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昨日、母が夢に出て来た。思い出、というか思い出したくもないけれど、記憶の中の母は酷い母親で、苦労しなくて良いことで、苦労したし、会ったとしても、文句しか出ない、といつも思っているのに、夢の中では、いつも普通にしている。母は、夢の中でごはんを作ったり、テレビを観たり、庭にいたりしていて、私は台所のテーブルに座っていたり、冷蔵庫を開けていたりする。そこに、夢の中では、母に対して憎しみの感情は無い。こうして文章に書けるということは、だいぶ昇華しているから
母親がガンになって終末期を迎えた時、家族みんなで乗り切った。一致団結する義理も、面倒を見る義理もとっくに無かったけれど、死後10年以上経ったのち、父親と兄から、「看病中にお母さんの背中を蹴った」ということになっているけれど、それでも、やって良かったかなと思う。母親のやったこと、自分にしてきたこと、して来なかったことは、今思い返しても、腹が立つし、なんであんなのが親なんだろうって何度も思ったし、あんなのが親じゃなかったら、苦労が少なくて済んだと
今でも時々、怒られる夢を見る。夢の内容は決まって、「こんな時間になっても雨戸を閉めていない」という理由で怒られている。小さい頃、いつも、いつ捨てられるかビクビクしていた。「お前みたいな悪い子は捨ててやる」といつも言われていたからだ。そんなことを言われるような悪いことをした覚えは、全くない。小さい頃、よく捨てられる夢を見ていた。母と繁華街へ行く。母は急に「もうあんたの母親止めた、お母さんは今日からここでマネキンになります。一人で帰りなさい」と言われ、
父は子供の特性というものを全く分かっていなかった。1歳か2歳の子供は、物事の良し悪しが分かっていない。物を持って投げるのも、遊びのうちで、それが悪いことだと思ってやっていない。注意されたり、怒られたりしても理解できない。日常の動作の中にある、自然な動きなのだ。父は、そんなことを知らない。1、2歳の物もしゃべれない小さい我が子が、例えば物を投げたりすることを、受け入れることができず、それは怒りの対象となり、暴力を持って制することにしたようだ。私は、2
手術の必要な病気を持って生まれた娘。生まれたのを喜んであげられなかった娘の誕生。ある意味、生まれた時から私の虐待は始まっていたのかもしれません。私が初めて手を挙げたのは、二人の生活が始まってしばらくしてから。まだ娘が一歳の誕生日を迎える前のことでした。その日は疲れていました。精神的にも、肉体的にもです。実家にいる時も、疲れていない時はありませんでした。ただ、いつ罵倒されるか、馬鹿にされるか、手を挙げられるか。そんな緊張感が常にありました。なので、疲れを感じる余裕はありませんで
小さい頃、父は私達に、「どこへ出してもかわいいと思って貰える子になって欲しい」と言って殴った。それが、父の私達を殴ってもいい理由だった。兄も私も学校の中でのヒエラルキーはとても低かった。大事に愛情を持って育てられた子とは、大違いだった。一緒に渡り歩けるわけがない。何かしようとして失敗すれば、「仕事を増やして」と怒られ、何もしないでいると、「言われないと何もできない」と言って怒られた。率先して何でもできる失敗なんか絶対にしない子、を求めら
皆さん、お疲れ様です。今日は、買い物やなんか、あちこち行くつもりだった…けど、銀行へ行こうと思ったら、フラ〜っと来て、今日、あちこち行くの無理やんもう、銀行だけで良いかと思い、何とか行ってきました。途中で煙草買おうと思ったけど、その内でいいやと、寄らずに帰ってきました。暫(しばら)く休んでたら、福祉事務所だけ行って来ようかと思いたち、途中に郵便局あるので、寄って来ようと思いました。で、余力あったら、イトーヨーカドー迄足伸ばそうと思いました。先ず、福祉事務所行ったら、やっぱ無理。帰
