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次男の体重が知りたくて体重計に乗り、筆算で引き算しようとしたのだけど、頭がまるで回らなくて、数字を見ても脳が動かず何キロだか分からなくなり、いよいよ自分がヤバくなってきていると気づいた夏休みはあんなに一生懸命にイキイキと子育てしていたのに、私、どうしてしまったのか?ここ最近の疲労を冷静に考えてみるまず、新学期になり長男登校時の車椅子を辞めたことで負担が増している。新学期に伴って、面談など予定も増える。次男は生後5ヶ月ちょうどから離乳食を開始し、毎日一生懸命に与えている。初日からよく食
療育センターへの初めての電話。その電話を受けてくれたのは、女性のソーシャルワーカーの方でした。今現在も担当してくれている、仕事熱心な方です。緊張しながらも、息子の困りごとを精一杯伝えました。「何か問題があると、確信に近いものがあります」と話しました。そこまでおっしゃるなら・・でもまだ月齢が幼いので、まず保健師の家庭訪問を受けてください、となりました。1週間後、先日の健診でご挨拶した担当の保健師さんが家庭訪問に来てくれました。積み木をつませたり(積めなかったと思います)行動を観察し
真夏の暑い日。再診を受けるために、家族揃って診察室に入りました。発達検査の結果を聞いてから、2ヶ月近く経っていました。なかなか予約の取れないタイミングだったようです。もう充分に、診断を受ける覚悟は出来ていました。事前のアンケートのようなもので、はっきり伝えてほしいと希望していました。医師はやわらかな声で告げました。・軽度(〜中等度)知的障害・自閉症スペクトラム配慮と支援が必要なタイプのお子さんです。配慮と支援・・・そんな優しい言い回しが、心にストンと落ちました。「自閉症」ではな
タイトル通り、現在家出中。絵文字なしです。気がおさまるようサラッと書かせてください。息子の偏食について夫と揉めました。かと言って、夫の悪口を書きたい訳でもない。私も夫も本当に困っているのです。自我が育ったせいか、次男誕生のストレスか知りませんが、長男の偏食が悪化しています。食べれたはずの手料理を食べてくれません。それでも何かしら食べさせて暮らしていくしかないので、パン系と冷食、ヨーグルトなどで凌いでます。麺類には信じられない量の氷を、何度も自分で取ってきては入れ、手づかみでぐっち
ASD息子コロ、特別支援学級の1年生です。今週、検尿検査が行われました。私が子供の頃からあるし、糖尿病や腎臓病の発見に繋がる大事な検査であることは重々承知なのですが…。コロが24時間オムツをしているせいで検尿のハードルが高すぎて、とーっても気が重くて…三歳児検診の時も検尿があり、小児科で検尿バッグなるものを頂戴し、挑戦してみたのですが、検尿バッグからダダ漏れで、オムツに全部吸収されてしまい、敢え無く断念。※コロの3歳児の検尿記録には斜線が引かれたまま現在に至る…
1歳半健診を受けるにあたり、自治体から事前に問診票が送られてきました。身体や発育の状態について、はい・いいえで答える項目がずらりと並んでいました。大半の設問に「いいえ」と丸をつけました。迷いながら「はい」に丸をつけたものもあったかもしれませんが、自信をもって書けたのは「普通に歩く」という問いだけだったかと思います。医師の診察時、ちらっと見えたカルテには「いいえが多い」とコメントが書かれていました。設問を振り返ると、4歳になった現在でも「いいえ」の項目があります。いまだに「はい」と
2014年6月、第1子となる男の子を出産しました。出生体重はおよそ2700グラム。少し小さめだったのか、臨月までお腹はそれほど大きくはなりませんでしたが、エコーを見て「ちょうどいい大きさ」だと主治医は言ってくれました。およそ18時間の陣痛。経験したことのない凄まじい痛みを乗り越えて、息子は無事に産まれました。息子は無事に・・産まれたのですが、母体のほうが緊急の手術を受けました。里帰り出産でしたが、地元の総合病院で「2年に1度のトラブル」だったそう。小さな病院では危なかったかもと、後に
