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AI療法1コース目抗がん剤投与期間は3/6~10アドリアマイシンは2日間イホマイドは5日間3/11に水分のみの点滴数日様子を見て3/13に退院という流れでした*入院中の副作用と感想初日の昼頃にはもう食欲はなくなり、2日目までげっそりしていて、投与完了していないのにこんなの続けてたまるかとメソメソしてました。3日目にジプレキサという吐き気止めを処方してもらいそこから5日目にかけて少しずつマシになっていった食事は口当たりがよくてにおいの少ないメ
今年の5月ぐらいから左腹部に違和感を感じていましたが、毎日の忙しさに流されつつ…近所の救急病院に行った時には7月末になってました。造影剤によるCTで20センチの腫瘍があり、しかも足の付け根まで伸びてることを知った。すぐに大学病院を紹介されて、そこでいきなりのがん宣告。頭の中が真っ白になりました。左巨大後腹膜脂肪肉腫?なんか、恐ろしい病名なんだけど…。やたら検索しまくって10万人に2人ほどの希少がんだということが分かり、主人と共に途方にくれました。手術にも空きがなく9月2日にな
2月20日地元の病院に戻りました。都内の病院の担当医をはじめ看護師、理学療法士などスタッフの皆さんには、大変お世話になりました。情緒不安定ぎみの私に寄り添い、親身にかかわってくれたお陰で、寂しい思いをしないで過ごすことが出来ました。感謝感謝🔶転院の移動手段動くと息切れや血中酸素濃度が下がってしまうなど、呼吸状態が悪化していたので、地元の病院への移動手段は民間救急車両を利用して寝たまま移動しました。民間救急車両の手配は、看護師さんを通じてソーシャルワーカーさんから得た東京民間救急コー
2022年7月4日(月)前回の診察後、PETMRI検査を受けたり、叔母が急逝し葬儀があったり、目まぐるしくあっと言う間の一週間でした。そしていよいよ術前の診察を迎えました。🟠麻酔科の診察体調と前回の手術時の麻酔後の体調変化の有無を確認され、今回の麻酔の方法とリスクについて説明された。🟠整形外科診察大学病院でPETMRI検査と生検結果の説明と手術前の各種説明を受けた。PETMRI検査結果は、しこり(腫瘤)の部分は、見事に真っ赤だが幸いにも脳やその他部位は転移が疑われる所見は
連休最終日の今日も暑い!😱そして今日は息子の晴れ舞台😁と言っても単なる補助員ですが(笑)とは言え、全国放送される駅伝の補助員。こんな光栄な事はございません!今の状況では、今後今の競技を続ける事は多分無理になると思います。だからこそ、今のこのタイミングで例え補助員だとしても参加出来る事が息子や私達家族にとっての大切な時間!しかも、人生初のバイトでもある😆補助員の息子に文句言うヤツが現れたら親父がシバこうと思ってましたが出番なし(笑)最高の1日になりました✨
(1)人間ドックの所見欄に「悪性腫瘍の疑い」[1/13]序章(2)→2021年11月15日(木)2021年10月26日に人間ドックを受診した。検査結果のレポートに「悪性の肉腫の疑い:要精密検査」と記述。初めて聞く言葉「”肉腫”」。「”肉腫”ってなんだ?」脂肪腫のようなものなのか…?【何かの間違いでは?夫が悪性腫瘍?】夫は小さい頃から腎臓が悪く、小学校・中学校で2度の余命宣告を受けている。叔父さん(医者)からの余命宣告だったので、
大学病院の先生は30代位で男性MRIの画像を見ても「うーん?」とうなるだけベッドに寝てちょっと押してみたり…そのうち「ちょっと経過観察してもいいですか?もし悪性だったら大きくなるじゃないですか」今考えればとんでもない一言だったんですでも当時の私は「そうですね別に痛い訳じゃ無いし…そうします」そして1ヶ月後の6\29予約を入れてもらいましたなのにその1ヶ月の間毎日お風呂に入るたび膝の黒っぽいコブを見るたび取りたい気持ちが高まってついに
