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さて、結果を1か月後に先延ばしされ、おとなしく待っていたわたしに、1か月後を待たずして、市立八幡病院から電話がありました。スマホ画面に表示された病院名を見た瞬間、よくないことが起こったなと予感するわたし。電話に出ると、相手はドクターではなく、たぶん外来クラークさんか事務さんかな。「〇日の予約ですが、それより早くこれませんか。そしてできれば一人ではなく家族と一緒にきてください」と。「それって、結果が良くなかったってことなんですね」「はっきり申し上げればそうです。今後は大学病院に行っていただき
はじめは、小さな突起でした。左脚の内くるぶしから5~6センチ上がったあたりにできた、虫刺されの跡のような突起。痛くもなんともないので数年放置していました。時々赤くなったり、なにかにぶつけたりしましたが、これくらい誰にでもある傷だと思いますしね。(当初の写真がないので画像はネットの借りものですが、ちょうどこんな感じでした)ここ1年くらい、ちょっと大きくなった気がしてきて、ストッキングの上からでも少し目立つ気がする。菜々緒ほどの美脚で仕事しているわけじゃないけど、やっぱり気になるので切ろうかな
診てくれたのは美人の皮膚科部長先生。「良性の皮膚腫だろうけど放置して自然に治ることはないので、気になるなら切りましょう」とのこと。この時点での腫瘍は写真のとおり。最初に比べたら少し大きく、また赤くなっていました。一応、手術になるのでできれば自分で運転せずに家族についてきてもらって、と言われ、娘に同伴をお願いしました。ちょこっと切るだけとはいえ、手術なので、外来の処置室ではなく手術室で行います。ちゃんと(というのも変だけど)医師が2名、オペ看さんが2名いたかな。「mappyさんのなんとかかん
【隆起性皮膚繊維肉腫(DFSP)】隆起性皮膚繊維肉腫、という病名を聞いたことある方は、少ないと思います。DFSPという略名で呼ばれることもある、皮膚がんの一種です。かなり珍しい病気らしく、100万人に5人程度とか。なぜわたしがそんな病気になったのか、それはわかりません。でもなってしまった。ネットで情報を探しても、体験談をほとんど見つけられなかったので、それならわたしの体験も誰かの役に立つんじゃないかと思い、ブログを立ち上げました。治療は現在進行形ですが、今までの経過を少しずつア
さて、父の葬儀の直後に慌ただしく入院したのは、産業医科大学病院。ここはちょうど10年前に乳がんの切除術を受けた病院です。今回は皮膚科病棟ですけど。室温の調整ができなくて常夏なのは10年前と変わっていない。幸い初日から希望した個室に入れたので、だらしない恰好で過ごしました。前回と違うのは、コロナ禍による面会禁止。なんと、手術時の家族の待機もなし。電話さえつながればいいとのことで、夫は単身赴任先から帰ってくる必要もなく、そこは楽でした。でも入院が長くなると、洗濯物とか差し入れとか面会とかないのは
【退院】入院は、わずか4日間。火曜日に手術で木曜日には退院。最初の説明では、入院は10日間程度とのことだった。あまり仕事を休めない事情を話すと、「では4日間で」とあっさり告げられる。え、そんなに短くていいの!?そりゃ、短くしてってこっちが頼んだんだけど、10日が4日って、半分以下にしても大丈夫なもんなの!?と不安になるわたし。でも、仕事をあまり長期に休まずにすむならそのほうがいいかと、そのときは思った。実はこの短さが、あとあと辛い日々を招く。手術後のわたしの左脚は、医師の説明によると、切
DFSPという皮膚がんである宣告を受け、治療法はないので広汎切除しか方法はないとの説明をうけたわたし。翌日、職場の上司に状況を報告。切除と、皮膚移植の2回入院が必要なことを説明し、業務の調整に入りました。ここで、わたしの仕事のことをちょっと話します。訪問看護ステーションの事務員として10年以上働いていて、事務員は2名。その2名で約100人の患者さんと20人以上の従業員のすべての事務業務をしています。医療事務、総務、人事労務、経理、広報などなど。わたしの相方さんは入職1年目の新人。まだ教
