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思い出のプロ野球選手、今回は「柳田豊」投手です1970年代初頭から80年代後半にわたって、西鉄や近鉄などパ・リーグに在籍し、特に近鉄のリーグ連覇には主力として優勝に大きく貢献し、細身の身体に独特の上半身をひねったサイドスローから繰出す投球で通算110勝を挙げた投手です。【柳田豊(やなぎだ・ゆたか)】生年月日:1951(昭和26)年8月31日入団:西鉄('69・ドラフト8位)経歴:延岡商高-西鉄・太平洋('70~'74)-近鉄('75~'87)通算成績:531試合
よく閲覧しているインターネットサイト『現代ビジネス』から、気になった話題をご紹介します第一話野球界で“鈴木”姓に強いこだわりを持っていた男…同姓の選手に言った衝撃の一言(二宮清純)@gendai_biz約500年後に、日本人全員の名字が「佐藤」になる――。こんな記事を目にしたことがある。gendai.media第二話野球界で“鈴木”姓に強いこだわりを持っていた男…同姓の選手に言った衝撃の一言(二宮清純)@gendai_biz約500年後に、
昨日中野塾で開催しました、立花夢果企画第14弾☆【元近鉄バファローズ佐野慈紀さん☆ピッカリトークショー】にお越し下さいましたみなさま❗どうもありがとうございましたm(__)m佐野さんパワーで、ピッカリ晴れましたね~☀️おかげ様で一部・二部ともに満員御礼になり、大盛況でした⚾一部💡ドラゴンズ首脳陣に近鉄OBが多いので気になる!と、ドラゴンズ戦を流しながらのトークショーでした。特に阿波野投手コーチがやつれてないか心配のご様子でした。二部💡💡佐野さんのトークは面白い裏話もたくさんで
1988(昭和63)年、長渕剛が主演を務めた、TBSドラマ『とんぼ』の劇中で、長渕剛はサザンオールスターズの『みんなのうた』が流れているのを聴き、「そんなクソみたいな曲消せ、このヤロー!!」と言い放った。今回は、何故、『とんぼ』でそんな場面が出て来たのか、という事から、話を進める事としたい。そして、桑田佳祐と長渕剛の2人の関係は、一体どうなって行くのか、時系列で描いて行く事とする。<1988(昭和63)年6月25日…サザンオールスターズ、デビュー10周年記念日に『みんなのう
1986(昭和61)年のシーズンオフ、ロッテオリオンズの落合博満と、中日ドラゴンズの牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4選手による、「1対4」の超大型トレードが成立し、世間を驚かせたが、ロッテは有藤道世、中日は星野仙一という、共に球団生え抜きのスター選手だった人が、それぞれ新監督に就任し、両監督ともに「心機一転で、チーム作りをしたい」という思惑が有ったようである。ともあれ、「三冠王」を三度も獲得した落合は、こうしてロッテを去り、新天地・中日ドラゴンズへと移籍して行った。落合は、い
挑戦することを楽しんで小さい頃から運動するのが得意で、大好きでした。野球に興味を持ったのは小学2年の時、父親とプロ野球の試合を見に行ったことがきっかけです。近鉄バファローズ対日本ハムファイターズ(それぞれ当時)の試合で、後に両チームでプレーしたことを考えると、運命的な出合いだったのかなという気もします。https://www.facebook.com/share/9XrVoWxm576eBavE/安原稔安原稔さんはFacebookを利用しています。Facebookに登録し
思い出のプロ野球選手、今回は「栗橋茂」選手です。1970年代後半から80年代にかけて近鉄の主力選手として活躍し、特に1979、80年の連続優勝に大きく貢献した選手で、筋肉質のその身体は和製ヘラクレスと称された人気選手です。【栗橋茂(くりはし・しげる)】生年月日:1951(昭和26)年8月10日入団:近鉄('73・ドラフト1位)経歴:帝京商工高-駒大-近鉄('74~'89)通算成績:1,550試合打率.2781,301安打215本塁打701打点105盗塁
紡錘細胞がんのくつです。もうすぐ12月なので…いやいや…もうすぐ2020年4月になりますし。昨年ブログに書いて保存していた。今回は…40年ぶりに…(追記…野球が恋しい)⚾️今年のソフトバンクホークスの観戦記のお話です。(昨年2019年)40年ぶりに〜40年以上かなぁ…北九州市民球場にソフトバンクホークスの観戦に嫁さんと行ってきたよ。俺が5つの歳に親父が会社の事故で亡くなったんです。それからは、母が、俺ら子供3人を育てる為に朝から晩まで働いていたので…お出かけと
近鉄バファローズホーム用・ビジター用1974年〜1996年略年表1974年《ホーム・ビジター共通》西本幸雄監督就任に伴いユニフォーム変更。1976年〜1978年前期《ホーム・ビジター共通》ヘルメットのマークがBから猛牛マークに変更。1977年《ホーム・ビジター共通》左袖の袖章が猛牛マークに変更。6月に背ネーム表記される。1978年前期《ホーム・ビジター共通》ベルトレスからカバー付きインナーベルトに変更。1978年後期《ホーム・ビジター共通》3色帽に変更。1996年まで。
先日、関係者様のご厚意によって、近鉄バファローズ最後の戦士坂口智隆さんとお会いさせて頂きました。彼を初めて観たのは藤井寺球場。真っ赤なリストバンドをして、試合前のサイン会でいつも元気にサインして下さったり、球場を出るのは一番最後で、誰よりも練習していた事を思い出しました。また、北神戸あじさいスタジアムや、神戸サブにも彼を観に行きました。そんな事含めて、藤井寺の現状、巨人戦でのダイブの後の怪我、田口さんとの師弟関係等々、こちらの勝手な質問にも丁寧に応えて頂き、益々、彼を好きになりました!