2020年8月下旬。一泊入院で神経鞘腫の切除手術を受けた。部分麻酔なのでまず最初に手術ヵ所に注射。その後メスが入る。痛くはないはずだが切っている感じがわかり何とも言えない感じがする。腫瘍を掴むのがうまくいかないようで、「もう少し開くか。メス。」の後は痛かった(気がする)。ようやく腫瘍を取り出したところで傷口とともに写真撮影。その後、傷口の止血、洗浄の処置をして縫合。フィルムを貼って完了。車いすで病室に移動して点滴。1時間ほどで終わり、看護師さんは「これでもう歩くことができます。歩い
2020年8月初旬、MRI結果とその後の対応についての診察。MRIを見ても切除に際して問題はなさそうとのこと。そのうえで、「切除はできますが、今でなくてもたとえば2年後に仕事が落ち着くからその時に行うという方法でもよいです。どうしますか?」と言われ、「今でもいたっみがあり気になるので早く処置してほしいです。」と伝えました。それでは、ということで7月下旬の手術の予定が決まりました。「日帰りでもできますが、複数の手術予定があるため開始時刻が特定できません。一泊入院だと病室で待機できますがどうしま
退院から七日目、再手術後の診察日。昨夜は、検査結果が気になって眠れなかった。再追加切除で腰骨の一部を切除したらどうなるのか?もう歩けないのではないか?仕事はどうする。趣味のスポーツや武道もできない。どうなったらどうする?同じようなことを繰り返し考えていた。ここ、病院の待合室でもそう。ただ、最初の告知は何の覚悟も準備もないままだったので、今回は覚悟をしようと思った。しばらくして診察室へ。先生は傷を見ると「もう大丈夫です。お風呂も温泉も入れます。運動もいいですよ。」と言っていた
4月になって、ある日風呂に入って体をマッサージしているときに左腰にしこりがあるのを発見した。そこを押さえると例の左もも前側がしびれた。しびれの原因がここだったのかと気が付いた。そして、その場所は帯をきつく締めるところだから、それを繰り返すうちに一部が固くなったんだと勝手に思い込んだ。その後、そのしこりをほぐそうと、ふろに入るたびにマッサージを繰り返した。でも、柔らかくなったり小さくなったりする気配すらなく、そのうち診察を受けた方がいいかなあと、ぼんやり考え始めていた。
2020年9月下旬、病院での診察日の前日。当日までは考えるのを止そうと思っていたがやはり心配が頭をもたげる。再発と遠隔転移はあったのだろうか。もし同じ場所に再発していたら何を切除するのだろうか?左腰の皮膚のすぐ下は腰骨、とすると腰骨の一部を切除?そうなれば左脚も失うかもしれない。そうなると目指す武道はおろか歩くこともできない。また、もし肺に転移していたらどうだろう?転移が始まれば切除と次の転移の鼬ごっこになって、やがては手術できなくなるのではないか?と、同じようなことが頭の中でぐる
皮膚科の切開排出前(5センチ程、ドーム状、皮膚色で一部赤黒い)の写真はとっていないため、排出後1週間と3週間後。排出後は赤黒い部分が残る。中心は切開痕、左側のみ結節状に固いしこりがあり。3週間後は切開痕の周りがボコボコと盛り上がってきている。数週間の間に日々大きくなっていた。
軟部肉腫と診断を受け、大学病院に転院しました。12月に切除した腫瘍の残存の程度と全身への広がりを評価するためPET-MRI検査を受けました。今回の検査は、PET検査とMRI検査を一体化させた検査機器での検査です。MRIは何度か受けたことがありますがPETは初めてだったので小心者の私はドキドキでした。【検査前の注意】🔹検査前日はアルコールは飲まない🔹当日は朝食間食抜き(水は🆗)🔹筋肉に負担のかかる運動は避ける。いよいよ検査受付を済ませPET検査室へ向かいました。検査室は離
2020年10月初旬、2回目の手術当日。朝食は抜き。T字帯の上に手術着を着て8:20に手術室へ、病棟の看護師さんに連れられて徒歩で向かう。たくさんある手術室の一つの入り口でバスタオルを肩にかけてもらい手術台へ。センサーや点滴の注射針、血圧計等を取り付けられ、いよいよ睡眠薬の注入でその後記憶なし。以前に、全身麻酔は仮死状態になるので三途の川のほとりまで行くことになるから、川の向こうから声をかけられても渡らないように、と教えられたことがあった。声をかけられて目覚めたときはまだ半分眠って
