ブログ記事194件
「H氏の能天気と」この絵は私が描いたもので、ある展覧会に他の作品と併せて出品予定のものです。その展覧会が終わったら、これを裕仁の墓に供えてやりたい。76年前のきょう(1945年8月15日)、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)についてポツダム宣言の受諾を、ラジオが裕仁の肉声を流し国民が知りました。(なお法的な戦争終結は降伏文書への調印の1945年9月2日)この戦争中、裕仁は日本陸海軍の統帥権者(最高指揮権者)として、軍部の決定を裁可する立場にあったのです。よって末端の兵士へ
https://twitter.com/_9105294027642/status/1504577914339151873?s=21李裕仁の首筋イボ検証。睦仁天皇殺し李家長州PEDOイボ侍と長男大正偽天皇とは首筋イボを隠蔽する為、爪入り軍服着用。シャツ姿李裕仁には首筋にイボ。愛子にまで遺伝。公式写真は宮内庁によるイボ隠し改竄。劣勢遺伝のイボ五代継承。ツタンカーメンの遺伝子調査で近親婚結果と判明。実は誰が親か不明。pic.twitter.com/ryZNiPXPf9—片山徹(@_910
1947年12月、戦後初めて被爆地広島に入った時の昭和天皇裕仁。何の痛痒も感じない能天気間抜けな無責任ボンクラおやじにしか見えません。実際、後年そのような発言をして顰蹙を買っています(本文参照)このブログのメインテーマ、「天皇」の問題に戻ります。8月はどうしても「大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)」や「昭和天皇裕仁」の問題に触れざるを得ません。いきなり汚い言葉が並び恐縮ですが、昭和天皇裕仁(ひろひと)には、人間のクズ、無能、軽薄、ボ
1947年12月、敗戦後初めて被爆地広島に入った時の天皇裕仁。何の痛痒も感じない能天気な無責任ボンクラおやじにしか見えません。実際、後年そのような発言をして顰蹙を買っています(本文参照)。自作アート作品詳細は末尾の追記2をご参照ください。昭和天皇裕仁(ひろひと)は、日本史上最も軽蔑に値する人間だと幼い頃から考えていて、その思いは今もまったく変わりません。以下のことは、これまで何度も書いていますが、どれほど書いても書きつくせるということはないでしょう。1