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見てしまった😱子宮頸がん5年生存率ステージⅢ50%よく意味がわからないけど😱どういうデータなんだ…半分はⅣになり末期になり…って半分😱明日は我が身藁をも掴む思いで治療がんばります(ง•̀_•́)ง
2022年12月5年前の今頃、足が痛い、お腹が痛い、胸が痛いなど、原因不明の不調が1ヶ月続き、何度も何度も病院をまわり、便秘、股関節炎と診断されるも、良くならず、レントゲンを撮っても異常なく、ある日、身に覚えのない、たんこぶのようなものがおでこにできているのを見つけました。そのたんこぶのようなものは日に日に大きくなっている気がしてきて、初めて、脳外科を受診しました。そこの医師から、『こどもはじっと出来ないからCT検査は大変ですよ…』と言われるも、『この子はじっと出来るので大
私がイメージする抗がん剤の副作用は、髪の毛が抜けることはもちろんだけど、吐き気、食欲不振、痩せていく。他にもいろいろあるけど、ダンナの副作用にはビックリよ。検査の画像と数字の結果だけで「すい臓がんステージ4」と言われたダンナ。当然、いまだすい臓がんの自覚症状は全くない。今まで健康だと思って過ごしていた人が、急に抗がん剤を投薬されるわけよ。もちろん、この治療はダンナが自分で選んだこと。初回のフォルフィリノックス(FOLFIRINOX)療法の二日目から副作用が始まった。
夫が亡くなったことを伝えるとき、私はほとんどの人に、肺の病気で……と言ってきました。おそらく大半の方は、肺がんを患っていたと思われたことでしょう。夫は2012年の秋、肺アスペルギルス症と診断されました。(他界する約10年前のことです。)このブログは闘病ブログのつもりでもなく、夫が亡くなっている今、今さらながら病気の詳細について綴ることはやめようと思います。なので、簡単に……肺アスペルギルス症は、アスペルギルスというカビによる肺の感染症で、5年生存率は約50%と言われる、予後不良な病
いよいよ化学療法第二回目の日だ。いつもより早く起き、軽くストレッチをし無調整豆乳をかけたシリアルとリンゴで朝食を終え、シャワーを浴びていざ出発。前回同様に、道中はスマホのカーナビで最短ルートを進む。まだこの山道と急カーブ続きの道は2回目なので慣れないが、道中に信号が少ない為やはり早く着く。採血と今回は検尿もある。さっさと両方を済ませ、外来の長椅子で待つ。看護士さんが検温に来る。数日前から、CVポートの手術をした首元に痛みと腫れがある事。右腕だけ変色と腫れがある事を伝える。すぐにもう
主治医から「CVポート」の説明を受けた。毎回腕の血管から抗がん剤を入れなくて済むし、ダンナの負担も苦痛も軽減されるからと。ポートを鎖骨の下辺りに、埋め込むってどーいうこと?入院して抗がん剤をするではなく、近いうちに通院でも可能ですから、ポートから針を抜く練習もしましょう、ってどーいうこと?最後まで話を聞き、後日CVポートの埋め込みのため、ちょいと手術をすることに。ダンナにとって少しでも不安が減ってくれるなら、ありがたいことだし。点滴の最中、両手が使えるって便利だしね。ま
ときどき夫婦喧嘩をする。けっこう激し目にしますよーほぼ、ダンナがやらかすことに原因あるやつ。私がなんでこんな嫌な思いをしなきゃならないのか、その説明をダンナに理解してもらうところまで、まずまず辿り着けない。察しが悪すぎて、話が進まない。まともな話が通用するようなヤツじゃない。これまでも、心の中で、お前なんて死んじまえ!って何回叫んだか。こんなこと思っていたから、神様はダンナをすい臓がんにしたんかなーだとしたら、私のせいだ。。。私が話していると、すぐオチのない自分
2021年12月頃のことを書いています肺がんの手術を受け、無事に自宅療養をしていた私。家族と離れて生活するのも、あと3日となり。この頃には、手術した方の腕を上に上げることもできるようになって両手を上げて洗濯物を干したり、両手で髪の毛を洗うこともできるようになっていました。そして今日は、退院後2回目の通院。前回、肺に水が溜まってしまってゼイゼイハアハア言いながらの駅までの道が、軽々と歩けるようになっていて、とても嬉しかったのを覚えています。肺のX線画像を見た担当の先生