私のブログを読んでくださりありがとうございます。「アメトピに掲載されました」と連絡が入り、それからブログのアクセス数が急増し、とても驚いてます。どうしちゃったのさて、今回は入院までの様子を書き留めておきます。同僚にサポートしてもらいながら担当する会議も無事に終わりました。一区切りつきました。病院からも入院時間のお知らせがあり、あとは、時間にあわせて上京するだけだあと思ってました。そこに東北新幹線、北陸新幹線、上越新幹線が停電で不通で復旧には長期間を要し見通しが立たないというニュースが
家の近くの整形外科を受診後、紹介された病院での初回の診察。しこりを触診して、「小さいですね。取りたいですか?」と聞かれましたが、「痛みもあるので取れるのでしたらお願いしたいです。」と返答。すると、「では、MRIをとりましょう。予約を入れます。」と言って3週間後のMRIを予約していただいた。ずいぶん先になってしまうんだなあ、とは思ったが急ぐこともないのでその日を待つことにした。
6月下旬、今日はMRIの予約日。ほかの病気で何度か経験はあるが苦手。体を動かないように固定して狭いところに入っていくのが閉所の苦手な私には考えただけでも不安。更に、上を向いているのでつばを飲み込めなくなる。こうなるとパニック。大声を出す寸前まで行くことが度々ある。でも、数十年前の旧式の物よりはだいぶましになった。当時は、導入路が長く暗く、足元までトンネル内で、その向こうにちょっとだけ明かりが見えるというものだった。なので、それに比べればこのくらい我慢できると自分に言い聞かせて何とか抑えて
しこりの診察を受けるとしたら何かなんだろうかとネット検索し、どうやら整形外科らしいという感触を持つようになっていた。でも、すぐ受信しようというほど気持ちは追い込まれていなかった。なので、しばらくはふろのマッサージを続けながら様子を見ていた。2020年5月下旬にたまたま時間ができたのでふと思い立って近くの整形外科を受診した。先生はのしびれとしこりの症状に対してレントゲンを撮っての診断は、「神経鞘腫という神経にできる腫瘍です。悪性ではないので様子を見るということで構いませんがどうしますか?」とのこ
PET検査とMRI検査を終えて、次回の診察までの1週間余り。また不安な日々が続く。遠隔転移があったら予定している広範切除の手術はできなくなってしまうのだろうか?肺に転移していたらそちらの切除が最初になるのだろうか?そもそも遠隔てんい転移が始まってしまえば、広範切除の意味はなくなるのではないか?そうなると、次の段階へ進むことになる。医療の方向も転換になるだろう。終活準備も急がないといけない。不安は募り、悪性を告知された時と同じ深みに入っていく気がする。ただ、告知の時と違ってそこから
4週間の予定の入院だったが、8日間で退院することになった。朝食後、呼ばれて処置室へ行くと、手術していただいた先生が「傷を見るからそこに横になって」とベットへ。「ああ良いですね。」と言いながら、ドレーンを抜いた後のガーゼと手術直後に貼ったフィルムをはがしで、全体を覆う大きなフィルムに貼り替え「これでシャワーはokですから。」とのこと。「運動はしてもよいですか?」と尋ねると、「もう少し様子を見ましょう。次回の診察予定は聞いていますね?」と次回の診察で再判断ということになった。病室へ戻り荷物を
悪性腫瘍の告知を受けてから1週間過ぎた。ずっと病気のことを考えるのはやめようと決めて、意識的に他のことを考えるようにしているが、ふと気が付くと病気のことを意識している。いつまで生きられるんか、今年の年末まで生きられるだろうか?再発したら、転移したら、今度はどのような手術を受けることになるのだろうか?でも、症例の中には5年以上生存している人もいる。もし、あと何年生きられるかわかれば計画的な生き方もできるかもしれないのに。そうか、自分で決めればいいんだ。どうせ分からないんだから思い悩んで
