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関連するブログ記事として表示されたのでしょうが、私が述べている事と真逆の様な趣旨であり興味深く拝見しました。ここで紹介されている小林正観氏その人についての批評は差し控え、記事で述べられている思想についてだけ言及します。理不尽な出来事に対して直接、文句の心持ちのままに反応しない事は己を見失わない為にも必要だとは思います。自分にも経験がありますが、そうした平静な心的態度が別の望ましい何かを生じさせる事もあるでしょう。しかし人の人格や魂の向上と共に「試験」として理不尽が起きてくるのが神の摂
他人には気がつかなくても、自分で怒っているとか悲しんでいるとかわかる。通常であれば喜ぶ場面でも自分は悲しく思う等、自分しか理解できない微妙なことを大切にしていく。魂の向上は段階に応じて厳しくなる。残り再生回数3回は標準で6割程度存在している。勝手な予想だが犬や猫から初めて人間になった位と考える。魂の向上を彫刻に例えるなら、3回は大きな鉈やノミでダイナミックに作っていく。劇的な出来事があり、大変な苦労があ
自我は知らず知らずに大きくなっていく。怒りを感じるとき自分の想定と違うから心の底から湧いて出る。その想定は期待から来る。何故期待通りではないのかと。ただ出来事には多くの要素があり、思い通りには進まない。ただ権力を持つと自我はより大きくなり、強制力をもって思い通りにできてしまう。若い頃は権力に反発しながら年を経て権力を得ると、反発していた頃の中年と同じ行動をしてしまう。貧乏なら共産主義