父が倒れても、兄が倒れても、面倒を見ないことを決めた。見舞いにも葬式にも行く必要がない。全くない。倒れて面倒を見たところで、後から「蹴られた」と言われては、たまったものじゃない。私は、母がいよいよを持って動けなくなった時、感謝されるほど働いた。自分が寝る時間は、3~4時間だった。甲斐甲斐しく世話をした。それなのに、母に苛立って「蹴った」ことになっていた。蹴ってはいない。背中が痛かった母のせん妄だと思う。実際母のせん妄は、酷かった。私の名前を忘
小さい頃から、父とも母とも分かり合えなった。暴力的な父と、その暴力を幇助し続けて来た母。最初から、分かり合えるはずなんて無かった。それらをぎゅっと押し込めて、母が死に近づくにつれて、あんなに憎たらしかった母が、変わって行った、というのもあって、母の介護と看病をしたけれど、結局結果は、その介護期間中に、父と兄の中で、蹴ってもいないのに、母の背中を私が蹴ったことになっていて、ああ、また裏切られたんだなぁと思う。とっくに諦めていたけれど、今更
なんでも、父の話によると、母がいよいよを持って、死にかけていて、階段を上がれないので、一階で過ごしていた時、母がぷーぷー怒って、ふてくされているから、「どうしたのか?おかしいじゃないか??言ってみろ」と言うと、「ナオミが蹴った」と言った、という話をしたそうだ。私は、蹴っていない。死にかけた人を蹴ってどうする?父と兄は、私がやっていた自然療法をいぶかし気に思っていて、その自然療法を母が思うように受けたがらないから、蹴った、というストーリーが出来上がっ
母はガンになる前に、突発性の難聴になった。私も兄も家を出て行き、母と二人になると、父のストレスのはけ口の対象が、結婚当初のように、母に戻ったのだ。一日のうちで何か、母が父の思うように動かなかった、という「失敗」があると、ネチネチと何時間でも同じことを執拗に繰り返して言う。母は耐えられなかったのだろう。聞きたくなくて難聴になった。手術をしても治らない程、穴が開いていて、片耳は完全に聞こえなくなっていた。母は、乳がんだった。左にできた。左脇のリンパまで行っていたの
皆さん、おはようございます。昨夜は、約10時に寝て、今朝約4時に起きました。約6時間の睡眠です。でも、十分、寝た感があります。さて、一昨日のことですが、スマホ修理の見積もり出ました。保険入っていたので、0円となりました良かった~ホッとしました。修理から返って来るのは、来週の末になりそうです。いつ頃、戻って来るのか、分かっただけでも、精神的に楽になります。さて、今朝は、より良くなったと思います。寝起きの感覚は、あまり変わらない感じです。動いてみないと分からないと言うのが、本
「後追い」というものがある。小さい子供が、お母さんの後を追って、姿が見えなくなると泣く。私は、どんなに邪険にされても、追い払われても、泣きながら後を付いて行ったと思う。母は、母にとって子供は、どんなに裏切っても、追い払っても、親の後を付いて来るもの、そう思っていたのだ。残念ながら、そうはいかなかった。当たり前だ。何度も泣きながら、「おかあさん」と叫んで、必死に後を付いて行き、邪険にされ、「邪魔」「忙しい」「うるさい」「一人で遊んでろ」だの言われて育ち、
明日抜歯をする。4本もだよ。しかもブリッジ。これ抜歯したら、自分の歯が10本ないよ。大阪の大学の教授が書いていた記事なんだけど虐待児とされなかった子供の歯の治療や歯周病、残ってる歯の本数が圧倒的に違いがあると発表していた。実に納得した。歯の治療なんてまともにしっかりやった記憶なんてない。本当は矯正が必要だったけど恐ろしく高かったじゃん。30万とかね。当時。できるわけないじゃん。痛くてもさ、痛み止め飲んだりして食生活も弱く摂食障害になった時、歯がパズル❔ってくらいに簡