息子が産まれてから、多くの時間をふたりぼっちで過ごしていました。両実家遠方、友人はみな県外、ママ友付き合いは怖い・・・息子の発達が思わしくないことに引け目を感じていた、というのもあります。でも、そんな毎日はとても寂しかった。このままではダメだと、ずっと思っていました。1歳8ヶ月にもなってようやく近所の「親子のひろば」の利用登録をしました。ベビーカーで行けるくらい近くて、以前から気になっていた場所でした。子育て支援センターと比べると小規模で、主に0〜2歳の小さい子が利用していました。
ご無沙汰してます。最近はアメブロを開く気力もないくらいバタバタしていました。絵文字つける時間もないので、さらっと書かせてください。長男の聴覚過敏が厳しいです。赤ちゃんが産まれてヤバくなるのは想定してて、自分の部屋で寝る練習したり準備してましたが、思った以上に過敏です。赤ちゃんのギャン泣きが辛いのは分かりますが、ほにゃ、とか、はーう、みたいな可愛い声すら嫌に思うらしいです。毎日ほぼ別々に過ごしてますが、どうしても多少は同じ空間に居てしまう瞬間もあります。赤ちゃんを別室に連れていくなどで
もうそろそろ梅の花が咲こうかという頃、初めて療育センターへ足を運びました。主人と私、息子も一緒に。出迎えてくれたのは、2名のソーシャルワーカーさん。電話とは別の方でした。ひとりが息子と遊んでくれている間に、もうひとりのワーカーさんとお話しました。事前に、発達の記録をA4用紙2枚にまとめ、当日お渡ししました。相談に至る経緯、言葉、指差し、遊び、食事特異的行動、生育歴などを記しました。以下、一部抜粋です。(※息子の様子が、必ずしも発達障がいの特徴とは限りません)・発語が「パパ
はじめて「親の会」に参加したのは、まだ診断の付く前、1歳11ヶ月の頃でした。親の会は近くに数か所あり、それぞれ月1回開催されていました。障がいの診断がついている人も、いわゆるグレーの人もいました。発達の遅れが気になり参加した人は「もし我が子に障がいがあったらどうしよう」と涙ながらに話されました。参加して間もない頃は、診断済みの参加者が「自閉症スペクトラム」という単語を発するたびに、心をズドンと撃たれたような衝撃と緊張が走りました。当時のことを記したノートには「重い雰囲気で疲れる」と正直
ようやく暑すぎる日々も過ぎてゆき、子供たちの七分丈ズボンを発掘する今日この頃。そろそろ公園散歩にも行きたいけど、なかなか次男が歩き出しません1才5ヵ月で数歩程度。カニのような横歩きなら1メートルくらい進みますが、なかなか歩数が伸びません。そもそも立つのも数秒程度。一歳半健診に引っかかるのではと怯えていましたが、いっそ早く診てもらいたいような気がしてきました。とりあえず身体面の異常がないかどうか確認してほしい…次男と子育てひろばにも色々行きますが、任意なら月齢のシールを貼らずに過ごしてます
いつもお読みくださりありがとうございます。ご報告ですが、いま妊娠6か月に入っており、出産予定日は春頃になります。性別は男の子で8学年差の兄弟になる予定です。いつか第二子を産みたいという願いは、息子が3才の頃には明確に心の中にありました。とはいえ当時は苦しい育児の最中でそれどころではなく、暮らしが充分安定するまで2年間も待っていました。息子が5才の頃に不妊治療を開始しましたが、思いがけず難航し、そこから更に2年近くの歳月を要することになりました。初診から妊婦
皆さま、はじめまして。30代ママが自閉っ子育児を頑張る日常を綴ってゆきたいと思います。息子が生まれて早4年、診断がついてからは2年が経ちました。葛藤の多い育児の中、多くの方のブログを参考にし、励みにしてきました。読ませていただくばかりで、自分のブログを開く勇気は出なかったのですが、もともと文章を書くことが好きで、ふと自分も書いてみたいという気持ちになりました。☆家族☆パパ→会社員。両実家遠方のため、お世話の貴重な戦力。せっかちな楽天家。ママ→主婦。病弱だが予定に体調を合わせられる
しばらく着信表示を眺めていたが、、俺は画面をスワイプする。「…もしもし」「…しょおくん?」しばらく互いに黙っていると、潤が先に口火を切った。「…しょおくんおこってるの?どうすればしょおくんのきげんがなおる?俺しょおくんに会いたくて大学に来たのに」甘えたような、、舌足らずな声を出す潤。その辿々しく弱々しい様子は、、俺が一方的に潤をいじめているような気さえしてくる。小悪魔のようで天使のようで魔性のようでヴィーナスのようで妖艶なのに聖母のようで今はまるで、、小さな子どものよ
