ブログ記事591件
「生きていても楽しくない」「生きないといけないから、義務で生きている」この基底感情を何とかすると言っても、数十年試行錯誤してきた結果、無くすことも、他の何かで埋めることもできませんでした。自己肯定感や安心感が欠損した人間が生きる場合、どうしたって無理をしないといけません。自然体でいることは不可能です。そして、毎日毎日無理をしていたら、自然と楽しくなくなって、義務で生きるようになってしまうのです。うーん…行き詰まったので夫に相談してみると、「楽しくないと感じられるって事は、逆説的だけ
親の話からの推測では、私が0歳〜1歳頃、父親は仕事にかかりきりで、母親は見知らぬ土地で一人で私と幼い姉の育児をせざるを得ず、育児鬱のような状態だったようです。そのため、殆ど私の世話をできていなかったようです。それ以降も、父は仕事一辺倒、母親は体調など自身のことに手一杯で、私は親の愛情が最も必要な時期に、満足に貰えませんでした。その結果として、愛情を土台にして培われる自己肯定感や、この世界に対する根拠のない安心感が欠損したまま生きることに。子どもの頃はここまで自覚していたわけではありませんが
これまでも折に触れ自覚していたのですが、最近また、最深部にある感情に直面させられています。……30代までは、この感情を「仕事」で誤魔化していました。その後、「長男が亡くなった事実」が心の全てを覆い、次いで、「妊活」がこの感情の上に乗って蓋をしました。今年に入って妊娠が分かると、意図せず次の蓋を探すようになり、食べづわりも相まって、「食べること」が蓋代わりになりました。(それまでも、しょっちゅう食べて誤魔化してはいたのですが…)それでこの4ヶ月ほど食欲旺盛になり、そのせいで体重増加
よく耳にする「不妊治療」ではなく、「不妊手術」なるワードに初めて出くわした話です。……1ヶ月ぶりに妊婦健診に行った、昨日のこと。診察室に入るなり、主治医から、今回で3回目の帝王切開になるが、今後も妊娠を希望しているか?と聞かれました。私がその希望はない旨を伝えると、出産(帝王切開)時に不妊手術も受けられるので、受けてはどうか?と言われたんです。方法は二つあって、卵管を縛るか、卵管を取ってしまうか。どちらも自費で5万円ほど。後者の方が、がんのリスクも下がるのでオススメだと、流れるように説
きっかけは、今年2月からの次男の肌掻きむしり問題でした。アレルギー体質の次男は、花粉症の季節から肌の掻きむしりが悪化して、毎晩血まみれ。幾つも病院やクリニックを回るも、未だに治る見通しが立たず…心折れながら頼った7つ目のクリニックで、初めて薬物治療の方針ではなく、生活指針を示されたんです。「外遊びが足りていない。子どもが掻くのは、大抵退屈やストレスがあるとき。家の中でオモチャで遊ばせてたら、間違いなく掻きますよ。」……これには、私も夫もハッとさせられました。早速夜に話し合って、外遊び
5年前に、緊急帝王切開で長男を出産し(妊娠31週)、2年前に、予定帝王切開で次男を出産し(妊娠38週)、今年の9月に3回目の帝王切開予定なのですが、正直なところ、少なからず怯えています。「帝王切開」と言うと別モノのような印象も受けますが、要は「お腹を切る外科手術」なわけで、それを5年間で3回やるわけです。果たして身体的に大丈夫なのか!?と不安になる気持ちが、どうしてもあります。1回目は全然平気で、身体は半年で元に戻りました。筋トレもジョギングも再開できて、日に5km走っていました。
40代妊活をしていた友人たちは、9割が体外受精組で、みんな成功して出産しています。とりわけ、私と同時期に二人目妊活を始めた数人が、私より遥かに早く妊活に成功し、私が化学流産で落ち込んでいる最中に無事出産していった経緯から、体外受精組を常々羨ましく思っていました。彼女たちの殆どは、体外受精でないと授かりにくい身体的理由は特になく、年齢要因だけで選択したそうです。それほど体外受精がメジャーな時代において、敢えてタイミング法を選ぶメリットはあるのだろうか…と、当時からずっと考えていました。真