【初発乳がん多発性骨転移発症しステージ4を宣告されました。異変に気づいてからの葛藤や苦悩や治療についてを綴っていきます】ーこちらは振り返り投稿になりますー私と2人っきりの時高校生の次男が私の病気のことで号泣してくれた😭これまでずっと我慢していたのだろう『医療は進化しているから少しでも長く生きていれば良い薬や良い治療法も出てくるからとにかく生きて』嗚咽しながらそう言ってくれた落ち込んでばかりだったけど何とか生きないといけない自分だけの為には頑張れないけど家族の為にもまだ学生の息子の
私の病気治療を心配してweb検索しまくる娘に「これだけネットで情報共有出来てる時代なんだからさぁ。治療するなら自宅近くの今の総合病院が良いよ」「とりあえず🅱️先生と合うかどうか見極めてから考えようよ」「私、福岡の会社辞めて家に戻る」「だってお母さんスキルス胃がんなんだよ」「もう離れて暮らすなんて出来ない、スキルス胃がんなんだもん」スキルス胃がんは5年生存率16%腹膜播種は14ヶ月後には半数が亡くなるという予後が悪すぎる病気「仕事辞めるのはもったいないよ。お母さん
2/25退院後初の通院手術の結果を聞く日リンパに転移していることは、入院中の回診で既に聞いていたけど、リンパ転移の範囲とか、がんのステージとか、いろいろわかる日築地駅を降りて、築地本願寺で遠くから(門のところから)お参りして、病院へ。採血を終わらせ、いよいよその時が来る(先生):リンパは20個取って、転移していたのは4個でした(私):はい。(もっと悪いと思ってたから、よかったー):ステージは3bとなります。4に
こんにちは、さくらです🌸昨日は私のお誕生日でした旦那さんが仕事の帰りにお花とケーキを買ってきてくれました夕飯後には、旦那さんと高校生の息子くんが.*♥HappyBirthday♥*.の歌を歌ってくれました2年前に癌が発覚して、今日まで色々あったけど、結構あっという間だった気がしますちゃんと今年も歳を重ねる事が出来たし、5年生存率にもちょっと希望が見えてきましたこれからも諦めず頑張りすぎず、とにかく楽しんで日々を過ごしていきます
2017.3.10午前セカンドオピニオンとして、県内の大きい病院へ行くため妻と一緒に自家用車で高速を走る。道を間違え、高速を出てUターンして、また高速にのったりと、車内の雰囲気は暗く、無言で運転する。朝から暗い!病院に到着。予約の時間には、間に合うが、30分ぐらい待たされ、ようやく個室にて、病状の説明がはじまる。50才前後の落ち着いた男性医師が、淡々と、骨髄異形成症候群、いわゆるMDSであることを説明。生存率(余命)は、2~3年造血幹細胞移植という治療が必要。
先日、映画「ターミネーター」などでお馴染みの俳優、シュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネッガーが自身の身体にペースメーカーを埋め込んだことを公表し、自身の代表作/代名詞に準えて「もうちょっとだけ機械になった」と発言していたのが記憶に新しい。僕も今日からサイボーグの仲間入りか、それとも改造人間になれるのか!手術と術後への不安を少しでも紛らわす為に、朝からそんな事ばかり考えていた。午前8時45分、いよいよ手術の時だ。朝食後、歯磨きや洗顔、軽い清拭を済ませ手術着に着替える。看護師の案内で徒歩
最初にトリプルネガティブと言われた時はすごく怖くてショックでしたが、これまで色々自分なりに調べた結果そこまで怖くはないのかなと。ネットで調べるとトリネガ=再発確定みたいな印象を受けますが、今や乳がん全体の2割ほどだろうと言われるトリネガのほとんどが再発するなら、全体の生存率も相当下がりますし、医療現場も大変な事になっているはずですただ、トリネガの中には早い段階で再発転移して、あっという間に…という厳しいケースもあるようです。私も何人かの方の経緯をブログやSNSで見守っていましたが、辛い結
