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4月も最終日早いですねぇ日々、楽しみを見つけることが大変ですおひとり様ツアー鹿児島空港から最初の観光は西郷公園鹿児島はどこに行っても西郷さんの所縁がありますね坂本龍馬の所縁が多いのもけっこう不思議でした駐車場から公園を見るとん大きなせごどん、見えません通路を通って公園内へいらっしゃいましたでかっ近づいてみますよこっちを見てると思ったら鹿児島空港に向いているそうです近づいたら陽が差しました大きな西郷さんに惹かれますが空港側には案内所や資料展示があ
霧島市日当山にある空手道場🥋☝︎新しく出来たダイレックスの近くです*ˊᵕˋ)੭ナント...あの『嵐にしやがれ』で長渕剛さんと相葉くんがロケで来られた道場なんです!新保さんが空手を始めたきっかけは高校に入ってから「どこにいても困難はあるし、そこに対して逃げるのではなく向かいたい」と精神的にも強くなりたいと思って始められたそうです。きっと、男の子は「強くなりたい」女の子は「きれいになりたい」って思うのと似ていて本当の綺麗って心の持ち方や周りへの気遣いとかだと思うんですよね
【問題】新納忠元が定めた規範で、その後の郷中教育の基礎にもなったものとは、次のうちどれか?【選択肢】『二才咄格式定目』『宗竺遺書』『高山公遺訓』『異見九十九箇条』【正解】『二才咄格式定目』【解説】忠元は島津家中において、文武両道の人物として知られる。晩年に定めた『二才咄格式定目(にせばなしかくしきじょうもく)』は、その後の郷中教育の基礎として用いられた。
年上が下の子を教育すると言う-実戦武道空手武心塾のブログbushin.jp郷中教育薩摩武士の子どもたちは、一日のほとんどを同じ年頃や少し年上の人たちと一緒に過ごしながら、心身を鍛え躾・武芸を身につけ、勉学に勤しんだのです。年長者は年少者を指導すること年少者は年長者を尊敬すること「負けるな、うそをつくな、弱い者をいじめるな」ということなどを人として生きていくために最も必要なこととして教えました。
西郷隆文氏の心に響く言葉より…薩摩は昔から「武の国」として知られながらも、他国のように深い堀や高い石垣、堅牢(けんろう)な城に頼らず、城はあっても、あえて城楼も天守閣もつくりませんでした。これはもちろん、城の背後を城山という天然の要害が護(まも)っていたこともありますが、人間こそが不落の城であり、人間こそが堅固な石垣であり、人間こそが長大な堀である、という独特の人材登用と育成を大切にする慣わしが、あったからでした。薩摩の郷中(ごじゅう)制度は、薩摩の歴史とともに受け継がれ、