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アロハワイキキで働いた約20年。いろんな事があった。でもまさかコロナで終わりを迎えることになろうとは思ってもなかったな....。しかし、20年もハワイにいて、この英語力...我ながら情けないと思うが...いや、それにはれっきとした理由がある‼️初めの10年は、ほとんどのお客さんは、まだ日本人だった。それ故、ハワイにいながらにしてずーーっと日本語喋りっぱなし今思うと、ある意味、日本にいる時より喋ってたかもしてない。後の10年は、中国バブル炸裂。ボケかかった脳ミソを何と
アロハ20年前のハワイ。爺の口癖、Youcandoit.やれるさ、大丈夫。に、励まされ、幼稚園児以下の英語レベルの、40代半ばのおばさんが、ワイキキで働き始めた。アメリカ式履歴書尿検査(ドラッグの有無)生き地獄の英語での1週間トレーニングを、何とかクリアし、晴れて、売り場に立つことができた。ただ、ここでも3ヶ月間はまだ仮の社員。売り場での働きぶりをマネージャーがチェックし、正式採用かどうか決定されるのだ。はぁ、、、、長い道のりだ。。。他の先輩達は、もう
アロハ古くて地味なコンドだったけど風が入り、明るかった。小さなラナイもあり、ワイキキのビル群の間からちょこっとだけど青い空も見えた。洗濯も、誰に気兼ねすることなくいつでもできた。やっと人間らしい暮らしができて、うれしかった。2年ちょっと住んだ、暗い牢獄生活で悪くなった体調も、徐々に良くなってきた。家賃も上がったし、働かないと。ワイキキの日本食レストランの初日。店内を見渡して愕然。お客さんは、ほとんど外人だった。英語使わなくていい~って勝手に思い込み、入ったのに
アロハついに、限界がきた。ロール寿司に未練があり、6ヶ月近く頑張ったけど、とうとう勇気を出してマネージャーに辞めさせてくださいと伝えた。(約17年前当時婆はまだ40代だった。)いろいろあったワイキキの日本食レストラン。ここで学んだことはいっぱいある。当たり前のことだけど、婆から見たら同じような顔をしてる外人。でも聞いてみると、オーストラリアや、スウェーデン、ドイツやアルゼンチンにチリ、ブラジル....ありとあらゆる国から、この太平洋の真ん中の、こんなちっち