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鳥尾鶴代さんは著名な画家の孫娘として生まれ、学習院を卒業し、子爵夫人となり華族として生き、戦後はGHQの大物の恋人としてGHQの影の女王と呼ばれ、後年は銀座のマダムとして活躍しました。しかし長い長い人生、幸せと不幸せは背中合わせ、幸福ばかりが長続きするものではなく、時代に翻弄され、波瀾万丈の人生を送りました。(婚約時代の鶴代さん)鳥尾鶴代は1912年5月25日に、著名な日本画家で貴族議員の孫娘として英国大使館裏にあった大きな屋敷で下條鶴代として生まれました。(鶴代の祖父で日本画家、下條正
秦の始皇帝が中国大陸に初めての統一帝国を樹立する前の多くの国々が互いに争いあっていた春秋戦国時代の一時点、春秋時代、紀元前500年での漢民族のルーツ周と同族グループと、秦の同族のグループ、そして、その他の西域の異民族にグループ分けすることが出来た。その他の西域の異民族も羌族が主に広範囲に活動していた。すなわち、漢民族のルーツの周の同族の国々は黄河流域(中原)に存在しているが、これを取り囲むように秦の同族の国々が存在したことを示唆する。そして西域の異民族の羌族も実は秦と同族であったので、中国大陸
お印は石楠花。婚約の日に。お妃教育。嫁ぐ日に、ご両親と家族に挨拶する華子さん。若い頃は可愛らしい雰囲気の方だったのですね。姑である故・香淳皇后は長男の嫁である美智子さま(当時は皇太子妃)より次男の嫁である華子さまを可愛がったというが(私が伝え聞いた話では。やはり学習院出身だからか!?)。
概して、女性皇族の方が迫力がある。しかし、いまは、みんな若く、しかも、ほとんど平民だから、麻生太郎の妹、寛仁親王妃くらいしか貫禄はない(先祖は華族である)。これが、昭和にさかのぼると恐ろしいことになり、上皇后陛下以外、すべて華族だったから、その迫力といったら、半端なかった。上の画像、右側の二人にその名残が見られる:宣仁親王妃喜久子殿下(高松宮妃)と、正仁親王妃華子殿下(常陸宮妃)である。
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【私案に寄せて】各既存の政党における憲法案を見ると、毎度お馴染みの「天皇の元首化」や「首相公選制」に「軍隊の保持」と、飽き飽きしてくるような項目ばかりです。私は「統治機構を丸ごと変えて」しまってもいいのでは、との思考に至りました。つまり、国家改造です!私は、日本国を『象徴天皇制』から『大統領(太政大臣)制』へ移行して新たな「新国家・日本」を、建国する事が、日本再生の一番の方法ではないかと思い、ここでは日本から皇室を分離した独立国家『皇国』の建国を記する事にします。『皇国憲法私案』1【宗