(この記事は以前、世界一周・バックパッカーをテーマに書いていたブログの最終記事です。これから始まるマタニティブログのプロローグとして公開します。この妊娠がスタートした時のドタバタな背景が伝われば幸いです(笑))今年も残すところ2ヶ月を切った。そして私はその2ヶ月の間に韓国撤退を考えていた。12/9に今住んでいるアパートの契約が切れる。私はそのタイミングで帰国。それまでに私たち夫婦が大喧嘩でもすれば離婚をしてからの帰国もあり得ると思っていた。もし今の状態(比較的平穏な日々)が続けば、離婚
最近はつわりが治まってきて外出欲が湧いてきている。メイクをして好きな服を着て外に出たい!今日も午前中からそんな気分だったのでお出掛けを企画。保健所に妊婦登録をしに行くことにした(コロナの感染状況が悪化の一途を辿るソウル近郊では下手にウロウロできない。外出するなら意味のある外出を、で、この地味なチョイス^^)。韓国で妊娠して病院から妊娠証明が出たら保健所で妊婦登録ができる。この手続きの一番の利点は妊娠初期に必要な数々の検査を無料で受ける権利を得られること。保健所を通して受けられる検査を全
妊娠10週の時に、認可外施設でNIPTを受けてきました。長男、次男の妊娠初期でも受けたので、今回で3回目になります。検査内容はこれまでと同じく、全染色体検査、微小欠失検査、性染色体検査のフルコースを選択。採血をした日から、メールで検査完了通知が届くまでの8日間は、やはり不安で落ち着かず…日に十数回もメールボックスをチェックしながら、ストレスからついつい過食。たたでさえ食欲亢進している時期なので、ほぼずっと何かを食べている日々でした。そして先日…ついにメールが届いたんです。陽性だった
今年1月の周期は、高温期7日目〜9日目のフライングで化学流産を確信していました。化学流産と思いきや、まさかの展開に|40代の妊活を丁寧に語りたい長年のマニアックなフライング経験則から、この確信で100%間違いないと思っていただけに、その後のフライングで陽性が濃くなっても、高温期14日目にクリニックでhcg153.7と出ても、正直なところ実感に乏しく、他人の話を聞いているような感覚でした。言い方を変えれば、私とっては「今周期も化学流産で成功ならず」の方が、よほどリアリティがあって、慣れ
先日、心拍が確認できた後に私は家族(父、母、兄、兄嫁、妹)それぞれに妊娠を報告した。その時の彼らの反応を授賞式風にまとめてみた。もちろんこれは冗談半分。彼らの気持ちはどんな表現で伝えられたとしても、それぞれの性格を熟知していればそこに愛情を見出すことができ、感謝して受け取れるものだ。最下位の誰かさんのも含め…(笑)まずは栄えある第一位からの発表。お父さん!父と私のコミュニケーションは基本Eメール。父は終始丁寧語で書いてくる。急を要する時にだけカカオトークを使う。元気(胎児ネーム
17週に入った先週、通っている産婦人科附属の産後調理院を見学し予約した。産後調理院とは?産後の母子をケアする宿泊施設のこと。新生児ケアのプロたちと産後ケアのプロたちが、出産直後の母子の生活を24時間体制でトータルサポートしてくれる。両親と暮らしていたり、ベテラン経産婦だったりと、サポートの必要がない場合を除いては、ほとんどの産婦が出産後数日以内にこの施設に入る。設備、費用、サービスなど、産後調理院によってまちまちだが、今回は私が予約した産後調理院を紹介(ちょうど中間レベルな
私は、39歳、41歳、44歳の時に妊娠して、NIPTを受けました。結果、3回とも陰性でした。一方で、世間的には、「40代になると染色体異常のリスクが跳ね上がる」ことばかりが強調されていて、その論調は、「44歳だと、子どもの全染色体異常率は50%ぐらいあるよ」みたいなトーンで語られている気がします。「ほぼほぼ染色体異常になるよ」と言わんばかりの口調を感じる時すらあります。単に私の受け取り方が偏っているだけかもしれませんが、マスメディアやネットメディア、クリニック、妊活書籍等の言動から、そ
「彼女はどういう意図で、その発言をしたんだろう…?」事のあらましを夫に伝えて、そんな質問を投げかけました。すると夫は、「その発言は俺が聞いても、これまでの彼女の人柄を考えると不自然だと思う」と答えた後、暫く考え込んで、私が想像もしなかった仮説を口にしました。……実はその日、私がショックを受けたやり取りの後で、その方が我が子を亡くされた後に、40代前半で不妊治療(体外受精)をしていたこと、他の事情が重なって2年ほどで治療を断念せざるを得なかったことを知ったんです。それを聞いた私は
