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昨日(5月31日)から、メッセージがびっくりするほど寄せられています(コメントでは、応援団から猛攻撃されかねないからでしょう…)。とくに看護師さんなど、医療関係者さんからすれば、「あり得る?」の件だからと思われます。ミミポポさん、本日午後以降、「ICUでの携帯の使用許可を得ています」と、記事のタイトルに付記されたとのことですが、「国の指針違反」との私の指摘を受けてのものでしょうか?本当に(特例的に)使用許可を得ているなら、どの病院なのか、その病院の誰が許可したのか、明示するべきです
ミミポポさんがICUからブログを更新し続けていることに関し、違和感を感じると先ほどつぶやきましたが、「個室の集中治療室ならOK」という、さらに違和感を感じるコメントも寄せられました。各病院の対応はどうなっているのか、少し調べてみましたが、主要拠点病院は「使用は×、電源を切ってください」。市民病院や総合病院など中規模病院も「使用は×、電源を切ってください」。「使用〇」はゼロでした。では国はどのような対応をされているのか。厚生労働省が指針を示していました。2014年に改定された指針
地獄の月末月初が始まるだがしかしまだ入社して2週間しか経っていないフロント社員さんが辞めたいとのこと口だけで体を動かさないパートのケアマネも辞める予定そして入院した社員さんはしばらく休むだがしかし口だけケアマネが入院した社員さんと連絡を取っているらしい入院社員さんはICUに入ったんだって大変だよねしばらく仕事どころじゃないねはて?入院した日本人から電話かかったきたよ?そのあとすぐに施設長に変わったよ?うそ〜だってICUに入ってやっと一般病棟に
ご訪問ありがとうございます母が集中治療室に入りました。前回の話はこちら⬇️『母、集中治療室へ』ご訪問ありがとうございます救急搬送された母はやはり脳梗塞を起こしていて、集中治療室に入ることになりました。続きです。前回の話はこちら⬇️『やっぱり脳梗塞だった…ameblo.jp集中治療室で、母の容態はとりあえず安定しているということで、看護師さんから帰ってもよいとやっと許可が出た。母はまだ眠ったままだ。入院に必要な物が書かれたプリントを渡されて、明日持ってくるように言われる。集中治療室
ご訪問ありがとうございます救急搬送されて集中治療室に入った母ですが、翌日、不安な思いいっぱいで病院へ行くと、そこには笑顔の母が。前回の話はこちらです⬇️『集中治療室の母に奇跡?!』ご訪問ありがとうございます毎日、暑いですねー🥵皆さん、そしてご家族にご高齢者がいる方は熱中症にくれぐれも気をつけて下さいね!さて、母が救急搬送された同じ日に叔…ameblo.jp母が奇跡のように元気になっていて、ホッとした。脳梗塞だったのに、麻痺もないなんて!本当に良かった。その日の夜は試験が終わった息子にも祖
ご訪問ありがとうございます毎日、暑いですねー🥵皆さん、そしてご家族にご高齢者がいる方は熱中症にくれぐれも気をつけて下さいね!さて、母が救急搬送された同じ日に叔母も救急搬送されてしまいました。前回の話はこちら⬇️『叔母も緊急事態?!まさかの再入院』ご訪問ありがとうございます母が集中治療室に入りました。前回の話はこちら⬇️『母、集中治療室へ』ご訪問ありがとうございます救急搬送された母はやはり脳梗塞を起…ameblo.jp今日は集中治療室に入った母の話のつづきです。集中治療室に入った
2023/11/21集中治療室手術後目が覚めた時には集中治療室にいた一人の看護師さんがずっと付きっきりでいてくださった女優さんかモデルさんかというくらい綺麗な看護師さんそんな事を考えながらなかなか眠れず…電気消してもらっても眠れず麻酔がまだ効いていてほとんど痛みを感じなかったので寝返りもへっちゃらな感じで何時間おきかに右向いたり、左向いたりしてクッションを挟んでくれたりした無性に喉が渇いて水が飲みたかった目覚めた時に主人がいて「喉渇いた」と言ったけど手術
Ray(レイ)です。10年前心筋梗塞で緊急手術を受けました。退院する前日に執刀医から当時の説明がありました。「2~3回はもうこれまでか💧と思いましたよ。」「良くここまで回復できて嬉しいです。」「あの時はやるべきことは全てやった。生きろ‼️生きてくれ❗️と何回も思いましたよ。😃」最初の手術から59日めの退院前日での説明でした。Dr.は当時をよく覚えておりました。症状は、・3本の冠動脈の最左側の血管は完全に塞がり心臓の3
(前回のつづき)手術のあと、ICUには丸3日いました。胸骨を切る開胸手術のあとだから相当強い痛み止めを投与されていたのでしょう。私は新生児のように眠りつづけ何かの刺激を受けたときだけ目を覚ましてすぐにまた眠るということを繰り返していました。(たぶん何かの処置のあと)「ここにナースコール置いときますね」という看護師さんの声で目が覚めえ?ナースコール?どこ?と、思っているうち、また眠ってしまう。「私、シノミヤさんが
術後、声を掛けられストレッチャーで意識朦朧としながらもすぐに「今何時ですか!?手術できたんですか!?」と聞いた私。看護師さんがびっくりして「先生!患者さんが!」と言ったのを覚えてます(この時点で皆さんまだまだぼんやりしてるそうな…)。先生が「腫瘍が思ったよりちゃんと取れたよ!手術して良かったよ!」と答えてくれたのもはっきり覚えています。午前中でしたが、この日はそのまま集中治療室へ。スマホも本も何もなかったので、看護師さんが用意してくれたラジオに救われました。クリスマス前だったので延々クリ
