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あぴこのブログに遊びに来ていただきありがとうございます当ブログは、来春に北海道移住を目指すアラフォーが日々のことを書き留めたものです。||おすすめ記事||私と家族の紹介札幌移住したい理由アメトピ掲載されました!ムカついた夫の言動その3我が家のラン活<2>ラン活の心得子連れ札幌旅行2日目おばさんになったと感じた瞬間イオンモール札幌苗穂のリトルプラネットへ!いつの間にやら3歳次男がすっかりはまっていたY
相変わらず、SnowManファンは、マナーが悪いですねしかも、それを当たり前のように、SNSにアップする本人はマウントをとってるつもりなんだろうけど、思いっきりマナー違反ですからね?空港での出待ち・追っかけは当たり前化してるよね〜かなりの至近距離で、撮影してるし、ストーカーばりに、後ろにくっついて撮影してる輩がいたけど、それに気付いたメンバーが、一瞬怖い顔して、カメラを睨んでたことに、撮影者気付いてた?いや…気付いてないというか、見えてないんだろうな『近くで撮れた!震えた!』
さて、続きます。1976年(昭和51年)2月4日(水曜日)ニッポン放送・・たぶんこれが正式名なんだと思いますが、日記には「日本放送」って書いてあります、有楽町にありました。「日本放送」入口20センチ位PM:1:50入りGパン、チェックのジャンバー、チェックのマフラー、白いYシャツ、ベルトあらいたての髪の毛でとてもきれいだった。思い出すのは後ろ姿ばかり・・・昨日よりとげとげしくなかった。
今日も、ネットニュースなどをじっくりと読む時間が長くなった。ところで、明日は1月7日の「人日」の日で、「七草の日」でもある。〝だから何〟と問われても困ってしまうが。最近の若い人たちは、私から見れば〝イベントごと〟が大好きだけど、それは自分や家族にとってのプライベートなイベントであって、外部に開かれたイベントではないと思う。外部に開かれたイベントの最たるものは、近隣の神社のお祭りであったり、『初詣』などのような、決まった生活サイクルの中にある〝イベント〟であったりすると思う。それ
こんばんは今日は和裁のお話です私は和裁教室に通っていて、今は紬地の袷の着物を縫っています仕立てをするにあたって、色々なバリエーションがある反物なので今日はそのことを中心に書いていきます私が縫っているのはこの反物です頂き物の反物です生地が薄い紫〜濃い紫のグラデーションになっていますちなみに証紙はこんなかんじ頂き物なのでよく分からないのですが、手織りらしいですこういった左右が違う反物は、仕立て方で
ジュリ友のえっぴょちゃんからLINEが届きました。✒️ミルミルちゃん〜懐かしいお話しありがとう~。ミルミルちゃんの日記で、自分の記憶を呼び覚まされています。前回のブログ読みました。私はこの5月16日の、大阪厚生年金会館に行っています~。このコンサートを観るために、コージーのつけまつげを買って応募したような記憶が…👀このコンサートで印象に残っているのは、白地に赤の大きい水玉の衣装で、『ブランコ乗りの〜』みたいな悲しい歌詞の切ない歌を歌ったのを
「沢田研二27才職業歌手」テレビ史上、最も書画期的な音楽番組と言われた「サンデースペシャルセブンスターショー」が始まった。アーティスト一人で90分出ずっぱり、正真正銘のワンマンショーである。そんな番組のトップバッターとして選ばれた出演者こそ沢田研二、その人だった。1976年2月15日から7週間にわたって、日曜日の19時30分~21時にオンエアされた番組でした。沢田研二はこの時27歳。近づくとオーラが漂っ
1976年4月26日(月)フジテレビ・「夜のヒットスタジオ」今日生まれて初めてジュリーと握手をしました💖💖「あのジュリー、あく手してください。」私は左手をさしだしました。ジュリーは右手「ありがとう。」・・やわらかかった💖その後、私はスタジオの中に入って~リハーサル中のジュリーを真正面で見てました・・ニコリともしないで、グルーッと見回すあの目✨️👀✨️ズッーとジュリーだけを見つめていると、少しだけあの目