大阪近鉄バファローズ※1997年〜1998年は近鉄バファローズホーム用・ビジター用1997年〜2004年略年表1997年《ホーム・ビジター共通》大阪ドームに本拠地移転に伴いユニフォーム変更。1999年《ホーム・ビジター共通》球団名を「大阪近鉄バファローズ」に改称。それに伴い胸ロゴを「Osaka」に変更。この年のみ左袖に50周年記念エンブレムが着けられる。2000年ビジター用ユニフォームを濃紺に統一。2002年《ホーム・ビジター共通》左袖下にスポンサーマークがつく。2004年
あべのハルカス近鉄は昨日から初売り。近鉄球団の歴史。近鉄バファローズ自体は消滅してるんですが、その魂を引き継いでいるオリックスバファローズ。2階には歴代バファローズのユニフォームが展示されてました。近鉄バファローズのユニフォームといえば、私の世代はやっぱりこれ。川崎球場の伝説のダブルヘッダーの記憶が。羽田。なつかしい。右は、大阪ドームに移転してからのユニフォーム。あの最後の優勝がなつかしい。吉田選手のユニフォーム。こちらは、現オリックスバファローズ森選手のユニフォーム。近鉄
少し久しぶりの投稿です。ゴールデンウィーク中も普通に仕事でしたし、事業所の所長が近々異動になる事が発覚し、私を含む関係者全員がバタバタし、まさにカオスな日々が続いております。慢性前立腺炎の調子もあまり良くなかったんですが、ここ5日くらいはまだマシな状態です。そんなこんなで、自宅と職場の往復であまり趣味の買い物にも行けてないですが、今の楽しみと言うと「スポーツ観戦」ですね😆まあ、今はテレビとかで観るくらいなんですが、慢性前立腺炎が悪化する前は、野球やサッカー、ラグビーなどを現地に見に行ったもんで
2023年度は仕事が忙しく、有給休暇も夏休みも取れずに3月となりました。ほとんど仕事ばかりで家に帰るのもままならない1年間。3月になり、働き方改革に関する有給休暇を消化するため、最終週に休みが取れました。良い機会なので、ひとり関西への旅に出かけることにしました。その1日目の忘備録です。旅のテーマは「歴史と野球とお友達」。2023年は、ほとんど野球が観られず、イベントにも行けず、友達とも会えずだったので、この旅に詰め込もうと思いましたw1日目最初の目的地は、奈良県橿原市。現ベイスターズ
現在、連載中の「サザン史・外伝【連続ブログ小説】『クワタとハラ坊』」というシリーズ記事は、私自身も、書いていてとても楽しいのだが、1つ1つの記事を仕上げるためには、少し時間がかかる。ちょっと気合いを入れて(?)書いているシリーズ記事であるが、一旦、ちょっと「お休み」させて頂き、今回は、肩肘の凝らない(?)記事を書かせて頂きたい。今回、取り上げるのは、かつて阪神タイガースに在籍していた赤星憲広が、試合後のヒーローインタビューで、思わずファンに対して言ってしまった一言、「入ってね
みなさんこんにちは。今日の話題です。近鉄ホームページより。2024年秋を目処に、奈良線・京都線系統に新型通勤車両を投入する…というプレスリリースが17日に発表されました。外観イメージ。従来の車両とはまったく違う塗装に、個人的には衝撃を受けました。メインカラーの赤色で近鉄電車だとはイメージ出来ますが、これは大きな変貌です。昭和40年代に製造された、古い車両を一手に置き換える計画だということで、沿線の様相が一気に変わりそうです。車内の様子。これは明るいイメージですね。座席は、時間帯や旅
国内新人選手の場合【投手】Sランク投手【国内新人投手Sランクリスト】出身地関東成長衰えタイプ普通普通初期値評価変化球含めて基礎能力はある程度完成されている即戦力ルーキー。ピンチが低めではあるもののBランク選手の成長ピーク張りの能力を最初から持っているのはかなり強い。しかも左腕なので一年目から戦力次第ではローテーションを任せられる。回復もCなのでリリーフでも大丈夫全盛期評価全く文句のない成長内容。制球、ピンチが共にAで球速も154km、球威もBとすべての能力が優秀と
