ブログ記事165件
労働節初日の5/1、かみさんが習っている中国語教室主催のバスツアーがあり、他に予定もなかったので参加する事にしました。行先は広州から車で1時間程の順徳です。今日は疲れたので速報のみで御容赦下さい。最初に訪れたのは清暉園と言う庭園?です。それなりに趣のある庭園なのですが、短パンで行った私が悪いのか脚を蚊に食われまくりました。もう痒くて痒くて「来るんじゃなかった」と思いました。そう思ってる間にも蚊が寄って来ます。中国語の先生が痒み止めの薬を出して「これ塗れば大丈夫」と言
5/1(水)労働節初日です。7時にアパートを出て集合場所に向かいます。連休中だからか、地下道は暗くて人も少ないです。このエスカレータも止まっています。歩いて降りましたが、その先のシャッターが閉まってましたT_T。諦めて地上に出ます。こちらは以前イオンが入ってた建物です。何故無くなってしまったかは不明。中国らしい(?)金ピカのビルもあります。こちらが待ち合わせ場所目印の彫像です。何を意味してるのか?蝉は何なのか?不明です。こちらには登っている人がいます
元就は明応九年(1497)毛利弘元の次男として生まれた。幼名は松寿丸と言った。長男、興元に家督を譲った弘元は、松寿丸を連れて、多治比の猿掛城に移った。猿掛城は、郡山城の西北5kmにある。元就は、物心がつき始めた頃から、27歳で本家を相続するまで、この地で過ごした。多治比時代の元就の不遇の時は、先に述べた。母を五歳、父を十歳の時に失くした元就は幼くして、多治比城主となった。郡山城主、兄、興元は、足利義種の命で、京都にいた。後見人の井上元盛は、多治比三百貫を横領し、元就は、多治比の一隅で暮