ブログ記事5,293件
25歳になって1週間が経ちました!先週の今日、1月20日は誕生祭でした!🎉🎂お祝いに来てくださった皆さん、おめでとうのメッセージをくださった方々、改めて本当にありがとうございました💙実は24歳の終わり頃から、25歳になったらこれを頑張ろうと思っていたことがあります!それは、「人前で堂々と話す」です!これはアイドルとしても社会人としても意識していきたいと思っている目標です!というのも、MCや配信、会議でもそうなのですが、たまに噛んだりトチったりすることがあって、そんな時よく照れ笑いでご
はじめましての方へ。→顕微鏡的多発血管炎(MPA)とは??こんにちは!ブログへのいいねやコメントありがとうございます😊この間作ったパスタがお店レベル←自称に仕上がりました。💓退院して休職中から、料理をすることも増えて、料理の腕が上がったような気がします←さて、おとといブログを投稿した日から、少し出ていた紫斑が昨日の夜にはピークを迎え足中出現する事態に←いつも紫斑と書いていますが、本当は紅斑なのかなと思っています←ただ紅斑はiPhoneだと変換がでてこなくて打つのに面倒
2020/2/16退院午前中のうちに退院した.入院前に比べ体重も筋力も減った。体重も3-4㎏減.車のある駐車場まで歩くのもひどかった。でも、約2週間ぶりの外にでた。やっと外の空気を吸うことができた。病院という監獄から出てくることができた。嬉しかった。そして、2-3時間かけて実家へ帰宅。父が待っていた。約2週間、普段家事もしない父。家の中は整っていた。洗濯もされていた。父は仕事をしながら家事をし、生
入院前日は憂鬱であった。まじかに控えた手術が怖かった。なんとか夜は寝ることができ、入院日の朝を迎えた。病院まで片道2時間、朝早くに実家をでた。母も入院中は病院近くの弟のアパートで過ごすことになり、旅行にいくかのように大荷物だった。道中、病院が近づくにつれて、無口になっていった。病院つくころには動悸がしていた。とうとう病院の駐車場についてしまった。荷物を持ち、受付へ。書類を提出し、いざ病
退院後初めての受診。午後から診察予定のため、神棚と仏壇にお参りをし、午前中に実家を出た。道中、再び襲う不安と恐怖。病理の結果がどうなのか。そして、術後退院してから、胸にしこりがある事に気づいていた。それは転移なのか。不安で不安でたまらなかった。その事も先生に言うのも怖かった。その不安を抱えながら病院へ。12時半には病院にはいった。そして、採血を済ませた。13時半から栄養指導をうけちゃんと食べられてて
検査が終了し、先輩と外科の外来で検査結果がでるまで待っていた。待っている間に、父と母が駆け付け、先輩は帰宅した。突然、名前が呼ばれた。両親とともに診察室に入った。椅子に座った。外科の先生は笑顔かつ明るい声ではなし始めた。検査の結果、進行胃がんであること、未分化癌であることを告げられた。若いのに胃の萎縮があること、肝転移・肺転移・腹水・リンパ節転移もなさそう。しかし、若いからスキルス癌の可能性もなくないが幸いなこ
術前検査が終わり待合室でまっていた。名前は呼ばれた。とうとうこの時が来てしまった。母とともに診察室へ入った。電子カルテ上に胃カメラの画像やそのほか情報が映し出されてた。椅子に座った。目の前には紹介先の新しい先生が座っていた。先生の表情が硬く見えた。すごくその表情が怖かった。悪いことを言われるのか・・・・。もうすでに呼吸が荒くなっていた。でもしっかり話を聞かないとという気持ちで必死に椅子に座り、心を落ち着か
受診終了し、車で実家で帰宅した。その時点で、1週間後にバリウム検査の予定が組まれていた。バリウム検査まで少し心穏やかに過ごせるかなと思っていた。受診翌日、毎年実家で行っているお祓いがあった。お祓いの人に現状を伝え、良い方向へ進むようお祓いしてもらった。そこでの助言として、「cancerは冷えが大敵、冷えには注意」「甘いものもcancerの餌になるからとりすぎはよくない」「お守りは粗末に扱まない。常に身に着けているように」を強調し
