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昭和のバブル期に流行して、今はすっかり忘れられてしまった、ボディコンについてお話ししましょう。当時、ダイコンをデーコンとしか発音できない、東京下町、埼玉、栃木、茨城、千葉のあんちゃんや親父が、ボデコンと云っていたアレですよ。ボデコンでは、ありません。ボディ・コンシャス(body-conscious)を略してボディコンです。直訳では、「身体を意識している」ですが、実際には「身体の線を強調した」という意味で使われました。バブル期には、ボディコンを着てボディライン
デザイナー・前田誠氏が最初のデザイナーだった、「BARREAUX」ブランドについての続き。1982年頃~1984年頃が前田さんの関わった時期と思われます。当時の特徴としては、色彩の美しいカジュアルと、英国調の確かな仕立てのテーラード。「BERGMAN」のスーツでも見られた、「ノッチドラペルのダブル」のコートがありました。「INCENSE」の物に近い、ブラウンのヘリンボーンの、細身のシングル3ボタンスーツも記憶にあります。創成期の「GALAMOND」に通じる、やや固めですが高い技
【バブルファッション!】昭和60年以降に青春真っ盛りを過ごした世代の皆さん、いかがお過ごしでしょうか?黒髪ワンレン、ソバージュ、太眉、ボディコン、トサカ前髪、バブル、ディスコ、W浅野…今の美的感覚から当時のメイクや髪型をあらためて見るとちょっと痛い感じもしますね。今や懐かしいあの時代のファッションや流行モノについて、皆さんも語ることが沢山あるでしょうね?ご一読ありがとうございました!←励ましのclickを是非お願い致します!m(..)m
平成に流行したファッションといえば?みんなの回答を見るキャンペーン詳細またまたブログネタ☆平成って、初期にバブル中期と消滅期を含んでいて、その後は「失われた」時代と言われるように、デフレ時代に突入してしまうわけだよね☆だからバブル消滅期までは、男性ファッションは、まだDCブランドやビームス、ユナイテッド・アローズ、または海外ブランドのアルマーニ、ポール・スミス、アニエスbなどの時代という印象が強かったんだけど、バブルが崩壊して、デフレ時代が続くほどに、だんだんブランドの時代では
ここ数年ファッションはゆったり目がトレンド、自分の中で、自分が若かった80年代に流行ったちょっとダボダボのスーツへのノスタルジックな感情が芽生えていました。(50代の男性は共感いただけるのでは?)その後スーツはブリティッシュスタイルなど身体にピッタリフィットしたものが正統とされ、ダボダボスーツはバブル時代に流行った邪道のような扱いを受けていました。でも、サイズ感というのは時代によって変遷するもので、何が正しくて何が間違いという事はないと思います。現に50年代の映画「ローマの休日」でグレゴリーペ
ありのまま輝くあなたへ自己紹介はこちらをどうぞこんにちはパーソナルスタイリスト森川恵子です新元号令和に決まりましたね昨日人生初の号外をもらいに行こう!と思い立って出掛けた私です向かったのは新橋SL広場結果間に合わずもらえませんでしたでもね間に合っていてももらえなかったと思いますそれどころか怪我していたかもそう思うのはこのとき私反対方向へ向かう電車に乗り間違えたり乗り換える駅を乗り過ごしたり行き慣れている新橋なのに普段ならあり得ないことが起こった
…良いのかこんなタイトルで。「BARREAUX」と言うのは「BIGI」から独立したデザイナー・前田誠氏が「BERGMAN」を設立、その後「BERGMAN」を離脱して後にデザインを担当したブランドです。「ニコル」系のレディースブランド「スクープ」から派生したメンズブランド「スクープマン」の、恐らくは上級ブランドとして企画されたものと思われます。設立年が曖昧ですが、1981年頃は「BERGMAN」だったと思いますし、1985年頃が「GALAMOND」の創成期だと思いますので、前田さんの