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赤ちゃんとお別れした話を書きます。退院後、市役所に死産届けを提出し、火葬届けの手続きをしてきました。主人だけでもよかったのですが、赤ちゃんの為にできることなので、一緒に着いていきました。火葬をする日までは、赤ちゃんに手紙を書いたり、折り紙を折ったりして、見送りの準備を娘としました。火葬をする日となり、赤ちゃんを迎えに行く前にお花屋さんに寄って、お花を買いました。病院に着いて、赤ちゃんを迎えにきたことを伝え、赤ちゃんの入った小さな棺を持っていった布で包んで渡してくれました。小さくて軽い棺を大事
今日でソラタロウが亡くなって10日が経ちました。少しは落ち着いたのかというと、そうでもなく、まだ毎日隠れて泣いています。最初の、あれが悪かったんじゃないか、これがダメだったんじゃないかという気持ちは薄れましたが、そうすると今度は純粋にこれまで一緒にいてくれたふわふわの可愛い子がこの世界から消えてしまったことが悲しくて、ふとした瞬間に涙が出ます。ペットロスに関する書籍を読んだりしていますが、納得できるようなできないような。死後の世界を誰も見たことがないですからね。本当にそうな
今日は地元の映画館へここは、大手がやらないような作品をやっているが、駐車場の料金がいるので、あまり来ないのだが、今熊本で話題になっている骨なし灯籠を見ることに!ここは、自由席の懐かしい映画館ですがかなりお客さんもいっぱいでしたねー。映画は、熊本の山鹿のPR映画だと思うがそれだけでなく、なかなか面白く出来上がっている。山鹿の町も綺麗だし、何だが行きたくなりましたねー!
四十九日のため、土日で実家に。親戚も少ないので、お坊さんを自宅に呼んで家族だけでの法要。うちは玄関を開けた正面が、ふすまを開け放てる和室になっている。帰宅してドアを開け、いちばんに目にはいるのは母の遺影。毎回、「ただいま、ママ」「行ってきます」と声をかけてきたけど。もうここからもいなくなってしまう。仏壇は家の奥の部屋にあるから、ここはこの四十九日までの場所。信仰心もまるでなくて、どんなにお祈りしても連れて行かれたママの命で。四十九日の意味も良くわからないけど。なんのためのお経な
1時間弱待つと収骨に呼ばれた息子の棺が納められた釜のところへ何日か見続けた水色の棺は跡形もなく熱気の余韻を感じつつそこにはまるで塵のような遺骨が見えた足の骨はよく残っていた病気の前はたくさん歩いたもんね!まだ子供だったからだろう上半身はほとんどわからない頭蓋骨も多少係の方に促されてまじまじと見る印象的だったのは耳の部分がよく残っていたあんだけ放射線あてたのにそこだけ髪の毛も抜けたのに不思議だな義母と父が一緒に拾ってて落としそうになっててイライラ大
辛い表現が出てくるかも知れません。苦しくなる方は飛ばしてください。2016年7月15日彼女はワンボックスカーに乗せられ、火葬場へ向かった。家族全員うちの車に乗り後ろを走った。車中私はお母様にぼんやりしたまま話し掛けていた。後で娘に聞くととても失礼な事を言っていたらしい。「自分にも娘がいて、娘を亡くすと言うことを考えるとどれほど辛いかと…。」みたいな事を言ったそうだ。何となく覚えているが、後から娘に指摘され本当に無神経な事を言ってしまったと…。何故私はこんな事を言ってしまったん
父は散髪をしてもらったようでこざっぱりとしていた。水色のシャツに青のカーディガンを着ていた。今日の差し入れは、ドーナツ。お腹がいっぱいだからあとで食べるとのこと。ずっと食欲がないみたいだ。やっぱりするっと食べられるプリンの方が良かったかも知れない。今日の父は機嫌が悪かった。施設の職員さんの悪口を言っていた。