母に電話後、職場に連絡した。師長が電話をとり、生検の結果が胃がんであったことを伝えた。師長は、まず今後のことちゃんと決めてまた教えてほしいと。電話が終わり、再度先生と話をし、受診が終わった。優しい先生で、時間をかけてしっかり話をしてくれた。そのおかげで、少し落ち着くことができ、泣き止んでいた。その足で、近くの職場へ行った。平常心を保ち、病棟へ向かった。いつもよくしてくれる先輩が仕事をしていた。先輩に声をかけられた瞬間、泣いてしまった。そして、胃がんであるこ
新幹線で駆けつけた母。いつもと変わりない母だった。なんでこんなに強くいられるのか、母親であるからか、10年以上前に父も胃がんを患っている経験もあったのか。そんな母が隣にいてくれてすごく助かった記憶がある。私は告知を受けたショックから、表情は能面となり思考停止していた。だから、現状だけ伝えて、ほぼ母親に今後のことを考えてもらった。母は、早く職場で検査をし、地元の専門の病院で治療したほうがいいといった。だから、そのように行動を取ってい
手術の日の朝を迎えた。夜中は眠剤のおかげで寝れていたような気がした。だから、朝起きたときだるさとかはなかった。朝6時には看護師さんに起こしてもらい、7時までに高カロリーの栄養補助飲料を飲むよう指示があり、飲んだ。そして、それ以降は絶飲食となった。手術室入室は9時半と聞いていた。母は早くから病院にきてくれ、ベッドサイドで付き添っていてくれた。もうすぐ手術、時計をみて時間を確認し近づくにつれて恐怖がこみあげてきた。すごく
手術開始し8時間後・・・?『〇〇さん、わかる?』誰かに肩を叩かれたのがわかった。意識が戻った。目は開けられなかったが、周りの声は聞こえていた。意識が戻ったのを確認したのか私の顔のどこかから何かを抜いていた。抜いた瞬間、一気に気持ち悪くなった。?『Aラインはそのまま残す』そんな声が聞こえた。そして、『服を着せるね』といわれ、横向きにされた。痛みを感じた。私『痛い痛い痛い痛い、気持ち悪い気持ち悪い』ひたすらそれを訴えていた。一瞬で着替えが済み、ベットに移された。ベットに
術後1病日目日勤の看護師さんに変わった。検温を済ませ、午後から着替えがと離床を進めていくと伝えられた。そして、それまでちょっとずつベットを起こし上体を起こした状態に慣れるようにと。その時はまだ痛み止めが効いていて痛みは我慢できる程度であった。だから、ベットを45度程起こした。術後のほんの少ししか寝てなかったのにほんの少し体起こしただけで血圧が下がったのか気持ち悪いしだるかった。目を開けていられなかった。慣れるまで微動だにせず慣れた頃目を開け、再び上体を起こした。また休
受診当日になった。前日の夜は不安で不安でたまらなかった。すごく怖かった。ステージがわかるからだ。あとは、ちゃんと手術できるのか、不安だった。午後からの受診であり、午前中に車で実家を出た。片道2時間くらいか、覚えていない。道中も不安と恐怖でいっぱいだった。朝ごはんもあまり食べれず、道中何か食べるよう母にいわれていたが何ものどを通らなかった。とうとう病院についてしまった。ついたとき、母は、「さぁ~頑張るよ」
術後1日目:絶飲食.空腹は感じていなかったため、そこまで苦痛とは感じなかった。術後2日目:飲水開始.ティースプーンで水をすくい少量ずつ。おそるおそる飲水し、おなかの痛みは襲ってこなかった。術後3日目:流動食開始.このころから食欲が出てきた。食事はほぼ水分状のものだけだった。それもしっかり咀嚼してのみ込むように言われた。だから言われた通りにした。のみこんだとたんにお腹が鳴り始めた。そして、体が熱くなった。これが
