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麻酔科医の先生と相談で太い血管に入れて貰うことが出来たのは救急搬送から6時間以上経っていた。集中治療室へ入院になったので面会時間が限られており、一旦帰宅しお昼の面会時間に合わせて再び戻るつもりでした。帰宅してから三時間が経つかどうかのタイミングで病院から容態が変わったので来ていただけますか?との連絡が…。集中治療室へ入ると先生方が代わる代わる心臓マッサージと強心剤投与を交互にして下さってるところでした。そこで主治医から何本も強心剤を試していますが全く反応してくれないんですと言われる。もう楽にさ
こんにちは、現在術後療養中のうさぴこです9泊10日の予定だった入院期間が、予後良好のようで退院が1日早まりました久しぶりの自宅でのんびりくつろいでおります。やっぱり我が家はいいな〜今回の記録も、忘れないうちに記録しておきたいと思います。『子宮全摘開腹手術・入院日記①初日〜病院まで〜』こんにちは。現在術後療養中のうさぴこです本日より一時的に「闘病・入院生活」のジャンルに登録をさせていただきました。都内某病院に9泊10日の予定で入院…amebl
*初めての方*どのくらいかだろうか、部屋で待っていると、先生が戻って来た。虹翔くん、やっぱり呼吸が弱かったので、今人工呼吸器をつけました。虹翔のところへ案内された。ちょっと前に会った時は目を閉じで口をつむって静かに寝ているようだった虹翔。今目の前にいる虹翔は、つむっていた口に太い管が入っていて、管の先は、人工呼吸器に繋がっていた。尿の管、CV、NG、、何本もの点滴。昨日までNGチューブが1つ入っているだけだった虹翔の身体には、たくさんの管がつながれていた。鎮静剤で眠ったまま。さ
今日はコロナの患者さんが運ばれるとの事で私たちの面会は午後2時から3人だけと限定された朝起きると父が家から近い葬儀場をいくつか知らべて資料を印刷してくれていた本当に父はすごい人だ私の父は一人っ子・・父の親である私の祖父祖母が亡くなった時は涙ひとつ見せず1人で葬儀の手配をしたでも最後の火葬場で棺桶が中に入り扉が閉まる瞬間父が聞いたことのない大声を出しながら大泣きをしたのを今でも覚えているそういう父は無知の私
術後2日目の朝、お腹の右下あたりが痛くなりました。自然と痛みが消えるわけではなく、段々段々と痛みが増してきましたナースコールを押して集中治療室の看護士さんに伝えると、背中から繋がってる痛み止めの残量が無くなってる・・と。今までは痛み止めが効いていたからそんなに痛くなかったけど、無くなったらこんなに痛いの〜?ってお腹を抱え込んでいました。それからまたしばらく待たされて、次は主治医のチームの研修医の先生がきて、そのまま背中の痛み止めの管を抜かれました『先生!こんなに痛いのに管をぬくんで
2021年11月29日~30日覚醒後のICUにてICUで一晩過ごさせていただきました.8床ある大部屋で,夜間はベッドの周りのカーテンは閉じられているものの生命に危険が及ぶような循環器系の重症患者さんをはじめ術後の集中管理が必要な患者などを対象に24時間体制で集中的な治療や看護を行っているため,この中にいると昼夜の区別が全くつきません.術後,ぼんやりとした頭で手術が無事に終了したという言葉を聞いたのが午後3時ごろ.肺葉切除にしろ,肺区域切除にしろ
実家から数メートル先の駐車場にパパが車を取りに行き実家の玄関先で車を停めてくれるのがいつもの帰宅パターン数分待っても来ない・・外に出て車がやって来る方向を見るが来ない・・私の妹が見に行ってくれた嫌な胸騒ぎがしたのを覚えている見に行ってくれた妹が遠くから私の方に向かって叫んでいる『パパが』その一言で私は普通じゃない何かが起こっていることを理解した猛ダッシュして停まっている車に行くとパパが運転席で座っている・・助手席の方に顔を向
