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助けを求めて、夫のご実家に避難することにした。命からがら到着した。部屋で一人いた時、急にじっとしていられなくなった。脳がギューっと凝縮した。部屋をグルグルと回りだした。(アカシジア?)窓から飛び出して、叫びながら近くの商店に飛び込み、商品を片っ端から強奪して回るのではないかと恐怖が襲った。もう、自分で自分をコントロール出来ないと思った。理性を失い本能のまま行動し、犯罪をやらかすのでないかとどうしていいか分からなくなった。その時5秒くらい、一気に子供になっていく瞬間
△▼°△▼°△▼°△▼°△▼°△▼°△▼°△▼°△▼実家で待っていたのは義弟だった。事件後義弟は何度か実家に来てくれていた。義父と違って義弟は来るたびに私の両親に頭を下げた。そして子供たちの事、私の事をとても心配してくれた。社宅の片付けが進まない事を話すと義弟は仕事を休んで手伝う…と言ってくれた。『自分が来ると私の両親が嫌な思いをすると思い実家に来ることはためらっていた。』と義弟は話してくれた。でも、今の私の状況と子供たちの事を私から聞くと『ご両親には
◆・★・◆・★・◆・★・◆・★・◆・★・◆弁護士さんから『接見ができます。』と連絡があった。私は弁護士さんとの約束の時間より少し早めに警察署に行き捜査一課に立ち寄った。佐々木刑事が私を見つけて小走りに駆け寄ってきた。佐々木刑事『○○(私の苗字)さん。おはようございます。』私「おはようございます。今日、夫に接見できると弁護士さんから連絡があり、約束の時間には少し早いですが…佐々木刑事さんにご挨拶をしてから…と思いまして。」佐々木刑事『そうでしたか…。…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆「ごめん」と言って夫はまた下を向いた。私『夜中に突然、刑事と警察が来てあなたの事を「逮捕した」と言われて家宅捜索された。辛かった。子供たちは訳がわからないまま実家に連れていかれた。毎日不安にさせてる。私も訳がわからない。私、共犯者として取り調べ受けていたんだよ。知ってる?何でこんなことになったの?』止まらない涙…。しはらくの間があって「俺だって!」夫が話始めた。「俺だって、なんとかしようと考えてきた!ある日、知らない所から脅し
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇夫は義父の自慢の息子だった。勉強がよく出来た息子だったそうだ…。私の実家に来て何故か息子の自慢話をする。鉄格子の中に居るのにもかかわらず…。私に内緒で夫が借金したことには何も触れない。確かに勉強は出来た。(有名な進学校に行っていた)そして良い会社にも就職出来た。だから…何?今では…自慢の息子は犯罪を犯し、逮捕され…たくさんの人達に迷惑をかけ家族はお金もなく放り出された。私や子供たちには何の声もかけない。それどころか自分の
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆検察官の事情聴取…二回目検察官の前に座る。前と違って検察官の表情は穏やかだった。『ご主人、昨日ここに来て罪を認めましたよ。泣きながら謝っていました。』…そうなんだ…。『これから裁判になりますが…奥様、ご主人を支えてあげてください。』……支える?…私が…夫を?私の気持ちは穏やか…ではない。いろんな事柄がぐるぐるぐるぐるぐるぐる……夫は起訴されて裁判になる。事件から夫は法によって守られているので非難の的は全て私。
ずっと檻ごしに向こうを見つづけてきたあまりに衰えきってしまったその目ではもう、何も捉えることができない。目前には千本の格子が並ぶとも、千本の向こうには世界はないと変わらない。しなやかな足腰と、敏捷な足運びで、なせるかぎり小さくすぼませた環をなぞってゆく、その様は、まるでその遠心力のこめた舞踏に、雄々しい意志が封じこめられたようだ。ただ、ときたまその瞳が静かに大きく広がって、そんなある一瞬すきに、ひとつの映像がはいりこむ。それは四肢のしずかな緊張をかけめぐり、やがて心臓に
つづき書きます。朝食は先日と同じで生温いお茶と味噌汁とコンビニやスーパーで売ってあるクリームの入ったパンだった。私はクリームパンは食べれないので味噌汁だけをいただいた。留置されている方に流石に本日はでれますかね?と尋ねたら多分大丈夫ですよと言って頂いたので安心感はかなり向上した。もう1人の方は韓国の方で日本語が全く分からないのでほとんど喋ってはいない。昨日は緊張やストレスでトイレの大の方は行ってなくこの日の朝は流石に行きたくなって用を足した。トイレは部屋に便器があるだけと思っていたが