現在、プロ野球12球団には、それぞれマスコット・キャラクターが居るが、かつては、プロ野球の球団にはマスコットというものは無かった。そのマスコットを本格的に導入し、定着させたのは、阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)であり、プロ野球におけるマスコット・キャラクターの先駆け的存在となったのが、ブレービーであった。(阪急ブレーブスのマスコット・キャラクター、ブレービー)今回は、プロ野球12球団のマスコットについて、球団別にご紹介したいと思っているが、まずは、日本のプロ野球のマ
大村直之(近鉄現役/外野手/Sランク)成長タイプ:普通/普通あれは200X年の冬ことでした。テレビをつけていると、契約更改のニュースが始まります。この日契約したのは、近鉄の大村選手。提示金額に不満があるのか、憮然とした顔で会見をしているようでした。その様子を見てみると・・・ぶっっっっっっっ・・・・・・ごめんなさいいや、衝撃だったんですよ・・・その・・・個性的なご尊顔が・
メインページへ大阪ドーム/京セラドーム大阪開場1997年集客可能人数36146人名称の変遷大阪ドーム(1997-2006年)大阪ドーム/京セラドーム大阪(2006年-現在)両翼・中堅両翼100メートル、中堅122メートルフェンス4.2メートルフィールドアストロピッチSL-KDV人工芝(ベースと走塁スペースのみ土)アクセスドーム前千代崎駅(大阪市営地下鉄御堂筋線・長堀鶴見緑地線)から歩いてすぐドーム前駅(阪神なんば線)から歩いてすぐ九条駅(大阪市営地下鉄中央線
1988(昭和63)年10月、西武ライオンズと近鉄バファローズは、激しい優勝争いを繰り広げ、先に西武が全日程を終了し、近鉄は、残り2試合、川崎球場でのロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば優勝、という状況を迎えていた。近鉄は、1988(昭和63)年10月19日、ロッテとのダブルヘッダーに、全てを懸けて戦う事となった。そして、1988(昭和63)年10月19日の、ロッテ-近鉄のダブルヘッダーは、後に、「10.19」として語り継がれる、伝説の名勝負となったが、その前段として、これまで
プロ野球も残り試合数が気になってきましたねひいきのチームは特にありませんが9月5日に発売されたNEWERA×たべっ子とうぶつ(画像はお借りしました)これが欲しいと思い買おうとしたらオンラインストアの購入手続きが上手くいかず売り切れてましたストIIの時はちゃんと買えたのに買えなかったのは仕方ないせっかくNEWERAオンラインストアを覗いたのでもうひとつ気になってたキャップを買いました阪急ブレーブス1988年まで存在した球団です1989年オリックス・ブレーブスに改称199
渡辺久信GMが監督代行に就任ということでこの本を引っ張り出したファンもいたのではないかと思います。このなかで、1989年V逸の戦犯扱いにされたブライアントへの1球についても語られています。打たれてベンチ裏に下がった渡辺久信に、後ろから追いかけてきた森監督が「ナベ、お前なんであそこでフォークを投げないんだ!」と叱責。配球に正解はないと言われるだけに難しいですね。それにしても森監督、2日前に完投“させた”ピッチャーにいう言葉ですかね(苦笑)それでは、あのときの配球を振り返ってます。(
春の甲子園では高校球児の熱戦が続き、テレビから目が離せない。野球に飢えていたこともあるのだろう、毎試合が新鮮で、観ていて飽きない。我が故郷・長崎からは長崎日大が出場し、大会二日目、滋賀の近江と対戦した。延長13回までの死闘も、奮闘及ばず一回戦でその姿を消すこととなった。8回裏終了時点で2点リード、勝利はすぐ目の前だった。たいへん残念な結果に終わってしまったが、精一杯戦うその姿に、感動をありがとうと言いたい。これからは九州の各校を応援して行きたい。私が通った長