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「征韓論」日本の明治初期において、当時留守政府の首脳であった西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣らによってなされた、武力をもって朝鮮を開国しようとする主張である。ただし、征韓論の中心的人物であった西郷自身の主張は出兵ではなく開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、むしろ「遣韓論」という説もある。西郷隆盛の死後、板垣退助らの自由民権運動の中で、板垣の推進する征韓論は西郷の主張として流布され、板垣ではなく西郷が征韓論の首魁として定着した。(Wikipediaより)
「三条さんは、なんともお公卿さんで、ごわすのう」西郷は、なぜか爽快さをおぼえていた。太政官議場は、まさに修羅場だった。もちろん冒頭の言葉は、三条実美太政大臣が、体調不良を理由に太政官会議を欠席してしまったことを指す。「一蔵どんが、あとはしっかりやってくれもんそ」「おはんらも、こんあと、お国のために、尽くしてくだされ」「のう、冬一郎さぁ」「たのみもすぞ、半次郎どん」――-――議場内から聞こえてくる西郷の大きな声は、篠原と桐野が控えた廊下を隔てた部屋
チャペルに続く白い道西郷輝彦2月20日西郷輝彦さんの一周忌命日だった。盛大な「西郷輝彦さんを偲ぶ会」が行われた。沢山の方が参加された聞き、再び思いが募る。西郷さんを偲んで、デビュー当時からの資料を載せて来ていて、また、西郷さんのデビュー当時からの歌を聴く。「君だけを」「十七歳のこの胸に」「チャペルに続く白い道」みな1番だけは歌詞を見なくても歌えた。当時は、舟木さんも西郷さんも三田さんも、そして橋さんも特別に好きだという意識ではなく、皆好きな歌ばかりだったから、歌詞も
鹿児島県の吹上温泉に行ってきました♨️トロトロしたお湯に感動!何回も入りました♪で、目的の座敷わらしさんは…超熟睡して分かりませんでした(^^;部屋に入ってから頻繁にパチパチと時折音はしますが、それは我が家も同じこと。とてもリラックスできましたが部屋の雰囲気が良かったからじゃないのかなあ♪なので、ここからは宿の女将さんの話。多分、ウチに出るのは座敷わらしではなく神様。なので、お菓子もオモチャも無しで、手ぶらでいらしていただいて大丈夫です♪出る時間帯は人(その時)によって違うようで
正観さんによると…。●弱い立場の味方であった西郷隆盛~後編西郷さんが見ていた桜島の煙。西郷さんは若いときは不遇続きでした。そのときに、弱い立場の人間の悲しさ,つらさがわかったのかもしれません。そして明治政府をつくりあげ、明治政府によってつらく悲しい思いをさせられている人の立場になって考え、その味方になってしまったのでした。西郷さんの生き方に好感を持ってしまいます。西郷さんの「燃ゆる思い」は、今も桜島の噴煙となってのぼっているのかもしれません。(2001年8月)