大蔵省の大腸がんの手術、無事に成功いたしました!!!4時間半を予定していましたが、予定より30分早い4時間で手術を終え、懸念していた人工肛門の装着はなし!でしたーとにかくホッとしました(´;ω;`)もうひとつ心配していたリンパ節の転移ですが、病理検査の結果待ちということで、退院時にはわかるようです。まだ心配は尽きませんが、麻酔から覚めた大蔵省は冗談を言える元気があるようなので一安心♪本人が1番安堵したことでしょう。明日の11時まで集中治療室にお世話になります。ちょっぴり後ろ
母が突然具合悪くなり、朝早くから救急車で搬送されました持病もなく、いつも元気でとても若々しい母なのに、今日はほんとにビックリ嘔吐、めまい、意識混濁で、体温も34℃台もしかしたらこのまま逝ってしまうのかと内心冷や冷やドキドキしてました数時間、集中治療室に入り、医師や看護師さんたちの賢明な処置のおかげで、なんとか助けて頂きました感謝しかありません!!しかし、元気だと思っていても、年齢が年齢なので、かいかぶっていてはダメですね気をつけてみていこうとおもいますまだ間に合う【ポイント2倍】
二度の山場を乗り越えて何とか三途の川を渡らずに引き返し、ドクターの呼びかけに気がつくとそこはICU(集中治療室)でした。大きな手術を終えたばかりの方や重篤な症状の方が文字通り集中して治療を受ける部屋で各部屋ごとに減圧や酸素濃度、心電図や薬剤投与の為の設備などが管理された特別な病室です。面会も厳重な管理のもとコロナ対策もバッチリ。家族も親族のみ。一組15分。大きな手術の後は感染症のリスクも高まるのでその対策をという事です。目を開けて最初に飛び込んで来たのは身体に繋がれたチューブ。数えると1
身体は苦しいわ、でも眠れないわ、でどうしようもなくベッドでぐったりしていると😭1人の若い看護師さんがやって来た。私が運ばれて来た最初から担当してくれた方のようで彼女と私は目が覚めてから初めて対面!😵眠れない私に付き合って、私が意識不明中にあったことを少しずつ話してくれた。「○○さん、運ばれて来た時には本当に危険な状態だったので爪に機器をつけて酸素量も見ないといけないんですけどジェルネイルしていらっしゃっ
救急車の扉が開いた隊員の方からこういう時期なので付き添いは2名まででお願いします・・と言われたこの状況で私と子供2人の中から2名なんて選べない『すみません詰めて乗りますから・・・家族3人乗らせてください』私は必死に頼んだ許可もいただいていないのに私たち3人は大丈夫乗れますって顔でパパの横に既に座っていた隊員の方もそれ以上は言わなかった病院到着までの数分私たちはパパの手を握ったり摩ったり大丈夫大丈夫もうすぐ病院に着く
ICUの階に運ばれたパパは何重もの重い扉の中に入って行ったどういう状態かわからない中で警察の事情聴取が私にも始まったさっき娘が話したにもかかわらず中身が一致するかの確認なのだろうその時私の両親が病院までタクシーで駆けつけてくれた両親の話によると第一発見者である妹が事情聴取現場の写真撮影車のドライブレコーダーの再生確認などで長引いて病院に駆け付けたいが当分無理な様子・・ごめんね妹・・パパを一番に見に行ってくれたのに
娘の彼氏君と連絡先の交換はしていたので娘が一命をとりとめた事、集中治療室に移った事など一応報告はしました。「〇〇が生きてて良かった。全部俺のせいです。最低な事をしてしまった」という返信がありました。楽しそうにパウンドケーキを持って出かけてから、そう長くもない時間で2人の間に何があったのか分からないけど、私にとってそんな事はどうでも良くて。精神的な病を抱えてる娘をちゃんとサポート出来なかった私が悪いんだろうなって思います。とりあえず、一命はとりとめた訳だし「