こちらも→すい臓がんの夫をもつ妻第一話2019年9月13日ダンナと二人で主治医からの説明があった、その日の夜、東京から息子が急遽有給を取って帰ってきてくれた。ホントは一緒に主治医の話を聞いて欲しかったけど、仕事だし仕方ない。先生から聞いたことを伝えて、この先の私の不安も伝えた。このエレベーターのない4階暮らしを早急に考えないとな。どれくらいで死んじゃうんだろ。お金は?不安のあまり、私はとりあえずビール飲む。近くに住む私の母親にも伝えなきゃ。心配してたしな。ダ
本日、無事に1歳レベルアップしXにも風船が飛んできました!肺がんの5年生存率は、50%。先月で肺がんになってから丸5年経ち、6年目に突入しました。と言う事は、生存率49%以下になりこれから、どんどん減る一方。毎日をハッピーに過ごします!多くの友人、フォロワーさんからお祝いの言葉を頂きました。ありがたい事です。感謝致します。矢沢永ちゃんからもメッセージを頂きました!肺がん歴のおさらい。↓2019年3月左大腿骨骨折で緊急入院左大腿骨に髄内釘(ずいないてい)挿入手術し
ステージⅢとわかったことについては、前述した通り、ショックが大きく、死んでしまうかもしれないと思いました。調べてみると、色々なネット記事、書籍などにより、書いていることは、まちまちですが、5年生存率は70%、10年生存率は60%ぐらいになります。もっと低い値を示すものもありますが、わたしが一番信用できると思った記事は、上記の値になります。この数値を高いと思う人、低いと思う人、様々でしょうが、わたしは低いと感じています。それに、わたしが一番知りたいことって、『何人中何人がステージⅢという状
大腸がん横行結腸切除手術をし退院後の初診察病理検査の結果発表です「元気ですか?」「とても元気です」「退院していいとは言ったものの」と話し始め心配されていたようで先生の受け持った患者の中で術後最速の退院だったそうですお腹に貼ったテープ家で剥がすのが怖くそのままにしてたら先生躊躇なく剥がされました丁寧に順序立てて説明と提案をして頂き抗がん剤治療をする事に決めました疑問質問に一つ一つ丁寧に答えて下さるそれもこういう理由でこうだこういうケースもあるこの場合はこうだと
皆さんこんにちは昨日のことを3点程。①抗ガン剤TS-1使用についてIPMN由来微小浸潤がん5年生存率と言う資料が、がん研有明病院のHPに記載がありました。微小浸潤がんで、5年生存率が82%となりますとTS-1の予防的使用は悩ましくなります決定はイッチーがするのですが更にASKDOCTORSでも確認しました。概ねTS-1の使用を必須ではないが推奨するとの回答がありました服用しなくていいならその方がいいです②朝10時頃回診でY先生がみえました。それでは胆管のドレナージ
こちらも→すい臓がんの夫をもつ妻第一話すい臓がんの告知をされ、そのまま1回目の抗がん剤治療(フォルフィリノックス(FOLFIRINOX)療法)をする前に、病院から自宅へ一時外泊することにしたダンナ。私は、前夜に帰ってきた息子と一緒にダンナを迎えに行った。まさか東京から息子が来ているなんて知らないダンナは、驚いていた。→前回の話はこちらです。すい臓がんの告知を受けてから2日後の土曜日。久しぶりに家族4人でドライブへ。元気なうちに、家族でこうして出掛けられる機会
滋賀県にある草津総合病院に、『腹膜播種センター』があります。母が、がんになってから、気になっていました…。妹に話をした時、妹も知っていました。しかし、妹は、反対していて、そのまま時が流れていました…。でも、やはり気になり、相談なしに、とりあえず、予約を取りました。大腸がん腹膜播種大腸がん患者の10%程度に見られるようで、抗がん剤による通常の治療法での5年生存率は、10%以下とされているそうです。私は、
悪性腹膜中皮腫と診断されました。希少ガンと呼ばれるもので、5年生存率が10%未満だそうです。診断されたのは今月28日。抗がん剤治療第一回目は来月11日。診断と症状について医者に聞き、自分でも調べたりしてかなり気落ちしてしまい3日経った今日、ブログを開設して日記の様なものを付けていこうかなと思い当たりました。北海道在住の33歳男性。ご年配の方やアスベストを吸い込んだ事でなる病気と言われていますが、考え得る限りアスベストとは無縁の生活・仕事だったので何故発症したかは不明。今は思い付きで
