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小京都ぶらり旅編⑦龍野城の「しころ坂」🏯からこちらもフォトスポットでおススメ(o^^o)龍野城周辺の瓦土塀や狭間には、脇坂家の『輪違い♾』という家紋が並ぶ。脇坂安治が使用していた家紋は、「輪違紋(わちがいもん)です。この紋は、「長谷寺」というところが使用していた寺の紋で、そこから派生して武将たちが使用するようになりました。もちろん、この二つの輪が重なっている様なデザインにもちゃんとした意味があります。まず、この二つの輪は「天を表す金剛界」と「地を表す胎蔵
フォロワーの皆さんサワディーカップ。ジェイ(^^)です。本日、ゴールデンウィーク最終日!残念ながら雨ですね。ゴールデンウィークは唯一、月曜日に妻とドライブに行った来ました。兵庫県たつの市の龍野城とヒガシマル醤油の歴史資料館に行ってきました。城下町をゆっくり歩き、リフレッシュ出来ました。人も少なかったです。四日間の引きこもりは、カラダにも精神的にもヤバかった。(^◇^;)皆さんは?何処か?行かれましたか?それにしても、ニュースでは相変わらず紀州のドンファン元妻とコロナ一色です
「豊臣秀吉の一族、子飼いから大名になった”お家”のお城シリーズ」は暫くお休みしていましたが、本日は、「秀吉」に若い時から仕えていた「脇坂安治」の子孫となる脇坂家のお城について紹介します。「安治」は、賤ケ岳の戦いの「七本槍の一人」として有名になりました。その後の働きによって、豊臣政権下では淡路国を任され「洲本城」城主となりました。そして、関ケ原の戦いでは西軍で参加していましたが、「小早川秀秋」の裏切りを見て東軍に付きました。この事が西軍の大勢を崩す要因となり、戦後は家康から領土を安堵されまし