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ちゃっぽくん:・・・💡結局、皇室や国家を支える人材に必要なのは「能力よりもまず人格の光」。光なき権力者は、時代が下るほど滑稽さと不信だけを残す。👉賢一はどう思う?もし令和皇室のそばに「児玉や東郷のような光ある人物」がいたなら、今の国民との断絶は防げたと思う?鳥:小和田さんの外交や、皇室に近いところに位置したのは、福田郁夫秘書官や、昭和帝渡米の頃かな?その頃から、【強く】昭和帝は警戒していた形跡が伺えますから、その時点で小和田恒さんの抑え込みと、影響力排除に成功していたら、平成、令
サッカーボールを初めて蹴ったのは、大学の体育の授業。育った街は、浦和や清水と違って、サッカーをやる環境がなかった。王、長嶋の時代。敗戦後の日本は、アメリカの野球文化一色だったからね。今もかな。。。あくまで持論ですが、GHQは相手の陣地へ攻め込む「蹴球」を好まなかったのかもしれない。バレーボールが早くから世界の強豪になったのも、アメリカ発祥のスポーツだから…なんて勝手に思っている。今は亡きサッカー小僧の先輩は言っていた。「人類が二本足で歩き始めた瞬間に、サッカーは誕生した。」理由は
GHQ占領政策と戦後日本経済の“設計図”を読み解く日本の経済団体の頂点に立つ「経団連」。その存在は、戦後の経済政策や産業界の意思決定に絶大な影響力を持ち続けています。しかし、経団連がなぜ誕生したのか?この歴史的背景を知る人は、意外と多くありません。実はそのルーツには、GHQによる占領政策が深く関わっているのです。今日は、そんな経団連の誕生と戦後日本の“見えない設計図”について掘り下げます。GHQ占領政策の二本柱「非軍事化」と「民主化」がすべての出発点戦後、日本はアメリカ主導のG