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風街散歩新選組ゆかりの地⑥芹沢鴨【せりざわかも】新選組筆頭局長✳芹沢鴨⁉文政10年(1827年)、常陸国行方群玉造町芹沢村(現茨城県行方群玉造町)、芹沢城主の末裔で36代目にあたる豪士、芹沢貞幹の三男に生れる。幼少の頃より力が強くワンパクであったが、人望厚く、剣客であり、絵が上手く、子供たちに大人気だった。青年時代は、水戸学と尊王攘夷思想を延方(のぶかた)郷校で学び、剣術は岡田十松の神道無念流を戸賀熊太郎の元で鍛え、免許皆伝の腕前であった。安政6年(1859年)
関西旅行最終日。旦那くんは友人と梅田で飲む予定で、その間の私は半日自由時間となりました小さい頃から新撰組が大好きな私。新撰組に関する京都の地はほとんど巡っています。今回は新撰組初代局長芹沢鴨に関する場所を観光する事にしました。先ずは、お墓参りから。壬生寺にある、芹沢鴨と平山五郎のお墓。こちらも幾度となく訪れました。境内の一角に、有料となりますが、お二人の墓所があります。芹沢鴨の最期の夜、宿宿としていた八木邸で、角屋で飲酒後に就寝していた所を近藤勇一派に襲撃されて絶命。八木邸
天念理心流の謎と新選組最大の秘密について全てを話すと言う近藤。一年以上前、新選組が「壬生浪士組」の名で京に出てきた頃、壬生浪士組にはもう1人の“局長”である芹沢鴨がいた。芹沢は、裏の世界、つまり影として日の本一と恐れられた水戸藩出身の男だった。なんと、沖田総司の正体は平山五郎だった!!兄さん、前世でもゴローちゃんだったのかそして、その全ては吉田東洋の暗殺と密接に関係しているとのこと。大の字でイビキかいて寝てる兄さんwwwこんなうっさいのの隣でよく寝てられるな。しかも