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ご訪問ありがとうございます今日で丹波(丹後)の謎ときは最終回となります。そこで、「古事記」「日本書紀」では丹波はどのように描かれているのか、見てみると「四道将軍」と「浦島太郎」、あとは雄略天皇にお父さん(雄略天皇のライバルのオシハワケ王)を殺されたオケ・ヲケ王の一時避難的な亡命先ぐらいしか出てきません。ところが系図の方には何人もの丹波関係者が現れていて、しかもその登場は日子坐王系譜と、父開化天皇(第9代)に集中しているのです。そこでまず開化天皇の系譜を見てみるとまず丹波大県主由
(竹野神社・齋宮神社)■表記記…竹野比売(タカノヒメ)紀…竹野媛他に丹波竹野媛とも■概要第9代開化天皇皇后。ところが第11代垂仁天皇に嫁ぐ予定であったが容姿が叶わず追い返されたのも竹野媛(5人姉妹は妃となり竹野媛のみ追い返された)。偶然の神名一致なのか、あるいはともに丹後出身であり、系譜混乱または作為的なものである可能性も。ここでは開化天皇皇后の竹野媛について記します。◎竹野媛は丹波大県主(丹後初代国王)の由碁理(ユゴリ、=建諸隅命、天火明命七世孫)の娘として生まれます。
東大寺(とうだいじ)の転害門(てんがいもん)前を奈良街道にそって北へすすみ佐保川(さほがわ)の手前から狭い路地にはいってゆくと佐保姫(さほひめ)神社があります。春の女神とうたわれ春の季語にもなっている佐保姫(さほひめ)を祀る神社だそうです。いまでは、このようにちいさな祠で祀られるばかりというのも驚きです。このかたもまた、忘れさられようとしている女神さまなのかもしれません。奈良盆地の北にたたずむ平城山(ならやま)丘陵の東側一帯はかつて佐保(さほ)