現在、妊娠9週目に入っています。クリニックでのエコーも残り一回。このまま妊娠が継続した場合は、長男の時も次男の時も受けたNIPTをどうするのか…?夫婦で色々と話し合いました。…………まず、結論として決まっているのは、仮に何らかの先天的な異常があっても、必ず産んで育てること。夫は、「もしそう(=何らかの先天的な異常がある)だったとしたら、それが俺達には必要だってことだよ」と断言します。30代の頃なら別意見だった私も、長男と次男の出産を経た今は、自然と夫に賛同できます。この結論が出
私が家族に妊娠報告をした際の反応については、以前記事にしています↓↓↓今回は夫の周囲(友人たち)の反応について。『妊娠報告とそれぞれの反応(Part1)』先日、心拍が確認できた後に私は家族(父、母、兄、兄嫁、妹)それぞれに妊娠を報告した。その時の彼らの反応を授賞式風にまとめてみた。もちろんこれは冗談半分。彼らの…ameblo.jp『妊娠報告とそれぞれの反応(Part2)』この記事は、前回の続きです(^^)↓↓↓↓『妊娠報告とそれぞれの反応(Part1)』先日、心拍が確
昨日私と元気(胎児ネーム)は無事に3ヶ月目に入った。元気は既に2頭身の人型をしていて、目もあり、もしかすると手の指もあるかもしれない。ラズベリーくらいの大きさの元気が、お腹の中から手を振っているのを想像して顔がほころぶ。『Pregnancy+』というPhilipsAventが開発したアプリ。妊娠0週から命がどのように誕生し形作られていくかをCGで見せてくれる。素晴らしいクオリティに感動すること間違いなし。写真は8週の胎児。元気の成長を裏付けるかのように、つわりもピークに達してい
前回6w3dで初めて心拍を確認した翌日のこと、トイレへ行った際に出血した。鮮血ではなく、赤茶色の少し古そうな粘度のある血液だったが、量は生理の時のそれと変わらなかった。私は便器に視線を落としたまま固まった。そして「落ち着いて、落ち着いて」と声に出して言い続けながら、下着を洗ったりさっとシャワーを浴びたり、自動的に行動した。頭の中は真っ白で、悪い想像すらできなかった。トイレに行く前に作り終えていたランチを胃に押し込み(この状況でも私はお腹に栄養を送りたかった)、そろりそろりとベッドルーム
44歳に入った今年1月に、運良く妊活に成功しました。その時の状況(通院頻度や排卵検査薬、タイミングの取り方)を振り返ってみると、【排卵3日前(D17)】排卵検査薬陰性、クリニックのエコーで卵胞17mm【排卵2日前(D18)】排卵検査薬陽性→タイミング①【排卵日前日(D19)】最低体温日、クリニックのエコーで卵胞19mm【排卵日(D20)】タイミング②【高温期初日(H1)】クリニックのエコーで排卵済み確認、子宮内膜9.3mm*高温期初日にクリニックで「おそらく昨日排卵したは
2023年11月から三人目妊活をスタートして、1年3ヶ月…12周期目にして、初めて1回目の心拍確認まで駒を進めることができました。本当に有り難いことです。先日、夫と話していて、「11回ダメだったのに、なぜ今回は妊娠できたのか?」という話になりました。振り返ってみると、これまでの11周期になくて、今回の周期にあった要素が三つあります。……一つは、「低温期が20日以内だったこと」。以前の記事で書いたように、今期成功への淡い期待|40代の妊活を丁寧に語りたい私の場合、無事に妊娠
こんにちわ😊今日は一週間ぶりに病院へ行ってきました。無事、心拍確認でき、また1つクリアする事が、できました☆☆今日は夫も一緒にモニターを見れたので、二人で心拍の動きを見ることができました★夫も心配性なので、少しは、安心できたようです。心拍も力強く、順調な妊娠ですよ!と先生にも言っていただき、少し安心しました☆出血や茶おりものが続いていたので、少し不安だったのですが、出血した後はあり、今のところ赤ちゃんには影響はないとの事で、経過を見るしかないそうです。この先いつになっても、まだ