息子が産まれて1ヶ月半ほど、実家にて過ごしました。母が良き育児のパートナーになってくれ、主人も新幹線で会いに来てくれました。息子の母乳育児は軌道に乗りませんでした。何度か母乳外来にも通ったのですが、うまく吸わせることが出来ませんでした。少し吸っては休む(寝てる?)・・終わらない・・という飲み方は、よくあることだったのでしょうか。私にとって母乳育児はとても辛く、産後の体も思わしくありませんでした。母乳にこだわらず育児を楽しめるよう、結果として1ヶ月半程度で完全ミルクに切り替えました。
突然ですが、育児疲れが酷いです何を今さら?と思われるかもしれませんが、最近なかなか酷いなと自分でも思います。理由としては、次男の離乳食3回がきつい。食べる子なのでマシかもだけど、与える作業を考えると日中の行動が不自由。ミルクだけの頃の方が楽だったし、子育て広場など遊び場にも以前は頻繁に行けていたのに、最近は他のママと話す気力が湧かない次男は9か月でズリバイするようになり、喜んだのも束の間で、いよいよちゃんと見てないと危険だし、床も掃除しないといけない。そして何より、夜中になぜか起きる。
私達のブログを読んで下さる方へ。いつも私達の拙いブログを読んで下さってありがとうございます。僕は相変わらずの治療の日々ですが、現在は数値低迷期に入っているので、基本的に無理せず衛生面に気をつけ数値の上がりを待つ日々です。幸いな事に大きな体調の崩れもなく過ごせています。今までの治療も基本的に抗がん剤投与、数値低迷期、数値回復、骨髄検査で確認、次のタームのサイクルでおおよそ1ヶ月弱かかりました。なので今の低迷期や安定している時は病気のことをさほど書くことがありません。
すっかり桜も散り、チューリップの咲く頃に医師の初診を受けました。主人と私と息子の3人で、診察室に入りました。とても良い先生だと感じました。その印象は今も変わりません。息子は先生の真似をして「アンパンマン」らしきことを言おうとしていました。はっきり言えたわけではないですが、そんな言葉を引き出した、先生の能力の高さを感じました。「ことばの遅れ」には、いくつかの原因があるという旨の説明を受けました。(※私たちが受けた説明ということで、ご参考程度にお読みください)いただいた資料を
お久しぶりです!ここ最近、長男が色々ありすぎました。なるべく簡潔に箇条書きにしますねわざと吐くブーム先月体調不良を見抜けずスクールバスで嘔吐。→保健室で休憩し早退。→保健室の居心地がとても気に入り、また行きたいために、バスや学校でわざとむりやり少量吐くブーム。過去最悪の誤学習。→しばらく続いたが、学校の対応もよくて見事ブーム終了虫歯治療トラブル初の削るほどの虫歯治療。治療自体は終わったものの、麻酔して腫れた唇を強く噛んでしまい酷い傷に。見るからに悲惨。→食事も辛い様子で元気がな
現在4才の息子の、これまで歩んできた道のりについて、振り返って書いています。☆☆☆3歳の頃。進路希望を決めて間もなく、療育園の入園説明会に出席しました。会場は満席に近い状態で、こんなにも多くの希望者がいるのか・・と思いました。療育園を専願しましたが、それは狭き門でした。多くの場合は、幼稚園や保育園との併用、もしくは児童発達支援との併用になるようでした。(お子さんによっては、併用にも色々なメリットがあると思います。)説明会を終え、願書を書くという段階になりました。どのようなことを
今日はテンション低くてすみません冬休みが終わって長男が学校に行くようになり、考える暇ができたのがよくなかったのかな。次男について、また余計な心配をしてしまいました以前にも書いたように、実際に問題があるかどうかを知りたい訳ではないので、意図的に曖昧な書き方をしますね。あくまでも私の心情の記録です。次男は現在9ヶ月になりました。以前に7ヶ月健診を受けた際にやや完璧ではない点があり、先月再受診となった経緯があります。所感としては、長男の事情を知る医師が厳しめに様子見にしたのでは?という気もし
