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前回からの続きです烏丸通りを南下して、次の松原通りを西へ入り(右折)ます少し歩くと鳥居が左手に見えます新玉津島神社住所・京都市下京区松原通烏丸西入ル玉津島町309駒札ここ新玉津島神社は、文治2(1186)年後鳥羽天皇の勅命により、藤原俊成の邸宅地に和歌山県の玉津島神社に祀られてる歌道の神・衣通郎姫を勧請したことに由来するこちらでは俊成が千載和歌集を編纂したとこで、平家が都落ちするとき、平忠度が危険を顧みずこの地に引き返し「一首なりとも選んでほしい」と巻物を献した逸話がありますそし
ブログ更新5990回目京都・大田神社のカキツバタ見ごろ迎える“上賀茂の最古のお社”という伝承も。国の天然記念物に指定。所長散策ぶらり~お散歩旅です。京都市北区の大田神社では、およそ2万5千株のカキツバタが今、見ごろを迎えています。上賀茂神社の摂社、大田神社の境内の池にはおよそ2万5千株のカキツバタが群生していて、今、見ごろを迎えています。大田神社のカキツバタは、古くは平安時代から鎌倉時代にかけての歌人、藤原俊成の歌にも詠まれ、国の天然記念物に指定されています。2日は春の陽気に
清盛の弟で、歌道では藤原俊成の弟子。一の谷へ出陣する際に、自作を書いた巻物を俊成に預けるシーン、大昔の大河ドラマ「新平家物語」では中尾彬さんが颯爽と演じられました。その数年後、高1の夏休みの宿題にこの本文が出ました。「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」。平家が滅んだ後、もはや朝敵なので、千載集に読み人知らずとして入ったという話。「ながら」は長等山との掛詞。今日出かけた大津の地名。まさに地元ネタ。あの夏から古文が好きになったように思います。
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説『短歌往来』2020年4月号に評論を執筆しました。「梶間和歌の評論の載っている4月号を」と言い添えてご注文くださいませ。ご購入はこちらから第零歌集『生殖の海』の予約販売を開始しました。ご予約はこちらから*:..。o○○o。..:*摂政太政大臣家に、五首歌よみ侍りけるにまたや見む交野(かたの)のみ野のさくらがり花の雪散る春のあけぼの藤原俊成新古今和歌集春下114【現代語訳】再
のNHK大河ドラマ「光る君へ」第一回観ました。終りごろに、「まひろ」の母が、藤原道長の兄、道兼に刺されて死ぬという衝撃的な展開は思いも寄りませんでした。好感度の高い、母役の国仲涼子が初回のみでもう登場しない(回想場面で今後も出てくるのかもしれませんが)のは、正直なところ残念でなりません。史実では、式部が幼いころに母は亡くなっているらしい、としか分かっていないのですが、この展開はちょっと激しすぎる気がします。それから、今回から式子内親王の呼び方を一つ増やすことにします。同時代の記録によると「大
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説LINE公式アカウント『短歌往来』2020年4月号に評論を執筆しました。「梶間和歌の評論の載っている4月号を」と言い添えてご注文くださいませ。ご購入はこちらから第零歌集『生殖の海』の予約販売を開始しました。ご予約はこちらから*:..。o○○o。..:*崇徳院近衛殿にわたらせ給ひて、遠尋山花といふ題を講ぜられ侍りけるによみ侍りけるおもかげに花のすがたをさきだてていくへこえきぬ峰の白雲藤原俊成
○ここで五条三位入道こと、藤原俊成が自ら「おもて歌」と断じた歌は、夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里であると言う。ちなみに手元にある古語辞典(旺文社版)に記載されているこの歌の通釈を載せると、夕方になると、野辺を吹き渡る秋風が身にしみて感じられ、うずらの鳴くのが聞こえる深草の里よ。とあって、これを読むかぎりではさほどたいした歌ではない気がする。○「無名抄」の中でも、この歌を俊恵が、この歌は、『身にしみて』といふ腰の句のいみじう無念におぼゆるな
*:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろし1月末日まで、無料企画も。→★『源氏物語』を使った心理学講座。次回講座は1月23日、紫上の前半生を題材にします。執筆、講義のご依頼はお気軽に・*:.。→★(執筆関係)→★(講義関係)*:..。o○○o。..:*千載集を撰び侍りける時、古き人々の歌を見てゆくすゑはわれをもしのぶ人やあらむ昔を思ふ心ならひに藤原俊成新古今和歌集雑下1845【現代語訳】いつか、将来、『千載和歌