ブラジリアン・キックの衝撃(1990年代半ばの必殺技)ハンスナイマンの『ナイマン蹴り(1990年代前半)』を紹介した。追憶のナイマン蹴り(1990年代前半の必殺技)その後、子安慎悟の『子安キック(2000年代前半)』を紹介した。上下反転の子安キック(2000年代前半