「…そんな、、そんなこと、、無理だよ…」「…無理?どうして?」「…だって、、普通は…男の人は女の人と…それが自然なことなんだから…」「…自然なことって?俺は、潤と俺が一緒にいることが1番自然なことだと思っているよ」「…!!で、、でもっ…!俺なんて…」「俺なんて…?」「俺なんて、、ニノや、、ニノの両親を、、あんなに傷つけてしまったから、、だから…」「だから…?」「俺はもう、、恋愛を、、する資格なんてなくて…これからは1人で、、生きていくんだから…1人で、、
本日6つめのお話です。どうぞよろしくお願いします。「CONFUSION」前話はコチラです───────────────それからはまた、俺は仕事が早く帰れる日の平日は、櫻井さんの家に必ず行くようになった。違うのは、、夕飯作りを櫻井さんの家ですることが多くなったこと。俺が来れない日のために、櫻井さんの冷蔵庫にはタッパーに詰めた作り置きを常備しているし、俺が持ちこんだ調理道具も増えた。休みの日は早い時間から来て、大掃除もした。もちろん櫻井さんも一緒に。俺1人でやるのは簡単だけど、、や
本日5つめのお話です。ひとつ前に「Shakeit!」19ふたつ前に「うたかた」4.5(傍流–番外編)上みっつ前に「キミの夢を見ていた」14よっつ前に「CONFUSION」26があります。よろしくお願いします。(注)・こちらは以前書いた「うたかた」の4話と5話の間くらいの話です。・このお話は、明治時代初期くらいの時代設定です(しかし、時代考証を全く行なっていないので、あくまでも雰囲気ということでお願いします(汗))。・翔くん帝大(今の東大)生、潤くん陰間(男娼)という設定で
次男は1歳4ヶ月以前から最初の一歩だけは出たものの、なかなか歩数が伸びずハイハイや伝い歩きが続き、長男ですら、この月齢ではしっかり歩けるようになったのもあり、ちょっと遅すぎないか?と気になっていました。それが今日ようやく5、6歩すすんだように見えました。このまま歩数が伸びたら良いけど…。この月齢までほぼ歩けずにいると、子育て広場では肩身が狭く感じます。月齢が近い子が活発に動き回る様子を見ると、全然違うなぁって目立つのは運動発達ですが、おもちゃでの遊び方とか言葉の理解など、全般的な遅さが
最近ブログには、疲れた疲れたばっかり書いているけど、やっぱり今日も疲れました次男を産んでから、リアルな日常生活において弱音を吐きにくくなったように思います。長男の事情を抱えてでも、どうしてもと望んで生まれてきた次男。実際に育ててみてやっぱりキツいなと思うことは多々あるのですが…自分の選択を認めてもらいたい気持ちもあり、ブログ以外にはほとんど弱音を吐きません。次男を預けるのも用事のある日だけだし、昔に比べて人に頼れなくなってしまいました。子育てひろばにも積極的に顔を出し、それなりに楽しい
赤ちゃんが居ればあたりまえ、と言われてしまえばそれまでだし、私が望んだことだし、大変になるのはもちろん分かってはいたのだけど、やっぱり赤ちゃんの世話って大変ね!私はもともと寝付きが悪いから、隙間時間で昼寝があまりできなくてキツイのもある。あと、次男は昼間に結構泣くタイプで、抱っこ紐でゆらゆらしないと寝ない。だから何時間も寝てる赤ちゃんを胸に付けたまま、呆然とソファーに座ってたりする。降ろすとほぼ確実に起きて泣くので、それよりは私の胸で寝かせてる。長男のとき、こんなもんじゃない位私の
まもなくゴールデンウイークですが、長男を産んでからは、連休なんてむしろ辛いだけ長男と繁忙期に遠出することは、今後もおそらくないだろうと思います。今は次男が居るからなおさら無理…。というかむしろ、次男の方が手がかかりすぎます。次男は、情緒的に難しい子です。療育センターの集まりに参加してきたけれど、回数を重ねるごとに泣く時間が増えて上手くいきません前回は40分ほど泣きっぱなしで、終盤には切り替えられたものの、育児相談できないしプログラムにもほぼ参加せず。帰宅後も丸一日不機嫌を引きずり、夜中には
2022年4月。肌寒さの残る春の日、男の子を出産しました。おかげさまで母子ともに無事退院することができ、家族4人での生活がスタートしました。帝王切開の前日から入院し、妊婦として過ごす最後の夜に、お腹の子に話しかけました。あしたがお誕生日だよ元気にうまれておいでだいじに育てるからねそう約束してよく眠り、さほど緊張することもなく手術室に入り、取り上げられた赤ちゃんをみた瞬間、自然と涙がこぼれました。ほっぺたの柔らかな肌に触れながら、はじめてかけた言葉は「おめでとう」でした。病室で胸