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ザ・コブラマスク遍歴2枚目(トレード金ラメ忍)1983年7月~12月頃カルガリー1983年7月22日コブラの日本デビュー戦も飾った金ラメの忍タイプ。(マルチネス製)コブラの顔と言えばやはりコレ!先のコウモリパーツをより洗練したデザインとなっている。コブラのデザインはこの羽を広げたような左右パーツが基本形となっているのでここではこれをマスカラスよろしくトレードタイプと称します。忍タイプは顎の鎌を入れて羽根が7枚だが後に紹介するローレル(月桂冠)タイプは8枚羽根である
活躍した期間・シリーズで使用したマスクを順番に紹介33枚目:ヤギリ③(逆ヤギリフォーエバー)1982年11月5日士道館イベント~~1983年1月中旬ヤギリタイプ3枚目アメリカ・メキシコ遠征でも多用。口元が大きく開いた逆ヤギリ。フォーエバーの通称はプロレスアルバムタイガーマスクフォーエバーの表紙からきている。被りたての頃と使用後半では表情が完全に別モノに見えちゃう。洗濯などでパーツ等顔に馴染んだか。単に顎紐の絞め方がきついか緩いかかも。1月6日後楽園
活躍した期間・シリーズで使用したマスクを順番に紹介54枚目(番外編①)ティグレ・エンマスカラド設定上1978年春頃~1980年後半漫画プロレススーパースター列伝タイガーマスク編で実在の佐山サトルがメキシコ修行していた期間を漫画で伝えるわけにはいかず生み出された設定のマスクマン。そのマスクを実際に製作されるいい意味で奇特な方がやはり世の中には存在しておりその何点かを紹介。カラー漫画ではなかったので模様の色は実際どうなのかは???だが赤と黒がやはり思いつく色
大昔にテレビ放映で観ただけなので、今回は本腰を入れて鑑賞しました。なんとそこには昭和なエロと、ストレートなグロが描写が!!B+『復讐するは我にあり』専売公社の集金係2名を殺害した榎津(えのきづ)は、詐欺を繰り返しながら逃走を続けていた。自宅には病身の母親と敬虔なクリスチャンの父親が旅館を経営し、榎津の妻子とともに暮らしている。妻の加津子は、義父である鎮雄に心酔し、榎津は2人の関係を疑っている。警察が専売公社雇人殺しの容疑で榎津を全国指名手配するなか、浜松の旅館に大学教授を装って
忌野清志郎スーパースター烈伝(2024年11月の投稿に加筆)アントニオ猪木編このブログのタイトル『忌野スーパースター烈伝』ですが、1980年代に少年サンデーに連載されていた「プロレススーパースター列伝」から頂いています😅。私、この漫画の愛読者でした。よく文中にでてくる、「アントニオ猪木・談」とか、「新間寿・談」は、よく友人たちとの会話で、ふざけて使っていましたね(笑)。梶原一騎が原作を書いていて、実質的には新日本プロレスとアントニオ猪木をプロパガンダする内
新・ドラゴン藤波大年表2025RSD新しいシリーズがはじまりました。と、いっても、このブログのシリーズで、藤波さんの参戦する「シリーズ」(「闘魂シリーズ」とか)でなくて、ごめんなさい。藤波さんが参戦した2025.8.10柏市フェニックスプロレスとかの話題は、別のファイルにしますので、ちょっとお待ちください。(試合結果等を調査中ですし)★ご案内★藤波さんの歴史はプロレスの歴史です。藤波さんを好きな「ファン」が作成したサイトです。楽しんでいただけましたら、
三沢タイガーマスク遍歴22枚目「鏃ハーフ」使用時期:1985年後半~後のゴング誌ピンナップなどに登場したヘビー級転向と共に使用される予定だったソリタリオ口の鏃ハーフマスク。(実際には使用されなかった)向かって右が銀ラメに赤パーツ、左は通常の模様。ずーーーっと気が付かなかったけど鏃パーツだけど八切じゃないのよねこれやっぱり目はこれぐらい吊りあがってないとね。
※TAKAHIROさん、お借りします。というわけで、旧年中はお世話になりました。訳あって、私自身からの新年の祝賀挨拶は控えさせて頂きます。とはいえ、それではあまりに寂しいのでPEPE第22号(1984/1/1発行)と聖子さんの素晴らしい新年歌唱動画を貼らせて頂きました🎍もう前置きはやめようかと思っているのですが…<2024/12/31><2025/1/2>まるで年末から年始にかけてNWFタイトルを死守したみたいじゃないですか(笑)こりゃ、新日