胃がんになってからというもの体の微々たる変化も気になりながら生活している。そのひとつが胸のしこりだ。オペ前にしこりがあることに気づいた。オペ後もどんどん痩せていくと他の場所にも視覚で分かるしこり。不安しかなかった。胃がんから乳がんへの転移はまれだ。でもない訳では無い。いろいろ文献を調べた。症例は少ないがいいことは書いてなかった。だからなおのこと不安になった。そして、術後初めての受診で勇気をだし主治医にしこりのことを伝えた。すごく怖かった。伝えることでいろいろと
病院受診は半日かかり、夜遅く帰宅した。そしてご飯をたべ、TS1を内服した。抗がん剤治療が開始された。味は甘かった。いや、甘すぎた。程よく甘苦いなら飲みやすいのにとも思った。飲んで少し経つと、なんとなくみぞおち辺りが胸やけみたいな感じがした。多分、副作用とかでなく、気持ちの問題だろうと思う。朝起きるとなんとなく吐き気。朝の低血圧によるものだろうと。でも、なんだか頭痛?頭重感?がした。この症状は続いた。1週間が経つと、お腹の調子が悪い感じがした。下痢はしていないが、常に
夜勤中は、仕事の集中し、癌のことを考えずに済んだ。また、患者さんと関わるときも、疾患を抱える患者さんの気持ちが少しわかった気がした。だからこそ、その思いをくみ取り、不安や恐怖、苦痛なく過ごせるよう関わらないとと思った。いつもなら、忙しさに甘えて、患者さんと関わる時間が少なかった。この時は、自然と患者さんのそばにいて、少しでもなにかしてあげられないかと、接していた。夜勤の終わりが近づくにつれ、徐々に不安が増し、吐き気にも襲われた。9:30夜
とある日、花粉症の薬を飲んだら眠くて昼寝をした。昼寝後、茶の間に向かった。階段をおりた。最後の2段くらいか足を滑らせ落ちた。尾てい骨あたりを強打。強打した直後痛くて動けない。その中で、抗がん剤内服による骨髄抑制で酷い出血してたらどうしょうとかとっさに考えていた。そして、出血に伴う血圧低下ないか簡易で手首の動脈(橈骨動脈)を確認。脈は触れた。とりあえず大丈夫かと歩くことは出来るが左のお尻が痛い。仰向けできない。数日経ってもまだおしりは痛む。全身もむち打ちなのか
2018年12月初め頃、お風呂にはいっててなんとなく肩辺りを触ったら謎のしこりが(謎)今まで全く気づかなかった!怠さや熱、汗とかそういう症状全くナシ。ただ硬くて動かない、そして痛くない謎の物体が鎖骨の上に居座ってるだけ、、、旦那に『なんかある!癌かも!!』と言ったら『そんな簡単に癌にならんら〜笑』友達に『肩になんかある〜』と言ったら『え、、、そこに癌って、、、かたがん(笑)?』と、だれも本気で心配しない笑けど私はなぜか癌だっていう自信があって何科に行けばいいか全くわからないけど
こんばんは。今回は山下達郎さんの話はしません。早速本題に入ります。本日12月26日は、僕の大好きな日向坂46の潮紗理菜(うしおさりな)さまの誕生日ですママ、おめでとう!今回は、ママに宛てた手紙を読んでいきます。大好きなママへママ、25歳の誕生日おめでとう。俺がママのことを好きになったのは、昨年の今日。つまり、俺はママの誕生
8/4ドセタキセル終わって初めての受診日。点滴がないってだけで少し心が楽だった。病院向かう道中、梅雨が明けて天気でそのおかげでまた少し明るくなれた。病院ついてケモ室ではなく採血室で採血。その後は、呼ばれるまで待ち時間。1時間くらいしたら呼ばれた。今回の採血の結果…前回好中球2000⇒今回900白血球3800⇒2900めちゃめちゃ免疫低下してたぁ…そんな感じしなかったし免疫大丈夫だろうと思ってた。でも下がってて、ショック受けるまもなく先生からTS13週間おやすみ
ドセタキセル打ってから2日目倦怠感頭痛関節痛これが副作用かと思うのが現れたインフルになってる時の状態しんどいしんどい食欲もないでも食べれる時に食べるお腹に入らない結果、体重減った仕方がないと思っているその分、他の日で取り返そうも思ってるいつも癌についてネット検索してると癌より癌治療がつらいという本を見つけるまだまだ私の副作用は軽いと思うでもこの副作用が続くと思うと本当に癌より治療のほうが辛いなと思う看護師として抗がん剤治療してる患者さんが別の内科的疾患で