熟睡できないこれまでの自分自身の妊娠・出産の経験から安心できないんだと思う。だって途中で心拍が止まらないか、破水しないか、生きて産んでやれるのだろうかと心配が尽きない。そもそもマタハイで始めたこのブログ。お花畑であった。8年と5ヶ月も前の話である。そこからリアルタイムで死産を2度も書き綴ることに。また赤ちゃんを産みたい。波はあるがそう思い続け金と時間と労力を注いできて今がある。卵がとれるうちはやれるだけやろう。勉強してチャレンジしよう。諦めきれなかった。正常胚がなぜ3度も着床しな
父は、自分の息子と娘を、理容師か美容師に仕立て上げ、家族経営で理美容、どちらもできる店を作るのが夢だった。そのために、100坪の土地を買っていた。私が小3の時は、もうその土地があった。将来、子供が後を継ぐとも限らないのに、父の妄想は暴走していた。子供のためなんかじゃない。子供がそれを、やりたいかやりたくないか、なんて関係ないのだ。父にとって子供は自分達の道具で、好きにしていい所有物だからだ。どんなに小さいことでも反抗すれば、暴力を振るい、虐待をし、
誕生日:1979年11月22日星座:蠍座誕生石:トパーズ、シトリン遠野なぎこさんは神奈川県川崎市出身の女優、タレントです。女優として子役からキャリアを積み上げて来られた実力のある女優さんですが、その生い立ちは想像を絶する壮絶なものでした。身体的虐待、精神的虐待、言葉の暴力、ネグレクトを受け、摂食障害、アームカット、醜形恐怖症、強迫性障害、自殺未遂など様々なダメージを負いました。遠野さんのすごいところは、そう言った自分の体験談を世間に打ち明け同じように苦しむサバイバーさんに、共に生き
過去に好評?だったシリーズを再編*まゆの自己紹介*・ナリ心理学認定心理アドバイザー・アラフォー看護師・自己紹介詳細はコチラ前回の話はコチラ↓『母子家庭で虐待されてた話②いらない子』過去に好評?だったシリーズを再編*まゆの自己紹介*・ナリ心理学認定心理アドバイザー・アラフォー看護師・自己紹介詳細はコチラ前回の話はコチラ↓『母子家庭で虐…ameblo.jp今回の前提↓・母親が父親に追い出される形で離婚・離婚当時、時代は昭和の終わり頃・ボロボロの長屋で母子2人暮らし・
父の虐待から生き伸びて、生きて家を出ることが、小さい頃の目標だった。そこに、「夢」というものを抱く余裕はなかった。小3の時、国語の授業で「将来の夢」という題で作文を書くことになった。端から発表され、皆の夢にびっくりする。・スチュワーデス(とは今言わないですね)・会社の社長・プロ野球選手・デザイナー・モデル・発明家・医者・看護婦(今は看護師と言いますね)・ケーキ屋さん・幼稚園の先生などなど皆の描く夢は自由
母の、私たち3姉妹への接し方は、3人それぞれ違いました。姉は見た目麗しく頭脳明晰な自慢の子として妹は盲目的に可愛がれる一卵性母娘としてそして私は精神と労働を搾取する対象としてそれぞれ育てられました。母は私が嫌いらしい物心ついた時から、そう感じていました。母に好かれたい幼い頃はそう思っていた時もあります。なんで私が嫌いなの?馬鹿だから?ブスだから?家事がふじゅうぶんだから?鈍臭いから?自分に理由を求めるようになりました。成長するにつけ、母に愛されたいと言う気持ちは無く
日記です(ΦωΦ)どこにも連れて行ってもらえなかったし。゚(゚´Д`゚)゚。田舎に帰省もなかったし。゚(゚´Д`゚)゚。書くネタなんてあるわけ無い〜¯\(°_o)/¯
やっと起き上がれた。痛みはやばいよね。関節痛と浮腫みが酷くてもがいていました。やっと薬が効いてきた。朝6時に起きてたのに、痛みでもがいて、時間も勿体無いし苦しかった。QOL低い。病院から紹介状もらったんだけど、痛くて行けないんだよ。孤独だとやばい。病院に連絡して、「すぐ来てください。」って言われても行けないのよ。どーしたらいいの?かなしい。
私は、うつ病と強迫性障害の2つの精神疾患と共に生きている。私は幼少期から虐待を受け、毒親に育てられた虐待サバイバー、アダルトチルドレンだ。しかし、精神疾患を発病したのは、新卒2年目、23歳の頃だった。今でも覚えている。2年目になり、今まで以上に仕事へのやる気が出ていた頃、朝急に起きられなくなったのだ。目は覚めている、目覚まし時計がなる音も聞こえている。しかし、身体が全く動かなくなった。その日以降、毎朝その状態になり、私は仕事に行けず休職することとなったのだ。仕事に行きたい気持ちはある。