◆◇°°◆◇°°◆◇°°◆◇°°◆◇°°◆◇°°◆◇°°『バカ』の文字を心に刻み込まれ私の気持ちは常に不安定。でも、新聞に載るのも、ニュースで流れるのもこれが最後……もう、無いはず。子供たちを脅かす事は多分、ないだろう。そう思うと少し気持ちが楽になった。裁判の後私は、義父や義弟と共に夫が残した【犯罪の瓦礫】の後片付けに走り回った。夫が務めていた会社をはじめご迷惑をおかけした方々の所に行きお詫びをして歩いた。どのようなお叱りの言葉もお受けしようと思っていた。
■□。■□。■□。■□。■□。■□。。。。刑務官に連れられて来た夫……この人………『夫』?と、一瞬思ってしまった。灰色の囚人服自慢だった栗色の髪の毛は跡形もなく…丸坊主。着る物と髪形でこんなにも違う人に見えるなんて………顔色も悪いし表情も悪い。私は………何とも言葉には言い表せない複雑な思いだった。鉄格子の向こうにいる『夫』は事件の残骸を残していなくなってしまう。目の前に座った『夫』は…無言。義弟が口を開いた。『お前、そふぃあに"刑が重すぎる"って言ったんだ
■。□。■。□。■。□。■。□。■。□。とんでもない事をしてしまった……。精神状態が滅茶苦茶だった私。それでも引っ越ししたので住所変更をしなければ…と思い市役所へ。そして何を考えていたのか…私は世帯全員の住所変更をしてしまった。家族全員……夫も含めて……私の実家に変更してしまった。そして鉄格子の中の夫に面会に行き住所変更した事を話してしまった。本当に馬鹿な私。判決の日私は自分の取った行動(住所変更した事)を激しく後悔する事になる。❀°。✿°。❀°。✿°
こんにちは。本日からぼちぼちとブログを書きたいと思います。昨年2月某日私はとある事で約二日間留置所に軟禁されました。土曜日と日曜日の間の夜中2時ごろから留置所に入り月曜日のお昼頃までお世話になりました。某留置所に到着しまず持ち物検査や身体の隅々まで観察されて(恥ずかしく所まで)しまいました。立ち替わり入れ替り人が入ってきてたわいも無い事を話し本日の夜は終了(就寝)と言うことになりました。その後鉄格子の中には諸先輩方お2人寝てあり音を出来るだけしないように眠りにつきました。とは言っても
つづき書きます。初めの方に鉄格子の中のお話はしたので省きながら書きます。取り調べの中では色んな事を聞かれどうして犯行に及んだのかや丹念に聞かれた。1人の刑事が白い紙に書きながら質問攻めで聞いてきてちょっとしたら部屋を出て行って多分一緒に飲んでいた後輩に連絡を取りながら裏を取っていたらしい。後で後輩に聞かされた。昼に一度鉄格子に戻され昼食を取るように言われたがまた食欲がないのでほとんど残した。昼食内容は仕出しの弁当でご飯の入った箱とおかずの入った箱でとにかく美味しくなかった。昼食時には
つづき翌朝早朝私は凄い大きな声で起きました。その声の主は留置所の中で仕事をされてある担当さんでした。意識も朦朧としながら起き上がり周りをキョロキョロして自分が捕まったという事をまじまじと認識しました。周りを見ると20代の男が2人私に話しかけてきました。まず布団を鉄格子からでて直すように言われ布団を畳んで鉄格子を出ようとしたらその前に担当さんが私の身体をボディチェックから始まりまた布団を返して戻って来てまたボディチェックがありなんとも犯罪者というのを改めて感じました。鉄格子の中に戻って
その後掃除が終わり日本人の諸先輩に一日の流れを教えてもらいました。その後朝飯が運ばれてきて鉄格子の下にある小さな扉から味噌汁とクリームパンが配られた。私はクリーム系のパンが食べれないし捕まったという現実で食欲がなく周りの方達に食べてもらおうとしたら鉄格子の中での受け渡しは上下関係に関わるらしいので断られそのまま食べずに置いていた。留置所での私の番号が18番。9時に担当様から18番取り調べと言われ鉄格子を出てその時に手錠と腰縄をされて2階から1階に連行され取り調べ室に連れて行かれた。また
この土日は公休!ということで、またまた懲りずに心スポ&パチ屋巡りの旅へ!今回は北陸です。↓↓↓昨日土曜日の午前4時半に出発!心霊スポット巡り第48話!石川県の旧無患子(むくろじ)トンネルへGO!北陸道石川県の小松ICで降り一般道へ↓↓↓高速を降りて能美方面へ一般道ですが田舎なので交通量が少なく、信号もあまりないので皆さん80㎞走行でしたw新無患子トンネルを抜け、目的地付近に到着!新無患子トンネルを抜けた所に駐車場があり、そこに車を停めあとは歩いて向かい