いよいよ、大きな関所を迎えました。本日、6w5dで心拍確認のためにクリニックへ。さすがに五分五分だろうと、半分は諦めの気持ちでエコーを受けました。結果は……………なんと、無事に心拍確認できました。胎嚢の大きさは測ってもらえませんでしたが、CRLは5.4mmでした。心拍は遅めだけどこの時期なら問題ない、とのこと。ホッと一安心というより、もうドッと脱力してしまいました。胎嚢確認からのこの一週間は、やはり不安と緊張が相当だったようで、会計が終わってクリニックを出てからは虚脱状態。す
長男を失った壮絶な悲しみが、根っこのところで妊活に繋がっている…うっすらとその自覚はあったのですが、改めて「いつから繋がったんだろう?」と考えてみると、思い当たったのは、長男の葬儀の日でした。…………あの日、遠方から駆け付けてくれた義両親が泊まっていたホテルのロビーで、義母と話していた時のことです。話の流れの中で、「できれば早く次の子が欲しい」…みたいな事を私が言った際に、義母がかなり怪訝な顔つきになりました。そして、「ちょっと信じられない。もし私なら、今は到底そんなことは思えな
昨日、一人の女友達に妊娠を打ち明けた。もう長い付き合いになる彼女は心底喜んでくれて、先輩ママとして私の体調を気遣ってくれた。「体の中は赤ちゃん工場が稼働して、すごい勢いで変化してるからね」と(^^)。「チャーリーとチョコレート工場」を連想してしまって顔がほころんだ。最近は同年代(40代)妊婦さんたちのブログをよく参考にさせてもらっているが、妊娠を公表した彼女たちのほとんどが周囲から受けている質問がある。『どうやって妊娠したの?』だ。私がこれまで妊娠報告をしてきた人たちからは聞かぬであろ
先日、タイトル通りの経験をして結構ショックを受けているので、気持ちを整理するために綴ろうと思います。…………今週に入って、「子どもを亡くした親の会」に参加されている方と、初めて一対一でランチをしてきました。その方は、現在60代。アラサーの時に二人出産され、二人目のお子さんを亡くされている天使ママの大先輩で、会でお話しされている時の話しぶりや雰囲気から、「こんなふうになりたいな」とひそかに憧れている方です。その方に私の年齢をはっきり伝えたことはなかったのですが、この日初めて、42歳で次
もはや、『命の次元』でしか生きたくない…どうやったら、この強い望みを実現できるのかとあれこれ考え、夫と話し合った結果、一つの建設的な解として「田舎に家を買う」ことにしました。……私の住環境について少し書くと、もともとは地方都市に、終の住処として家を買っていました。ところが、子育ての都合や、夫が一旦地元に帰りたいと言い出したこともあって、昨年、夫の地元である都市部に引っ越したんです。そのため、今は賃貸マンションに住んでいます。その代わりに持ち家を売りに出していたのですが、この度、売
今から4年前…長男が亡くなって仕事を辞めた時に、個人的に引き受けていた幾つかの仕事だけは残していました。それらは、コロナ禍の影響で3年は保留にできたものの、今年度はいよいよやらないといけないタイミングとなり、都度の〆切と睨めっこしながら、毎回何とかギリギリで仕上げていました。そして、ついに先日、最後となった3月末〆切の仕事もやり終えたんです。本当にギリギリ水準ではありますが、完遂できたことに感無量です。これで、長年携わってきた仕事を未練なく去ることができます。ゴースト社員的に職
振り返ってみると、結局私の妊活に一番必要だったのは、「近いうちに上手くいくだろう、という展望」…でした。渦中にいる時は、対象化できずによく分からなかったけれど、距離を置けるようになって分かってきたことの一つです。「このやり方を続ければ、きっと上手くいく」「ダメだった原因が分かったから、ようやく上手くいきそう」…そんな感じで、現時点では上手くいってなくても、これから先は上手くいきそうという何となくの見通し感覚。それが何より大事だったし、妊活成功に直結する要素だったと感じています。
よく夫にたしなめられるほど、私の妊活に対する熱量は並々ならぬものがあるのですが、それは、長男を失った悲しみの量に比例するのだろうと思います。では、悲しみの量は一体どれほどなのか…少しでも推し量ろうと思い、久しぶりに記念誌を手に取りました。亡くしてから暫くの間は、月に一回、長男を偲ぶ記念誌を作っていたんです。内容は、私と夫がその時の気持ちを綴ったり、写真を載せたりというシンプルなもの。読むのも辛かったので作りっぱなしでしたが、亡くして1ヶ月後に書いた内容を、改めて読み返してみました。