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旦那の親戚にはクセ強の人が数名いるその中で母はとても気を遣ったことだろうお茶を出したり本来私がやるべき事を代わりにやってくれた微妙な立場で2階に上がってしまえば気は楽なはずなのに話し合いの時にも話に入るでもなく私の側に離れず居てくれた「お母さんありがとう」そっと肩に寄り添いながら後でこっそり囁いたら「うんうん」とニッコリしてくれたお通夜前に湯灌をした私と次男で順番に旦那のシャンプーをさせてもらった長男は神妙な顔で「オレはいい」と言った喪主の私の
コメントやイイねをくださる皆様本当にありがとうごさまいますしっかりと落ち着いたらお返事していきたいと思っていますありがとうございます亡くなってからお通夜まで4日あったので旦那と家でゆっくりできたこれは本当に良かった心の準備も徐々に出来る冷房を最低温度にし風量も最大冷蔵庫みたいな部屋で厚着をして旦那と過ごした毎日顔を見ては泣いて過ごした葬儀屋さんとの打ち合わせ当初、私と息子達で三人の予定が弟さんとお嫁さんも来てくれることに心強いそして、更に親戚のおばさん2
『祭壇を壊したと思い込んだ義母②』『祭壇を壊したと思い込んだ義母①』四十九日が終わって、二日後。午前中は雨☔️で、午後やっと止んだ日。私が仕事から帰って来ると‥家の前で待っていた義母。私「お義…ameblo.jp今まで、綺麗に飾られていた祭壇は見る影もなく‥義実家の祭壇は‥中が‥こういった感じで、スチールになっていて。しかも、ただ脚をおったり畳むタイプではなく💦脚を外して、紐で縛ってからしまうような、手間のかかるものなんです!こういったものも、適当には片付けられないから。いつも丁
チョンジャです母は病院で亡くなったのですぐに遺体をどこかに安置しなければいけません私は10年程前に父を見送りましたがその際は弟のお嫁さんの知り合いの方が葬儀屋さんで、その方を通じて弟が手続きをしたので私はあまり何もせずに済んだのですがその知り合いの方とも今は疎遠だとの事で、自分達で葬儀屋さんを探すことにまさか亡くなると思って無かったので葬儀屋さんを決めていたとか準備したとかも無く・・・母には兄が1人いますがあまり交流も無く、家族だけで見送る事
母がいつ何時どうなるかわからない。なんせ、超高齢者。気乗りしないけど準備しておかないと慌てることになる。確かうろ覚えだけど葬儀屋さんの会員になってるから費用の心配はないと言ってた。母から預かってる重要書類の封印を解き探してみたが…見つからない。おばあちゃんにまた聞いたら?と息子は言うが、今現在面会禁止だし、書類がみつからないと言おうものなら、やれ、失くしたやら、積立金が無駄になったやら、大騒ぎしてそれこそショックと怒りで命を落としかねないのでこちらが決めた葬儀屋
みなさん、こんにちは!12期生の池田です。福岡市中央区大手門にある、とある小料理屋さんのメニューの看板を書かせて頂きました。一発書きです。集中はしましたが、緊張はあまりしません。30歳代の頃、約7年間葬儀屋さんで3M×50cmの芳名版を書いていたからでしょうか、、、私が書くのを見ていた方の方が緊張されたようです😅
お寺さんのスケジュールの都合で、父は亡くなって一週間、葬儀屋さんにいました。冷房キンキン。一泊2万円也💰父は葬儀屋さんから、火葬場へ直行😭家には帰れなかった。仏教の専門用語は知らないが、49日までに7回のジャッジがあり、最後は閻魔様が天国行きか地獄行きかを決める。父は、母を殴っていた。学生時代にボクシング🥊していたから、とんでもないこと。最後に父に会った時に、私は言った。「元気になったら、お母さんにありがとうって言ってね。じゃないと閻魔様にお父さんが怒られちゃうよ