●49日。49日の過ごし方について質問された時、私は、49日間は、故人が家の中や周辺にいます。少なくともその間は、遺族はできるだけ外出を控えながら慎ましく生活したほうが良く、楽しく笑える事は控えた方がいいです。なぜなら死んだ事が嬉しいととらわれないように。と返答しましたが、他にも霊能者の方が49日について語っている事があるので、今日は、49日について語ってみたいと思います。まずその前に、人は亡くなると、まず戸惑います。今まで人間として暮らして来た様相が一変するからです。な
どれくらい時間を待ったか忘れたけど火葬が終わり、大好きな母は骨になった。火葬炉から出てきた母は肉体が完全になくなり、ただのスカスカの骨になっていた。もう涙は出なかった。お母さん。やっと楽になれたんだね。素直にそう思った。祖母は、「骨になった娘なんて見たくない!」と泣き、骨拾いには参加しなかった。葬儀屋の職員の指示に従いながら、私たち家族と親族。みんなで丁寧に骨拾いをした。子供たちにも、「ばぁばの骨を拾ってあげてね」と声をかけた。少し怖がってたけど、当時9歳、7歳、4
大阪で火葬して、一番大きな骨壺にギュウギュウに詰め込んできた息子のお骨。リビングの、私がいつも座っているところからふと顔を上げると目に飛び込んでくる場所に祭壇を設けて、息子のお骨はそこにある。仕事の合間に…ブログを書きながら…遺影を見ては泣いていた頃と比べると泣く頻度は減ったけど色んなこと考え始めると、やっぱり泣けてくる。我が家はお墓がないからどうしようか?と夫と相談すると、「お母さんの思うようにすればいいよ」と言ってくれた。手元供養で、お骨の一部を
昨日の夜はどうしていいかわからない気持ちのまま…べーちゃんに持たせるお手紙を書いたりべーちゃんに触れてたりまた写真撮ってみたり…そして朝でした棺に入れてあげる花束を予約していたのでAM8:00頃、夫に取りに行ってもらいましたその間、ビデオ🎥全然撮ってなかった‼️‼️と初めて気付き…そこからビデオ撮影スタートでした夫が帰ってきて夫に撮ってもらい、べーちゃんを抱っこして全部の部屋に連れて行きましたべーちゃんが遊ぶはずだった場所べーちゃんのお部屋になるはずだった部屋べ
火葬場に着いてしまった。シンゴの親友は駐車場で待っていた。目を合わせつつも会話はしない。これからシンゴが焼かれてしまう。そんな時に何を話すことがあるんだ。きっと同じことを思っていただろう。棺がガラガラと運ばれていく。「それでは最後のお別れです」背筋がゾクッとした。手も。足も。震えていた。口が乾く。上手く息ができない。喪主の私は一番にお焼香をする。シンゴを見る。まるで他人事のように何も。何も考えられなかった。
妊娠7ヶ月、胎動も強くなってきて日々息切れしながらすごしています。3歳の長女とよく近所の公園に行くのですが、遊びに付き合うのでもヘトヘトです😅そんな中、少し前のことですがお空に帰った赤ちゃんについて久しぶりに夫と自然に話すことができました。なにかのサイトで見つけた、流産や死産したお母さんを支援するためのNPO法人へのクラウドファンディングに、以前お金を寄付させていただいていました。そのことをとくに夫に話してもいませんでした。法人の方からお礼の手紙をいただいており、ダイニ
骨箱、、、、皆さん、葬儀当日に『どの、大きさに、されますか?』と聞かれますが。迷いますね!大概、大中小あります。姉『うちは、納骨するし、小さいのが、良いかな??』妹『あ、せやな、そうしよ』司会者『わかりました。ただ、親族様が、15名いらっしゃいますが。収骨の際、小さい骨箱ですと、小さい骨しか、拾えません。あと、10人ぐらいで、一杯になりますが、宜しいですか??』と、言うと。。。我に返り、、、『あ、ほんまやな!!』と、納得されます。。。大きな骨箱なら
夫が亡くなって、一通りの手続きを終えて一番悩んだのが、お墓についてです。お互い、それぞれの実家のお墓に入る必要はなく、お墓へのこだわりもなかったので、永代供養をしてくれる安い所でいいよね、みたいな話は何となくしたことがありました。でも、具体的な話はしていません。50代でお墓の事なんて、あまり考えないですよね。本当は、骨壺をずっとそばに置いておきたいというのが私の正直な気持ちでした。夫の遺骨があることで、ずっと一緒にいられるような気がしたのです。でも、夫の親