さて。翌日目が覚めると、それはもう手術の日。朝早くから点滴をつながれます。手術は今日の2番目ですって。11時。手術の時間が迫り、手術着に着替えて手術室へ歩いていく。普段ならここで家族に会って「がんばってね」と手のひとつも握るんだろうが、コロナのせいで面会禁止。そんな感動的な場面もなく、粛々と手術室の自動ドアの中へ進む。手術室のベッドは狭い。そして暖かい(うれしい)。そのあとのことは覚えてない。今回のわたしは、「下半身麻酔+眠る」という麻酔だったらしい。寝てしまうので違いはわからないけ
ここから更なる地獄の日々。穴に詰めていたお団子ガーゼがなくなって空洞になった脚は、ますます弱くなり、もはや歩ける状態ではない。それを無理やり歩くので、痛いなんてもんではない。杖を握りしめる右手にも負担がのしかかり、手首が痛い。ていうか体中、どこもかしこも筋肉痛で、ちょっと歩くだけでも息が上がる。そしてこんなにつらくてきついのに、全然痩せないのもすごく理不尽に思う。たまりかねて、松葉杖を導入する。父が生前お世話になったケアマネさんに連絡してみたところ、すぐに福祉用具の業者を手配してくれた。松
セルクルφ60×H30mm丸セルクル型ステンレス丸型セルクルリング楽天市場154円70×高40mm丸セルクル型はぜ折り|ステンレス7cm7センチ空焼き不要楽天市場242円退院から4日後の月曜日、職場復帰しました。デスクワークだからなんとかなると思ったんですよ。そりゃわたしだって休めるもんならゆっくり休みたいけど、事務員二人しかいないし、年末に向けて忙しいし。体はきつくても出勤したほうが気は楽ってこともあると思ったんですよ。上半身で仕事す
そうして1週間、10日とすぎるうちに、少しずつ楽になってきました。肉がだんだん上がってきて穴が浅くなったし、松葉杖の使い方も慣れてきた。痛み止めを飲まずに過ごせる日も出てきた。時々同僚ナースさんに傷の写真を見てもらって、「大丈夫、きれいに洗えてるよ」とお墨付きをいただく。そのころ、自分の脚の変化に気づいた。患側の膝から上が細くなった。使わないから筋肉がおちたんでしょうね。で、膝から下はパンパンにむくんで太くなっている。健側はどうかというと、前より太くなったかどうかはわからないけど、筋肉痛
【傷の洗い方】脛にぼっこりほげた傷を毎日洗う。この洗い方は、怪我した時にも役立つので詳報します。褥瘡処置が得意なナースさんが教えてくれた。(1)まず手をきれいに洗う(2)傷を保護しているガーゼをそーっとはがし、変な色がついてないか、変な匂いがしないか確認する(3)石鹸をモコモコに泡立てて、傷に泡をそーっと乗せる。傷の隅々に泡が行き届くように、優しく優しく泡を押したりなでたりする。(4)ぬるま湯のシャワーをそーっとかけて泡を洗い流す。(5)傷の水分をふき取り、ガーゼで保護して終わりい
父の介護については、いずれどこかで詳しく書く機会があればと思います。とにかく、入退院を繰り返しながらもなんとか在宅で介護していた父が、亡くなりました。状態が悪くなって入所し、なんとか一時外泊ができればと願っていたところでしたが、施設からの連絡で駆け付けたときにはもう、ほとんど残された時間はありませんでした。わたしの入院中に万一のことがあって最期に逢えない、葬儀に出られないということがなにより怖かったのですが、こればっかりは予定がたてられるものでもなく。娘の入院などどても理解できる状
EXOの話ではありません私事です5~6年前から右足の親指に3cmのぷっくり膨らんだ紫色の腫瘍がありまして(最後に記録として画像貼ってます苦手な方は下まで見ないでね)整形外科とか大きな病院で視て貰った事があるのですが、湿布を貰って終了だったのですねある日町の診療所に行く機会がありましてその腫瘍が痛くて靴が履けない話をしましたらその日に注射器で腫瘍の脂肪を取ってくれると言って下さったので腫瘍の回りを少し取ったのですが取れたのが脂肪ではなく黒紫色の血液では無い謎の液だったの
さて、無事にお腹の皮が内すねに張り付いたはずのわたしですが、当時の患部の写真を見ると、けっこうエグい。自分の傷でも、あまり見たいものじゃないですね・・・この入院は、とにかくベッド上安静との指示でした。皮膚が定着するまえに動くと、うまくくっつかないのだそうです。くっつかないのは大変なので、時間つぶしの本もたくさん持ち込みました。(ただ、退院して復職してしまえば、そんな安静指示なぞふっとんでしまったのですが)入院中に読んだ本の1冊です。高倉健さんの映画「あなたへ」のノベライズ本。最