皆さん、おはようございます。昨夜は、疲れた~、早く寝ようと思いましたが、疲れ過ぎて、興奮してるのか、寝付けませんでした。結局、いつもの時間迄、眠れませんでした。まあ、仕方ないですね。さて、今日は、DAISOに行きたいけど、かなり、脚が疲れています。どうしようかと思いつつ、電車使うかと思っています。体の負担は、できるだけ、減らしたいと思っています。DAISO行って、のんびりとウィンドウショッピングもしたいけど、体がもたないだろうから目的はたしたら、とっとと帰ってきます。勿体無い気も
小さい頃も、だいぶ大きくなってからも、温かい家庭に憧れて、憧れと現実の間で、もがいて苦しんでいた。どんな親でも親は親で、自分の親があまりまともじゃない、という現実を嫌という程分かっていながら、どこか期待してしまっている部分があって、受け入れるのに大変苦労をしました。「ウチ、普通じゃないから」と、お店のお客さんに自慢げにそういう母を、苛立ちを持って見ていました。普通じゃなかった。ウチは。普通では怒られないことで、ぼっこぼこに殴られていた。躾が厳しいと
当事者目線で問題を深掘り解決!こんにちは毒親育ち専門カウンセラー松永春奈です。今回のブログは、「いじめ加害者は毒親育ち」という衝撃的な事実を、私の経験をもとにお伝えします。多くの人は、いじめをする加害者に問題があると考えるでしょう。しかしこの考えは、一見正しいようで実は偏っています。なぜなら、いじめ加害者がなぜいじめを起こすようになったのか、その背景を知る必要があるからです。いじめ加害者の背景には、「家庭
仲人Nさまいつもありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ男性は子どもが生まれてもなかなか変化しない。゚(゚´Д`゚)゚。下手したら独身時代そのままだったりもする【助産師監修】Aikurucスワドルおくるみ奇跡のおくるみ春夏夜泣き対策綿100%新生児ベビー用品(6~8.5kg)(Mサイズ,グレー)Amazon(アマゾン)白菜おくるみベビーおくるみ赤ちゃんおくるみベビーブランケットベビーブランケット新生児寝かしつけ白菜型Tortil
この記事を書いている今日は5月3日です。福岡市中央区、明治通りで華々しく「どんたく」が開催されております。用事が無ければ出かけない私は事務所でブログを書いています。皆さん、GWをお楽しみですか?では5月自助イーティングのお知らせです。◆5月12日(日)17:30~◆5月14日(火)13:30~◆5月26日(日)17:30~◆5月28日(火)13:30~以上の日程で行います。決めつけない、諦めない、気楽に・・・が合言葉ですよ(⌒∇⌒)※自
婆ちゃんは霊感強いっていうか、神職。特に誰にも何も言わないし、普通に田舎に居たけど、すぐ見抜かれる現在を。私が母との関係が良くないこと、お小遣いがないこと、弟に愛情が注がれていること。久しぶりにあってもすぐ霊視する。車で3時間。本家と分家があって、うちは分家。だから婆ちゃんは静かに賢く苦労ばかりしてた。いつか一緒に住もうね。ってずっと言ってたけど叶わない夢だった。婆ちゃんの霊感はあたしに乗っかり、いつからか、予想、霊視、内面の言霊みたいなのが感じたり見えるようになった
私圏内のモラ人の共通点。徹底して無関心。結局、堂々巡りになるポイントなんじゃないか?って最近思います。先の衛生観念の事でさえそうなのですが『衛生観念が無さすぎる』久々に一人の時間が長かったのでのんびり出来るかなってちょっとだけ期待したんですけど現実は今のうちにやってしまおう!が沢山出て来て無理でした小さい子の居る…ameblo.jp自分にも関連する事だったりいや、それ自分しか気にする人いないでしょ?という事柄でさえとにかく無関心。無