7/14あいにくの雨そんな中病院へ雨のせいもあって余計に憂鬱お守り握りしめておまじないしながら向かう病院の前日はやはり不安がつのって寝付きも悪かった目の下のくまもひどいひどいだるさや低気圧に伴う頭痛そんななか受診。初めはケモ室。体重と血圧測定。そして採血、問診。その後は、前回婦人科で子宮頸がんの検査していたのでその結果説明の受診。予定よりも1時間近く待った。寝不足と長時間の座位、緊張からしんどくてしんどくて。とりあえず、半年後の再検予定となった。そして外科
ドセタキセルの点滴後、1週間がたった頃から口腔内が荒れ始めた口にものを入れると痛いし味もよく分からない。喉の痛みも出てきて、日に日に増してきて痛み止め1日2回服用するようにもなった飲み込むのも億劫なくらいドセタキセルうって1週間くらい経つから免疫めちゃめちゃ下がってる時期だから感染でも起こしたのかと思った。でも熱は無い咳もなし休日に入るからその前に病院に相談の電話。朝イチで先生がオペ入る前に電話。外来の看護師さんに事情をはなし、主治医に確認後折り返すとのこと。
8/253週間の休薬期間は終わり、病院受診の日。朝から青空だったけど心は曇がかってた。なぜなら術後半年の造影CTがあるからだった。ただただ恐怖と不安だった。それでも乗り越えないと先に進めない恐怖と戦いながら検査のため病院へ。病院へつき、まずは採血。緊張から血管が収縮しなかなか採血できず、苦戦していた。なんとか採血でき次は造影CT。待ち時間は長かったが検査自体はすぐ終わった。終わってすぐくしゃみと鼻汁がひどく造影剤アレルギーであることが判明。まぁひどいアレルギーじ
とうとう初回のドセタキセルの日に。未知すぎて不安はなかつた。それより点滴前に主治医の診察が怖くて不安で仕方がなかった。採血の結果何をいわれるか。そんな不安を抱え受付を済ませ外来の化学療法室へ。淡々と物事が進む。採血、血圧、体重、問診、終わると外来へ行くよういわれる。外来は混んでいた。1時間くらいは待ったか。呼ばれた。採血OK、ドセタキセルできると。外来化学療法室へ。順番が呼ばれると、リクライニングの椅子へ。手を温めて、左手に24ゲージの点滴を刺す。久々の針で痛
ドセタキセル投与してから吐き気や倦怠感、下痢、手の痛みや痒み、味覚障害と戦った。そして、TS1の休薬はいってからは少しずつ体調はよくなり食欲も増してきた。抗がん剤飲まないだけでここまで体調が違うなんて威力は絶大だなと実感。そしてそしてドセタキセル投与からちょうど2週間目髪の毛が少しずつ抜け始めた。翌日からは抜ける量も増えた。今ではバサバサと抜ける抜ける。でもまだ髪の毛は残ってる。これもいつまで続くか。抜け始めは、手に絡みつく毛をみると怖くて辛くて仕方がなかっ
10/6受診日。休薬を終え、TS1再開。10/27受診日。また白血球、好中球下がり、休薬。前よりかは下がりが緩やかだったからよし。そしてインフルの予防接種してもらった。11/17受診日。免疫回復。そして、継続していけるようにTS1100mg/日から80mg/日に減量した。これで免疫の下がり治まって治療継続できると嬉しい。こんな感じで3回の受診の結果です。そしてコロナが落ち着いているうちにタイヤ交換せねばと金沢へ。ついでに職場へ顔を出しに。良くしてもらっ
告知を受けた日から三連休だった。母とともに新幹線で実家へ帰った。駅に着くと、父が迎えに来ていた。車にのり、家へ向かった。無言だった。道中、看護師の叔母から電話があり、一部始終話した。泣いてしまった。泣かずにはいられなかった。なんで早く検査しなかったのかと怒られた。親に電話をかわり、叔母と話をしていた。かすかに聞こえる声、『最悪のことを考え、覚悟をしといたほうがいい』と言っていた。その言葉の意味を、親より