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ねこポーズオペに向かう準備をして部屋を出ようとした瞬間リラックスするためのにゃんポーズ術後の翌日点滴をしながらゆっくり歩くリハビリ開始夕方には点滴が外れ喜びのポーズ翌朝7階の部屋から1階まで階段を往復術後3日目で7階の部屋から階段で1階まで降りてコンビニでコチラをGET病室でのリハビリのおかげで退院も1日早く出来ました今日みたいに天気が悪いとだるくなったりお腹が少し痛くなったりしますがそんな時は我慢しないでマルオレちゃんと一緒に横になっています今まで
みなさんこんにちわ、小松あやです。無事、夫が退院しました皆様、たくさんの励ましとご心配を本当にありがとうございました。術後、夫が病室に戻ってくる前に、ドクターからの説明を受けたのですが、「開けてみたら、思ってたよりも深刻な状態で、結構、手間ひまかかりました。靭帯も何重にもダメージを受けてましたし、長年、何十回と繰り返してきた脱臼のせいで、軟骨もボロボロでした。まあでも予定通り、手術はできました。」とのことでした。
無事母子共に退院しました。私は2泊しか入院していませんが、やはり初日の夜は長女のベイが寝る前に私がいない事を思い出して寂しくなって1時間ぐらい泣いてしまっていたみたいです。そして私達が心配していたのは次女が産まれてベイが嫉妬しないかという事。その事について夫婦で事前に話し合い。ベイファーストにしてベイにたくさんの愛情を注ぐ事で次女にも愛を持って接してほしい✨次女ばかりにならないように気をつけよう!と決めていました✨となりのトトロは親がそのようにお姉さんに接していて
前回の記事です⬇︎ネイボール(Neyball)『《9》不妊治療の待ち時間』前回の記事です⬇︎ネイボール(Neyball)『《8》夫婦で通院できる幸せ』⬇︎前回の記事ですネイボール(Neyball)『《7》坐薬』⬇︎前回の記事ですネイ…ameblo.jp妻のお話です。用意された手術着に着替え、ベッドで待っている間、ピース写真をくれました。内心はドキドキだよ!!!しばらくしてまた呼ばれると、ドラマで見るような手術室と分娩台があり、そこに乗りました。男性の先生が採卵をして下さり、女性の
数あるブログの中からお越しいただきありがとうございます♡2人の子ども、兄(中学生)妹(小学生)と3人で生活している40代ママです🫶パパは単身赴任中で絶賛ワンオペ中!食生活アドバイザーの資格を取得後、陸上を頑張る息子の力になりたくてスポーツフードアドバイザーの資格取得。家族の食事サポートをする中で、栄養素のバランスだけでなく、子どもの成長や家族の体調、その日のコンディションに合わせ、「食」を通してココロが豊かになるような、五感で楽しめる料理を作っていきたいと思ってます♡Amebaブログでは
夫が退院したーーーーーーーーーー当初2週間は入院かもと言われた時は私も倒れそうになっだけどよかったよ、、本人は死を見た、といっていた🤣大袈裟!笑長かった、、悲劇のあの日から約1週間、、光上せあら『夫が倒れ救急車で搬送、入院。どうしようか』おはよう御座います。壮絶な朝を迎えています。実は昨晩夫がぶっ倒れて意識不明となり私が救急車を呼び、搬送。そのまま入院となりまして、、下手したら治療のため2週間…ameblo.jp痩せて帰ってきた🤣初日のご飯はこれだったところから今日の朝はこれに
前回の記事です⬇︎ネイボール(Neyball)『【1】退院後は母が迎えに来ました』前回の記事です⬇︎ネイボール(Neyball)『〈12〉ご報告』前回の記事です⬇︎ネイボール(Neyball)『〈11〉抗がん剤治療』前回の記事です⬇︎ネイボ…ameblo.jp僕が、食べ物をあげたら、心配のコメントを頂きました!ありがとうございます!まず、冷凍弁当のこと。退院したばかりなのに、冷凍弁当!?と驚かれた方もいるみたいなんですが、、、退院直後は義母が僕の糖尿病(かもしれない)ことも気遣って
「命名式本を片手に候補は3つ」byすべて採用3つ子の名前、どうやって決めたの?大変だったでしょ?と聞かれることが多い。こんなかんじー。みつご事件簿ー入院編ー・「もう、搾乳機(さくにゅうき)、家に届きましたか?」「お名前も、区役所に届けましたか?」担当看護師さんがいろいろ心配してくれる。はい。ありがとうございます。3か月の入院生活も終わる。始まりは、地獄のスタートだったが、終わりは笑顔だ。前半は暇
今日も夜は痛みで寝たり起きたりの繰り返し。薬飲んでてこんなに痛いってことは薬飲まなかったら失神してしまうんじゃない?www日中はYouTubeみたり他のことしながら過ごしてるから気は紛れるけどそれでも痛みとの戦い。こんなに痛いなんて想像してなかった。いや、覚悟はしてたよでもこんなに辛いなんて…ほんとにこの先に明るい未来は待ってるのか?って疑いたくなるほどの日々。耐えるしかない状況がほんとに辛すぎる。こりゃ来年、その先の未来も一生風邪ひかない一生喉が枯れ
2018年12月、妻に癌が見つかり長く短い闘病生活が始まりました。癌発覚と同時に妻は毎日、日記を書いてました。闘病中の妻の思いをノートの記述を通して紹介したいと思います。(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・朝36.5℃。昨夕も平熱だった。今回の胆管炎は抗生物質が効いているのか?高熱も1~2日で治まった
~ダウン症と宣告されました②ダウン症の疑いの告知~記事の続きです。ダウン症の疑いの告知を受けて、血液検査をお願いしてから、入院期間は、その後3日間ほどありました。(その「3日間の孤独」については、また記事にしたいと思います。)母子で病院を退院してからのその後の3週間ほどは、ダウン症かもしれない。そうじゃないかもしれない。という考えの間を行ったり来たり。。。気持ちが翻弄し続けました。筋力が弱いというけれど、けっこう足を蹴る力があるから、筋力も結構あるのでは?顔つき