残念ながら悪性でした。右乳癌、大きさは1.8センチステージ1エストロゲン100%プロゲステロン95%細胞増殖Ki6723.1%HER2陰性サブタイプはルミナールA又はルミナールBKi67値が少し高いのでAかBか微妙なところですと…全て初めて聞く言葉でいいのか悪いのかよくわからなくて…ただステージ1の5年生存率が99%というのを聞いて、すぐに死ぬことは無いんだなと少しホッと…手術と補助療法すればきっ大丈夫…告知されて落ち込むかと思いきや、新しい扉🚪が自分の前にあって、扉が
手術が終わり、目に見える癌は全て取りきれたとのことでした。手術から3ヶ月経ちますが、主治医の先生から伝えられ、現在までで判っているのは以下の通りです。⑴癌のリンパ転移についてリンパ節への転移については、近接の範囲に留まっていた。しかし、転移の個数自体は10個を越えていた。⑵癌の顔つきについて正直顔つきは良くなかった。低分化迄とはいかないが、中分化腺癌であった。⑶KRAS遺伝子について野生型ではなく変異型であった。その為、抗がん剤のうち、抗EFGR薬は使えない。⑷MSEについてマ
「ガンです」と言われてから、もうすぐ丸4年になります本当は明後日なのですが、明後日は抗がん剤の日で、体調がどうなるかわからないので、今日のうちに御祝しときますあと1年頑張れば、5年生存ですよー拾ってきた文ですが…もう少しで↑この33.4%に入れるんですなんか頑張れそうな気がします手術すれば治ると思っていたのに、肝臓に転移ある大腸がんステージⅣで「もう死ぬんだ」とどん底に突き落とされましたが、色々乗り越え4年も生きられたのです今現在も肺に数カ所&腹膜播腫でガンがある状態ではあります
お盆休みで、検査、治療が進まず、1週間以上、悶々とした気持ちで自宅で過ごす。滅入っているせいか、じっとしていても胸と背中に痛みを感じるようになった。風邪でもないのに鼻水が出て、鼻をかむ。声に力が入らず、時々かすれるようになった。じっとしていられなくなって、気晴らしに外に出てみるが、気が晴れることもなく、すぐに帰宅し、ダラダラとスマホを眺める。何も手につかない…そして食道がんのことをつい調べてしまう。難治がんのひとつ…5年生存率がよくない…手術は、大変恐ろしい内容で、考えたくもない…
私は、ダンナがすい臓がんになってから、なんでもいいから記録として残すため、無印のフリースケジュール帳、ノート・ウィークリーに書き込んでいる。自分で日付を書き込んで、いつからでも使い始められるフリータイプなスケジュール帳。A5の大きさで、邪魔にならない。自分で日付を書き込むので、途中で書かなくなっても、無駄な空白ページを作らずに済む。もちろん表紙に題名なんか付けていない。事務仕事の合間に、前の日の出来事をちょろちょろっと書く。そう長くはないこの生活、忘れないように書き留めておこう
病院から実家に帰り、両親に報告。父親は「しっかり治さないと」とわりと冷静。母親は慌てて、ひたすらメモを取り叔父(医師)に「電話して聞く!」と。おいおい、この時間勤務中だろうよ!と思ったけど、電話に出てくれました。叔父は「外科の先生に聞いたら、それは経過観察して、大きくなったら大きな病院に紹介しているみたいよ」と。なるほどね。妹(医師)にもLINEで報告すると「5年生存率39%」という自分もすでに検索した画面を送ってきて「すぐに大学病院に紹介状を書いてもらって!」と。
放射線治療と抗がん剤治療受けなくて済むんやたったらその方がいいけど、説明、同意書には治療を行わなかった場合の5年生存率は30〜35%、再発や転移の可能性が高いと書いてある低くて怖いわ。医師の説明では照射は痛みもなく時間もかからないと言ってた。でも、ぜんぜん楽な事はなかった。治療器に上半身ハダカになって寝て顔にマスクを着けるんですけど、強く押さえつけられるから鼻がふさがって息がしづらい。マスクを着ける時に鼻の穴をできるだけ大きく開ける、口を半開きにするようにして口呼吸する。すぐに済んだ