分骨して分けていただいたお骨がある。1つ買っておいた小さな骨壺には入りきらず2つ目を買った。昨日、2つ目の骨壺に、入りきらなかったお骨を入れる作業をした。骨壺にダイレクトに入れるのをやめて小さな納骨袋に入れて骨壺に収めた。ダイレクトに入れた方が空気の隙間があってお骨がそのまま入るような気もしたが納骨袋に入れながらの納骨はどうしてもお骨を多少粉骨しなくてはならずしかも2個のミニ骨壺に全部収めたかったので
火葬場で手に入った骨壺入れが気に入らなかったので、自分で作った。火葬場に行った翌日に仕上げた。ネットで売っているものも気に入らなかったので、作らずにはいられなかった。レシピもないので自己流だけど、ピッタリサイズでできた。本当はもっと、何か他のもの、色々作ってあげたかったよ。骨壺入れのレシピはきれいにしてアップしようかな。ペットとかもこのサイズらしいので、意外と欲しい人がいるかもしれない。20023/3/14追記レシピ…覚書きレベルで力尽きました。『【覚書き】骨壺カバーの作
火葬をしていただく斎場に到着し運転中で赤ちゃんを触れなかった旦那さんも1度、手のひらで抱っこ赤ちゃんをじっと、見つめていたそれを見て、また泣いてしまった産院で用意して頂いた、赤ちゃんが使っていたお布団代わりの小さなレースのハンカチと赤ちゃんのにおいを少しでもつけれたらと思って一緒に寝かせていたもう1組の帽子とお洋服「これ、ママにちょうだいね」と声をかけて用意していた封筒に入れて鞄にしまいはらぺこあおむしのミニタオルをお布団がわりにしました赤ちゃんのために
おはようございます。4月23日本日お誕生日の方おめでとうございます本日は蜆の日だそうです。はい、語呂合わせ4シ2ジ3ミからきています。二日酔いした日の食事は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう蜆ではないのですが以前、貝殻を副葬品で入れたいと言うことが2度ほどありました。蛤、サザエなどがお好きだった故人様のためにと言う方と海岸で拾った貝殻と言う2パターン。食べる貝としてお好きだった場合は身の方を、例えばですがホタ
まだ20代(大学生)の頃、ガンガンイケイケで飲みに行って、店の酒の在庫をなくして「帰ってくれ」と言われたことも何度もありますが、失敗したことも記憶を失くしたこともないです寝てて、気付いたら誰もいなかったことはあります二日酔いになったことももちろんありますというか朝通り越して夜まで36時間飲み続けたこともありますここでちょっと飲み仲間の後輩の話をします酒乱の鈴木(仮名)は、空手の有段者で県大会2位の実力者酔うと、鈴木には破壊衝動が生まれます電話ボックスを素手で破壊したのを見たことが
これは私が警察官をしていた時の話です。今から10年ほど前の出来事で、今は辞めて実家の家業を継いでいます。メッセージを送ってくれたのは40代Kさん、男性である。当時交番勤務をしていたのですが夜の10時を過ぎると夜間パトロールをしていました。その夜は3つ年上の先輩警官と一緒でした。都会ではなく、いわゆるドがつく田舎だったので夜の10時を過ぎると車も人もほとんどありません。しばらく走行していると前方に、ふらふらと蛇行している
母が亡くなって一か月ちょい四十九日の法要と納骨をしてきました桜もあっという間に終わってしまってちょっと動くと汗ばむような暑さ💦母が亡くなってこんなにも季節が移り替わっているんだと実感しました納骨の時先祖代々の骨壺と一緒に小さい15cmくらいの骨壺がありました実は母は、私を産む前に3回流産していて一回は性別が判るくらいに成長していたんだとか男の子だったそうで小さな骨壺に入れてもらったんだ、と生前話していたことを急に思い出しましたあ、あれ私