麻酔科医の先生と相談で太い血管に入れて貰うことが出来たのは救急搬送から6時間以上経っていた。集中治療室へ入院になったので面会時間が限られており、一旦帰宅しお昼の面会時間に合わせて再び戻るつもりでした。帰宅してから三時間が経つかどうかのタイミングで病院から容態が変わったので来ていただけますか?との連絡が…。集中治療室へ入ると先生方が代わる代わる心臓マッサージと強心剤投与を交互にして下さってるところでした。そこで主治医から何本も強心剤を試していますが全く反応してくれないんですと言われる。もう楽にさ
朝イチの手術でした手術室へ行く前に、なんか麻酔の慣らし的な?忘れたけど注射をしてベッドごと移動しますね~ってもう、そこからは記憶ないんです尿道カテーテルは知らない間に入ってたよパンツは脱いだのか覚えてないT字帯ってのを用意してたのですがそれを着けたんだか、どうかも覚えてないT字帯ってほっそいヒモだけど何のために着けるんだろうね?なんか無くても差し支えないような…?あ、子宮筋腫のときは、ティージィーパンツってやつをはかされてましたね↓これ【在庫】白十字ティージーパン
ご訪問ありがとうございます倒れていた母は何とか救急搬送されました。前回の話はこちら⬇️続きです。『母、救急搬送される』ご訪問ありがとうございます母のもとを訪ねた私の目の前に衝撃的な状況が...前回の続きです。前回の話はこちら⬇️『目の前の衝撃』ご訪問ありがとうございます叔母の…ameblo.jp看護師さんが来て、病衣に着替えたので着ていた服は持っているように渡された。それから診察室に呼ばれ、既往症や倒れた時の様子などを聞かれる。救急外来で、総合診療科の若い男の先生だった。「検査
2024年4月24日胸腔鏡手術当日です。前日夜から絶食し11:00くらいに妻に見送られつつ歩いて手術室へ。手術室入口で確認後、入室し手術台に寝っ転がる。いろいろ刺されたり呼吸器付けたりして眠くなりますよ~と言われて気づいたら集中治療室でした。まあ胸は痛いっちゃ痛いけど思ったほどでもなかったです。気管支鏡検査の方が辛かったくらい。呼吸器装着酸素40%胸腔ドレーン点滴尿道カテーテル等々とりあえず次の日まで集中治療室で安静にして尿道カテーテル外してもらってから
詳しく書くと辛くなるので色々省略します結果、息子はこの数日後、集中治療室で数日過ごします右半身麻痺と言語障害が残りました退院当初、右半身は全く動かず、あることすら、忘れているような感じでした話すことも忘れてしまったかのように全く話しません言葉の概念がなくなってしまった感じ〜をするために使うものとはわかるものの名詞が出てこないっていう感じでしょうか私のことも呼びませんすべて私のせいごめんね、息子だけど、頑張るからあなたのためなら何でも頑張れる絶対に諦めない必要とされる
*初めましての方*次の日。夕方になって看護師さんに今日の様子を聞いた。朝1回吐いちゃったみたいだけど、その後は順調にNGからミルクを入れられたらしい。1回自分でNGを抜いちゃって入れ直しをしたと聞いて、抜ける元気があってよかった!と思った。でも、全然笑わないって言ってた。寂しいよね、辛いよね。辛い時にそばにいてあげられなくてごめんね。早く治していくから、待っててね。ベッドに横になっていることしかできない自分が本当に本当に情けなかった。一緒に倒れてどうする、自分の健康管理もできないな
2018年5月定年退職しました。親友に誘われて始めたハンドメイドも少しづつイベント出店したり試行錯誤しながらの楽しい日々です。やっぱり物作りは楽しい‼︎と改めて思いました。7月の定期診察でも咳も痰もなく落ち着いていましたが、8月初旬から咳が出る様になりなんとなく嫌な予感がしていました。8月末には中学からの友人たちとのホテルお泊まり会の予定があるのでそれまでに悪化しない様にと祈る様な気持ちです。8月22日の夜夕飯の支度をしていたらゴホッと嫌な咳洗面所にダッシュ💨あぁ〜また洗面
このよく分からない先生は私に向かって👨⚕️:「背中痒い?少し皮疹があるね👀」🙍♀️:「はい、痒いです😯」👨⚕️:「気持ち悪かったりはしない?」🙍♀️:「ないです。痒いだけです。」👨⚕️:「タリオンの点滴するね。そしたら大丈夫だと思うから👀」🙍♀️:「はい、お願いします🙂」ちなみに股関節鏡の手術をした際に入院中私の主治医になっていた呼吸器内科のY先生とは、この時初めて会ったのです。なのでY先生に対する第一印象は「えーーーなにこのひと😐」でした。
救命センターのICUで過ごす夜はとても長くて心細くて看護師さんも忙しいのを分かっていながら付き合ってほしくて、なんとなく居て欲しいオーラを出していた。看護師さんが少しでもベッドを離れるときは必死にナースコールのボタンを探して握りしめた。モゾモゾしていると、看護師さんが戻ってきて言った。「○○さん、歯を磨いてみます?」は?歯??「気分がスッキリするかな、と思って。」
入院手続きを済ませ看護師さんに連れて行かれたのは集中治療室。明日一般病棟の準備が出来たらそちらに移りますので、今日はここで。集中治療室は男女分かれてないんですね。パーテーションはもちろんありますがご年配の男性が多いみたいです。この時点で止血剤の点滴や血中酸素飽和度を測るパルスオキシメーター(この名称最近知りました💦)をつけられているので、病人なのねと自覚。病院内のコンビニも閉店している時間なのでスマホの充電器もメイク落としも諦めました。喀血したのが夜7時過ぎで集中治療室のベッド