アントニオ猪木ファンに贈る!【燃える闘魂「世界最強の日本酒25度」】720ml<企画:アントンフーズ>楽天市場アントニオ猪木さんのファンなら、絶対に試してほしい日本酒があります。それが、燃える闘魂「世界最強の日本酒25度」です!今回は、アントニオ猪木ファン必見のこの日本酒を、実際に飲んでみた感想をレビューします。「お酒は強い方が好き!」「猪木さんのように熱いお酒を飲みたい!」という方は、ぜひ最後まで読んでみてください。■燃える闘魂「世界最強の日本酒25度」とは?アン
コブラツイストとはコブラツイストはプロレスラー、アントニオ猪木の必殺技。写真がそうですが、コブラのように敵に体を絡めて締め上げる技です。悶絶するほどの痛みであることがこの写真を見るとよく分かります。ちなみに苦悶の表情を浮かべているのは猪木の弟子、藤波辰巳です。師弟対決ですね。と、当たり前のようにこんな話をしてますが、猪木も藤浪もコブラツイストもご存知ない方が今では結構いるのでしょう。アントニオ猪木、新日本プロレスを率いた偉大なレスラー。1960年代後半〜80年代に特に活躍しました。
どーも、子連れおーかみです。あっという間に9月になってしまいましたが、相変わらず暑い日が続きますね。仙台も、今週観測史上最高温である37.4℃を記録しました・・・。一体どうなってんだか。そのうち真夏の日本は外出できなくなるという説も、あながち嘘ではない気がしてきます。一転今日は最高気温26℃で過ごしやすい。この位の気温だと、眠りが深くて疲労が取れますね!暑いといくらエアコンつけたまま寝ても寝苦しくて、明け方に目が覚めてしまう。妻のイライラも、性格の悪さだけではなく(笑)、この
三沢タイガー戦歴1985年11月23日~11月29日7戦(計192戦)11月23日(土)85'世界最強タッグ決定リーグ戦第1戦東京・後楽園ホール(開幕戦)30分1本勝負△タイガーマスク、マイティ井上(8分56秒両軍リングアウト)△寺西勇、小林邦昭11月24日(日)85'世界最強タッグ決定リーグ戦第2戦秋田・熊代市体育館30分1本勝負○デイビー・ボーイ・スミス、ダイナマイト・キッド(6分14秒体固め)●ハル園田、タイガーマスク11月25日(月
ウィリー・ウィリアムスさんウィリー・ウィリアムス(WillieWilliams)1951年7月14日生まれ、2019年6月7日、67歳没。アメリカ・ノースカロライナ州出身の元空手家(元極真)アントニオ猪木と異種格闘技戦。極真会館出身で、熊殺しの異名を持つ。梶原一騎が極真空手を題材に製作した映画『地上最強のカラテPART2』(1976年12月18日公開)で巨大なグリズリーとの闘いを披露し、“熊殺し”の異名を取る。地上最強のカラテPART2[DVD]出演:大山
◎令和7年3月8日(土)今、中京テレビで放送されている「こんなところで裏切り飯」のロケ地になった愛知県弥富市にある「インターナショナルビレッジ」へ行きました。ここはパキスタン料理が食べられるお店です。お店の看板はありません。車の解体施設の中にあります。施設内にある社員食堂のような感じです。お店に入るとパキスタンの国旗が・・・。ここはお祈りをする場所かなぁ。店内にはたくさんの食材が置かれていました。スパイスなどもでかい袋で売られています。ちょっと手に負えないくら
三沢タイガーマスク遍歴19枚目「ゲジゲジオレンジ青ランプ試合用」使用時期:1985年8月31日~年末85年欠場後復帰第1戦を飾ったオレンジラメの青ランプ。三沢タイガー=オレンジラメのイメージとなった1作目。ブルーランプが特徴的。年末のキッドシングル戦もこのマスク。
「アントニオ猪木レスラー生活25周年記念大会」1986年10月9日(木)、東京・両国国技館で開催されたアントニオ猪木vsレオン・スピンクス。スピンクスは元WBA・WBC世界ヘビー級王者。異種格闘技戦として注目を集め、観衆11,520人=超満員札止めとなりました。私はこの一戦で、スピンクス陣営のセコンドを務めました。試合の1週間前には、アントニオ猪木さんとルールミーティングを実施。前日の京王プラザホテル新宿でのレセプションではスピンクスと固い握手を交わし、試合当日も控室で