告知を受けた翌日は出社した。当然ながら仕事は手につかない。病気のことばかり考えていた。会社に向かう道すがらの景色、日課としている昼休みの散歩コースから見える景色、これらもあと何回観ることができるのだろうか。これから秋の紅葉、冬の雪景色、いつまで季節の変化を目にすることができるだろうか。湖沿いの公園には、コロナ禍で観光客はほとんどいないが、地元の人だろうか、ウォーキングする老夫婦とすれ違う。自分にはこのような老後は無いんだ、と思うと妻に対する申し訳ない気持ちと悔しい気持ちで涙が湧いてくる
晴天に愛知県南知多へ一泊旅行今回の目的は〜来年用の年賀状写真主人はヘビ歳生まれ年賀状写真は毎年干支とのツーショット(笑)なんだかんだ意識して撮影してますが来年は自分の干支なので(笑)なんだか気合が入ってる様子(笑)沖縄まで行かないと撮れないと思っていた撮影が、、、どうやら愛知県でも撮れそう南知多ビーチランド魚の展示が少なくガッツリ水族館って感じでも無いイルカショウあまりの可愛さと頑張りに2回も見てしまいましたお昼ご飯を済ませてご対め〜〜〜ん(笑)まずはジャケットを
2024年1月19日PETCT検査の結果説明を受けるため都内の病院に夫と出向いた。主治医からの説明の概要は次のとおり🔴複数転移している🔴部位は右肺、右側肋骨、リンパ節➡️ここ1、2週間右の肋骨辺りに痛みを感じていた。あの痛みは転移だっのかあ🔴右肺に胸水がたまって肺を圧迫している➡️年明けから息苦しさが強くなっていた。年末年始食べ過ぎて太り、お腹周りに脂肪がついた事とリハビリ頻度が少なくなり背中の創が硬くなったせいかと思っていた。でもここ1、2週間はベッドから起き上がると乾いた咳が
2020年7月初旬、CT撮影。造影剤を使用してのCTは初めて。いくつかの問診の後、造影剤を入れて撮影。MRIに比べてオープンな撮影台なので閉所の苦手でも全く問題なし。当日に何もわからないのは同じ。
PET4検査の5日後、今度は造影剤を使用してのMRI検査。検査機に入る前に造影剤のPET注射。その後MRI検査機に移動。ベッドに横たわり固定される。そして検査機の中へ。MRIは何度やっても苦手。狭いところに入っていくのが嫌い。手足も動かせないのでパニック寸前。目を閉じて楽しいことを考えようとしても、その中では楽しいことなんか浮かばない。つばが飲み込めなくなる。息が苦しくなる。と、「これから始めます。」終了する期待に反してようやく開始。ひたすら耐える。今日はとても長く感じる。「
7月11日(月)⏺️入院⏺️超音波検査7月12日(火)⏺️左大腿悪性軟部腫瘍の局所再発広範切除⏺️切除部位にベルフローの器械装着24時間×三週間予定暫く私の相棒となる器械です血液や浸出液を吸引し生理食塩水で随時洗浄してくれる優れものです。傷の治りを良くしてくれるそうです。頼むよ🙏⏺️フットポンプ(血栓予防)⏺️点滴⏺️尿カテーテル⏺️酸素吸入→終了へそんなに大きな手術ではなかったですけど、それでもいろんな方向から管に繋がれています。7月13日
告知を受けた翌々日の朝、日課の早朝の散歩に出かけた。川沿いの舗道は川の流れる音と小鳥のさえずりがすがすがしい。ふと思った、その時その時を気持ちよく過ごせないか、と。病気のことを考え続ける苦しみを忘れて気持ちを転換できないか?長くは生きられないこと、いつ最後の時がくるのかわからないこと、それは全く変わりはないが、いつもそれを恐れてそのことばかりに心を支配されるのでなく、今生きていることを素直に感じて心を安らげられないか?少なくも、川の流れの音を聞き、小鳥のさえずりに気が付いた時には、一瞬
私が軟部肉腫だと告知され、夫も精神的ダメージをうけました。この状況を乗りきるため何度か話し合い当面の二人の生活方針(少しオーバーな表現ですけど)を決めました。💠サポートしてくれる夫が元気で過ごせるようにする…安心して療養するために💠夫も自分の気持ちを友人に聴いてもらう機会をもつ…私も友達に話を聴いてもらい救われました家族だから言えない思いもあるので友達に助けてもらう。溜め込まない💠私の入院中も夫は趣味のワカサギ釣りは予定どおり続ける…夫のストレス発散を最優先する妻の入院中だ