きれいになった旦那は霊安室に移動し、お迎えを待つ事になった。しかし、どこかへ出かけた義弟が戻ってこない・・・。待ってみたけど戻る気配がないので、私と娘とで先に旦那と一緒に移動する事にした。旦那の病室はナースステーションの真横の個室だった。私はそこから人目につかないエレベーターで移動するものだとばっかり思っていたら・・・違った。亡くなった旦那に布団を頭から被せて、見えないようにして、ナースステーションの前を通り、デイルームの横を通り、エレベーターホールまで行き、そこか
今日はママとキミたちの肉体がお空へ逝ってしまった日.…火葬と葬儀の日だった…遠い…遠いお空へ逝ってしまったね…火葬場の御用納めの日…最後だった…エンバーミング…してあげれば良かった…ママのお顔が傷んでかわいそうだった…当時、バァバはその言葉すら知らなくて…バァバの住んでいるイナカでも葬儀屋さん知ってるかな?そんな感じ…今年はあの日よりも少しだけ暖かくて…雪も積もっていない日だったよ
時を巻き戻している2023年5月19日妹から借りた車で朝から息子と実家へ向かった。母の通夜は20日、告別式は21日と決まったので1日ゴミ屋敷の掃除が出来た。玄関は前にも片付けているがこの日はタイルの床磨きをした。バケツの水にマイペットを薄めてブラシで擦り、雑巾で水拭きをする。これだけで何時間もかかった!その間に、葬儀屋さんが来た。葬儀屋さんと供花や料理や供物などを決めて行く。祭壇に飾る遺影は、選んだ写真を加工した。葬儀屋さんから加工用のサンプルを見せて貰った。
きなこが終末期の在宅医療を選んだ理由ちゃんとは聞いてませんが😥若い頃は病棟勤務でしたので配属となる部署によっては患者さんの最期に立ち会うことも…数日前まで話をしていた患者さん病室でご家族に看取られた後は葬儀屋さんがお迎えに来てくれるまで霊安室に…ストレッチャー(担架)を押しながら霊安室にお連れするのも看護師の仕事👩⚕️になることも…お迎えが来るまで数日前までは普通に話をしていたのに…看護師で無ければ見ることのない光景…その光景がとても悲しく切
暑いですね〜( ̄◇ ̄;)先日の25日に我が家の3代目デグーのしーくんが2歳になりましたが、その2年前の同じ日に2代目デグーのふぃーちゃんが亡くなってしまい(T.T)ふぃーちゃんの生まれ変わりか?!なんて思うくらいしーくんはすばしっこかいよ😁そして昨日仕事中に実家から入電📞余程の事だと思い応じたら母から父が亡くなったと連絡でした( ̄◇ ̄;)急いで仕事片付けて病院へ🚃ギリギリ葬儀屋さんに運ばれる前に会えました以前とは比べ物にならないくらい痩せ細ってしまっていて、ロクな親孝行も出来
亡くなった翌日。納棺。子ども達と義母、義姉1とご主人。義姉2とその子ども達2人。納棺師さんにお化粧お願いしてありました。正直に書きますが、3万です。高いの?安いの?…今、思い出してみて私は満足でした。うん、お願いして良かった。色々な儀式は、なんでも最初が私なので、いちいち戸惑う。もう、葬儀屋さんと納棺師さんのご指導のまま粛々と。義母の嘆きが一番きつい。「ほら、おきろ。しゃーないな。」何度も聞いたこの言葉。しゃーない…仕方ない?しょうもない?どちらのニュアンスあってるの
今日はバァバのつぶやき…葬儀屋さんのコト…気分の悪いかたはどうぞスルーしてくださいママとキミたちの葬儀屋さん…田舎であるバァバの町ではたった1件の葬儀屋さん…喪主であるパパはそこにママとキミたちの葬儀の依頼をした…葬儀屋さんの社長さん自ら携わり…ジジ様と、その社長さんは顔見知りのようだった…バァバは喪主ではないから部外者…テキパキ仕事をこなしているようだけれども…でもバァバ側から見たら、「圧」が強く無愛想で…声をかけるのも戸惑ってしまう感じ…なんだか葬儀を
帰ってきてすぐに横になってバタンキューしてしまって真夜中に満中陰までの白木の祭壇つくりをしておとんが大好き💓♥️❤️だったおとんの部屋で葬儀屋さんにお花ほしいと伝えていたら丁寧に荷造りしてくださって持って帰ってきた。有り難うございます。今からお供えやら準備していくのでおとんごめんねもう少ししたらゆっくりできるからね、