もうPICU(小児救命救急センター)にめいが入院して1ヶ月が過ぎた。沢山繋がれた管が少しづつ減っていく。腎臓の機能も、おしっこが出る様になってきたので、1ヶ月で、人工透析を終了。栄養は、鼻の管から、直接胃へいく経管栄養に変わった。右足の筋肉壊死の部分は、膿が、沢山出ていたので膿を出す為の管もあったけど、いつの間にか、外してもらっていた。肺🫁の状態は、まだ硬くて、最近まで左肺に気胸があり、そこからも管があったけど、それも終了まだまだ人工呼吸器は、手放せないけど。今尚PICUにいる理
手術当日午後14時30分頃主治医からのコールでオペ室へと呼ばれるこれでやっと、お腹が痛いのと、膨らんだお腹から解放されるわーい手術が終われば退院もできる。恐怖感なんてあるわけない。むしろ、手術が延期になって再びの浣腸と続くお腹の痛みのほうが恐怖白ヤングちゃんに車椅子を押してもらい病室を出るとナースステーションの前で看護師長さんの最終確認が。入院時に手首に取り付けられたリストバンドで・名前・生年月日・血液型の最終確認を行う
翌日、妻からのメールが届く「じゅうでんき」こんなメールでも心が少し落ち着く…少し元気になった証拠であるまた頬を涙がつたうそうか…意識が少し他に向けられるようになり、もしもの時にと看護師さんの計らいで置いてもらった携帯に、私が勇気づけられた早速、午後に充電器を届けに向かう看護師さんが「集中治療室から出られました」と教えてくれる良かった…本当良かった元気になって帰って来れる…なんて思いが湧いてくる少しウキウキ?しながら、家に帰ると「水と焙茶なら飲んでいいと云われたから欲しい
出産後は痛みもそこまでなくスタスタ歩けそうでした。だから歩いて帰ります、はやく子供に会いに行きたい。そんなことを言いながら私「赤ちゃん小さかったですね。赤ちゃんを抱っこしたっていうより、捕まえたって感じじゃなかったですか?」看護師『あは、そうですね』しかしフラつく!車椅子に乗り自室に帰りました。でも不安だからオシッコの管は明日まで入れてて欲しいと駄々をこね。もう子供に会いたくて会いたくて仕方なく…私「いつ子供に会いに行って良いのですか?」看護師『問題ないようなので
2023/11/22集中治療室から病室へ集中治療室にいる時38.3度に発熱した氷枕をもらって冷やしたそんな中理学療法士の偉い人?が白い巨塔の総回診のように白衣で何人かの部下を連れて挨拶に来たよろしくお願いしますと言われても何をお願いされたのか?しばらくして理学療法士さんがリハビリの為に来られたそこで繋がったがわざわざ私ごときに挨拶なんて…リハビリは思うように体は動かず立ってもフラフラして息苦しくなる立つことがてきてしんどくなければ車椅子で病室まで上がろう
17時前に大学病院へ到着救急車を降りると先生や看護師さんたちがわらわらと現れ長男のストレッチャーを押していくドラマで見たことのある光景だ・・・長男に付いていきながらストレッチャーを押す女医さんの質問に答える「症状はいつからですか?」いつから?いつから・・・・・「昨日腹痛を訴えて、今週あざを見つけて、先週は幼稚園バスの中で一回吐いたこともあって・・・2~3週間前に酷い下痢をしたあとからなんだか体調がすっきりしなくて顔色が悪かったり・・・」
その後先生に呼ばれ両親お兄さん夫婦私たち3人も部屋に入ったCTやMRIの写真を見ながら今の状況今後の事・・の説明を受けた短時間で究極の選択を迫られた先生のお話では今は強い点滴の薬で心臓が動いているがそのうち体が弱ってきて心臓も持たなくなります。その時に延命措置を取りますかとの内容だったただ心臓が止まった時強い心臓マッサージなどで肋骨が折れたりご本人様の体を痛めることになります・・との事突然の選択に皆は返答に困