ウィレム・ルスカさんウィレム・ルスカ(WillemRuska)1940年8月29日生まれ、2015年2月14日、満74歳没。アムステルダム生まれの柔道家、プロレスラー。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子無差別級、重量級金メダリスト。kevinrules84さんが2012/07/23に公開OlympishgoudWimRuskaMunich1972https://youtu.be/PiPGO2QfuZ8PieterdeGrootさんが2017/0
劇画『四角いジャングル』でベニー・ユキーデに替わって主人公となったミスターX。劇画『四角いジャングル』はセミ・ドュメンタリーと謳っていましたが、前述の赤星潮のエピソードが創作であったのと同様に、ミスターXも登場から1979年2月6日の大阪府立体育館でのアントニオ猪木戦の直前までのエピソードが全て創作でした。最初にミスターXは、WWF世界ジュニアヘビー級王者としてアメリカ遠征中の藤波辰巳(現:藤波辰爾)の前に姿を現します。藤波が試合を終えてシャワーを浴びていると、その日の対戦相手が試合に負けた腹
燃える闘魂アントニオ猪木が残した名言は多い。世間をあっと言わせたり、逆に騒がせたり?と、予定調和を嫌う猪木さんの名言に『一寸先はハプニング』がある。プロレスファンならば、誰もが知ってるけどね。猪木のハプニング的な出来事の中では、微笑ましい出来事をひとつ思い出した。映像が残ってないかYouTubeで検索したら、すぐ出てきたから、便利な世の中だなぁ!その映像とは、2002年の東京ドームの新日本プロレス30周年記念興行での出来事だ。リング上でアントニオ猪木の挨拶が終わろうとした、その時、
昭和45(1970)年3月。この顔あの顔春の10チャンネル新番組がスタート――。出演者たちをイラストで一覧にしたNETテレビの番宣広告。当時の人気スターたちがズラリといった趣きだが、注目は右上だ。それぞれ別番組を代表して登場するアントニオ猪木(当時27歳=ワールドプロレスリング)の、ちょうど右胸付近に倍賞美津子(当時23歳=花と龍)のイラストが配置されている。2人の婚約発表はちょうど1年後(昭和46年3月)。これはデザインの配置上、偶然の産物か、それとも2人の
元プロレスラーである佐々木健介は、新日本プロレス2001年3月17日愛知県体育館大会においてスコット・ノートンに敗れた事でIWGPヘビー級王座から陥落。4月9日大阪ドーム大会で総合格闘技イベント「PRIDE」で飛ぶ鳥を落とす勢いだった藤田和之とベルトをかけた試合を約束していたにもかかわらず、結果としてそれを反故にしてしまう事となります。3月20日代々木競技場第2体育館大会でリング上にいる藤田に対して、健介が開口一番「藤田。正直、スマンかった。ベルト」と発言して
ザ・コブラマスク遍歴番外編本人が被った写真は確認出来ないけど当時モノとして存在した可能性あるんちゃう?と思いたくなくなる数枚をピックアップ。ちなみに90年代復活以降のマスクはカウントしません。(JINGUやイーヴィル2など)(ペリカン金ラメ)少し前にオクに出てきた一枚。ペリカンの金色は当時確認されていないが試合で破られた痕跡がある本人使用?みたいな一枚。真贋はなんとも・・・。(イーヴィル茶ラメマーブル)本人使用のクワガタと並んでた写真が結構webで
活躍した期間・シリーズで使用したマスクを順番に紹介53枚目Ⅲマーク③(エレファント)1983年8月4日蔵前大会~翌年1月欽どこ出演などⅢマーク(エレファント)タイガーマスクとしてのラストファイトとなってしまった8月4日に1試合だけ被ったマスク。先のⅢマークよりヤギリ角度がつき鼻が高く見える造形から「エレファント」の通称が一番有名。他にもファイナルタイガー、ロングノーズ等の通称もある。雑誌GOROの取材でD・キッドの居住先を訪問TV