今日、葬儀屋さんに行ってきて香典返しの注文をしてきました。これにより、一桜里ちゃんの葬儀に関わる事はすべて終わりました。何の達成感もなく、喪失感でいっぱいです。これからまだ少し申請してたものの権利喪失の手続きで忘れてるものがあるかもしれませんが、把握できてません。大まかにはもう終わりだと思います。いおちゃんパパ頑張ったで!…葬儀屋さんも小さい子の葬儀は慣れてないらしく悲しげでした。そういうもんなのかもしれないですが。遺産相続やら契約してるものの解約とは葬儀屋さんは
2020年12月26日②ママとキミ達との再会後…警察の中の会議室みたいなトコにみんな移動したんだよその時までにわかった捜査状況を説明してもらったんだ…その日のママとキミ達の行動…服装死因大好きなキミ達のママが加害者になったコトママがみんなに宛てたお手紙そして…ママがここまで思い詰めるまでの原因…捜査は終わりではなく引き続きみんなに聴取が続くコトその時、キミ達は解剖が終わって何も着ていなかったから葬儀屋さんによってようやくママは浴衣キミ達はパパが用意
すまたまたお久しぶりです。養父の葬儀関係が終わり、身辺整理をしていましたが、全く終わらず💧先週は葬儀関係でお休みをいただいていたので、先週の分の仕事がそのままごっそり残っていましたブログを書こうとしても、眠すぎて書けませんでした💦さて、葬儀の間に妻に変化があったのですが…。結果から書くと、不倫発覚後、今までで一番良い関係でした養父が亡くなったことに対して、妻は涙を流していました。その後から妻の様子が変わりました。養父が亡くなって、葬儀屋さんとの打合せなどは自分が全てやっていました
親が亡くなった時のことを考えると耐えられるのだろうかと昔よく考えていました30歳で結婚した私20代中頃を過ぎると母は私に結婚して家族を作りなさいとよく言いました現在私には、旦那さんと子どもがいますわかります家族の大切さその存在の大きさ母の死後私は母をしっかりおくらねば何からしたらいいのか何をしたらいいのか看護師さんに葬儀屋さんに電話してと言われそこから私の仕事が始まったように思います葬儀屋さんに電話を入れ迎えにきてもらえるようにお願いしましたお迎えが来るのに1時間以
4/20この日は仕事に行きましたパート仲間に前職が介護の人がいて、その人に延命の話をして同調してもらえてホッとした「医者は目の前の患者を助けることしか考えてないから」「退院後の生活のことは考えてないからね」というような事を言われて納得したもし介護が必要な状態で帰ってきて私が疲弊しても、病院の先生が助けてくれるわけじゃない心臓マッサージをしないと決めたことで命の選別をしたような気がして申し訳ない気持ちもあるけど、すごく考えて決めたしこの決断は間違ってないと思うこの日は急激に具合が悪く
ついでに、息子も18になるし、成人だしそろそろ言っとこうと思って葬儀屋さんも決めてて(互助会入ってる)証書見せたお墓も買った(自然葬)証書見せた死ぬ気満々やん。って死んだらまずはここに電話して、安いプランでって話して、知り合いのところだから。(親もそこに頼んでいる)あとは、焼いたら、あんたらが、程よい時に、自然葬のところにもってって。家のローンを申請して止めないといけない。iDeCoも、申請して、解約して、貰わんといけん。年金も〜書類はみんなここに集めてるから
2年前の今日はママとキミ達の葬儀、火葬…なぜか去年よりも鮮明に覚えている気がするよ…去年は、この日をどうやって越えたっけ…?発見から一週間後の葬儀、火葬は…ママもキミ達も傷んで…素人のバァバや、か〜えちゃん…小さな町の葬儀屋さんでは技術がなかったのかもしれない…本当に…かわいそうだった…身内だけの葬儀…喪主挨拶はパパ…あの日に戻れるならバァバからのママとキミ達への言葉…この子たちは何も悪くありませんでした…周りの人間が追い詰めてしまった結果です…と言ってやれば