今日は、朝から気管切開の手術の説明が外来、耳鼻咽喉科にてあった。長期で、気管挿管をしたままだと、気管を傷つけてしまって、潰瘍が出来る可能性があるし、自発呼吸もまだ少しなので、やった方が良いという結論になった。気管切開した場所から吸引したり、酸素吸入したりするので、今までより少し楽になるかな。手術は、明日なので、とりあえず午前中でお話しは、終了。電車で自宅へ帰ろうとした頃、救命ICUから連絡があった。お母さん、めいちゃんに会って下さい。即答で、はい。やったぁーめいに会える。看護
なんだかんだと言い訳をして保険証をもっていかなかった私。夜、病院から電話がかかってきた。「保険証を持ってきてください」と看護師さん。そして旦那に代わった。保険証の場所お客さんがくるから連絡して機械が動いたままだから止めてパソコンの電源切って戸締りしていつもとは違う声。いつもとは違う話し方。何を言っているのかはっきりわからない。ショックだった。
「オヤジの熱が40度まで上がり、熱が下がらず集中治療室に…」と、長男からラインがきたオヤジも一生懸命に闘っているのかな祈る事しか出来ないけど頑張れオヤジ
その翌日、腑抜けになった私は「今日も休暇をお願いします」と連絡をした看護師の入院の説明のなかで「患者様への着替や差入の受渡しは、総合受付で行いますので、何かありましたら総合窓口までお持ちください」と言われたことを思い出した着替等はレンタルにしてくれ!と言わんばかりだったのでお願いしたが、靴下やショーツは持参して欲しいとのことだったので、これならば妻の様態を聞くことが出来ると思ったのだ受付時間が決まっているので13:00過ぎに受付に向かう総合受付で受付を済ませると10分程で看護師さ
まだまだ暑い9月上旬。14時33分571g産声なし?24週と2日で産まれました。看護師『お母さん触ってあげてください』触ったらしばらく会えなくなるな…私「夫さん、早くこっちに来て触ってあげて」看護師『旦那さんは後で。お母さん先に触ってあげてください』旦那さんはボーッとしてた。なんて思ってたのかな?なんかすごく印象に残っています。赤ちゃんを少し触るとすぐ保育器の中に入れられました。集中治療室に連れていかれましたが離れがたくすぐにでも追いかけたかった。でもここからが地獄
~ちぴの紹介~現在特別支援学校の小学部4年生重度知的障害・自閉症・睡眠障害・発語少々の強度行動障害認定を受けた男の子です。……………………………………………………重度知的障害児「ちぴ」との暮らし・対策に追われる日常・2021年に新築したマイホームのことなどをブログにしていますおはようございますまさかまさかの事態が次々に起こる新年度まずこちら夫が転勤して通勤時間が以前は90分かかっていたのが20分になって喜んでいたのですが…まさかまさかの通勤手当が0円20分はかかってる
オフィスに寄る必要があったので普段在宅勤務だがオフィスに出勤。仕事終わりにオフィス会議室で新人さんの入社があったので缶ビールを飲んだら普段とちがうドキドキがはじまりました。携帯に備わっている心電図で計ると140くらいまで脈拍が上がったり逆に40まで下がったりと普段とは違う脈に。聞くところによるとその場で急に倒れたようで一度救急車を要請したようだが、すぐに意識を戻したのでキャンセルになったようだ。おそらく自分で大丈夫ですと言ってキャンセルになったんだと思います。この数年酒を飲むと動悸が
9時から手術です。症状は、直腸がんのステージ2か3。遠隔転移はないようですが、リンパ節転移がありました。手術は腹腔鏡で行い、直腸とリンパ節を一部切ってつなぐのだそうです。人間の身体って、切ってつなげるものなんですね。6時に起きて、体温と血圧の測定。いろいろ書類にサイン。手術後は集中治療室で一泊するので、一度部屋開けなければいけないため荷物をまとめてお預けします。せっかく初日に快適にセットアップしたのに撤収なんて!そして手術着に着替えて、むくみどめのスト