2020年12月26日⑤1番最初にママとキミ達に会いに来てくれたのはか〜えちゃんのお友達だったね…か〜えちゃんとは、中学、高校と一緒でクラブも一緒だったんだよこのお友達は、偶然かなとと同級生のお母さんと同じ職場で…話を聞き、驚きながらも来てくれたらしいパパの親戚のかたも来てくれていたね…バァバ達は、一緒の場に居させてもらっている身…バァバは親戚にも知らせず…お邪魔にならないように部屋の隅っこでジィジとバァバと、か〜えちゃんで居させてもらったよ…あの暗くて寒
旦那がやっと話してきたそう内容をきくと姉弟で折半えっ?三人兄弟じゃなかっけ?ま、長男は行方知れずだからまぁしかたないかであとは?旦那ん?とりあえず折半わたしえっ?細かいことは?戒名とかお坊さんとかどうゆう葬儀にするのかとかは?旦那とりあえず折半いやいや、折半はわかるよ細かい事決めとかないと姉弟で意見違ったら葬儀屋さんも困るようちの実母の場合はわたしが1人だった為わたしの思い通りに出来たけど横で決める事見てたよね?大丈夫?何しに行ったんだか
大切な人とのお別れのとき手を握ることも、耳元で話しかけることも出来なかったという人は相当数いたことでしょう本来、そんな理不尽なことがあっていいわけがありませんでも、確かにあったのです私ずーっと葬儀屋なんですが質問です。コロナで亡くなった方も、今では普通に葬儀できるんですが、じゃー何であの時期は即火葬だったんですか?死者からもコロナがうつるかもって事で即火葬してたんですよね?じゃー何で今は普通に葬儀できるんですか?即火葬は本当に意味があったんですか?—スパ
父が亡くなりました。面会で目を開ける事が少し増えたので、まだまだいけるんじゃないかと思ってましたが、また肺炎を起こし、しかし血管がもう針を刺せなくなり、前日に「もう点滴外します」と言われたばかり。そしてまさかの翌朝、朝食の準備をしている最中に病院から「すぐ来られますか?」と電話が来ました。まだ母が寝ていたのを起こし、まずトイレへ連れて行くと、こんな時に限って💩が私の足の上にボトントイレに座るときも歩く時も、なんだかモタモタして、私が焦れば焦るほど逆効果に電話から1時間後に病院へ着く
今まで散々、コケにしてたよね。本家をさ。あたしたちは別にいいんだけどぉ〜。ってかさ。世間がそうはさせてくれないよなっ!なんか本家蔑ろで何でも、前へ前へ出て来るやん。本家のウチらに率先して動けない事情があるならまだわかる。無いしっ!そんなもん。まめ太郎さん曰くきょうだいがこんな風になる原因を作った親が悪いって。それだとしても…当人たちの人間性もあるんとちがう?ぉい。サバ家、イワシ家。何を本家のまめ太郎さんを出し抜く必要がある?(あ、財●か)事あるごとに世間はね、こちら本家
先日叔父(母の弟)が亡くなり21日に葬儀に参列して来ました通夜のない1日葬でしたが湯灌に旅支度そして納棺とても丁寧なやり方で葬儀屋さんによっていろいろなんだなぁと思いながら見せてもらいました。家族葬で静かに穏やかに最後の収骨までしっかりと叔父にお礼を言いお見送りが出来ました。翌22日は特養へ母の面会に叔父が亡くなった事を伝えるべきか迷いましたが伝える事にしました。今日は悲しいお知らせなのと言い1月に叔父がひとりそして今回もうひとり亡くなったと伝えました。母は一瞬よく
病院や施設に入っている人が旅立って一番に考えなければいけないのが、【どうやって、自宅に連れて帰るか?】です。そのまま、葬儀の会場に運ぶおうちもあるようですが、我が家は、とりあえず、一回自宅に連れて行こう・・・という話になっていました。連れ帰るにあたり、搬送を頼む必要があるのですが、これは葬儀社に依頼をします。で、だいたいが、運んで下さった葬儀社でお葬式を行います。だから、どこに頼むのかが重要になってきます。できるだけお金をかけずに、母を送る・・・ということで
先月、父親が死んだ。享年92かかった費用は葬儀屋さんに1,221,541円お坊さんに735,000円計1,956,541円香典・弔慰金は70万円弱差し引き130万円ほどの出費相続手続きはこれからです。本日の金融資産残高は103,540千円