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050あしや温故知新VOL50芦屋川トンネル「国鉄の技術力が世界へ」1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道が東京・新橋―横浜間で開業しました。そして2年後の74年には大阪と神戸が結ばれました。この時の資料が詳しく残っていないのが残念ですが、この東海道の大阪~神戸を結ぶ鉄道で最も難航した工事がありました。業平橋の北、大正橋のすぐ南には、JRの列車が芦屋川の下に造られたトンネルを通りぬけています。鉄道は通常、川の上を通ります。しかし、この場所は逆になって
芦屋のお土産牛肉の佃煮をいただいたよん?瓶?想像していた佃煮とちがう〜大正末期創業!1925年!芦屋の味佃煮だけど、賞味期限は短いです佃煮だけど、牛肉が大きすぎる!生姜もいい感じにきいてて控えめに言って最高に美味しいです😋ありがとうございます♪お米は娘が小学校で田植えから育ててきた新米を少しずつ頂いたので炊きました!炊き立てのご飯がすすんでしまう🍚今度、神戸行ったら芦屋軒行ってみたい!
あしや温故知新VOL179西蔵町芦屋の地名シリーズ40宮川下流西側を呉川町、東側が西蔵町と呼びます。昔の小字名の北から西川原・中川原・下川原・芳竹目・大浜を合わせて西蔵町としています。西国街道沿いの西川原(現国道43号線)沿いには、西川原を中心に大きな集落がありました。その名前が西蔵だったとされています。西蔵の名前は江戸時代に南宮郵便局あたりに郷蔵(年貢を保管したり、不作に備えて米を蓄えておく村の倉庫)があったという説もあるそうです。この郷蔵の南に打出の入り江があったよう
あしや温故知新VOL243黒川古文化研究所黒川古文化研究所は、二代目黒川幸七氏の収集品を中心とする黒川家所蔵の古文化財を、三代幸七・イク御夫妻が、調査研究と普及公開を目的に寄付し、昭和25年10月に芦屋市打出春日町34番地で設立された財団法人です。財団法人の認可は昭和25年(1950年)10月。平成23年(2011年)4月には公益財団法人に認定されている。その文化財は中国・朝鮮および日本の鏡・銅器・玉器・鈴鐸・古瓦・陶磁器・貨幣・書籍・絵画・経巻・刀剣とその付属品など広範囲にわたる
本日22日月曜日から入院する病院で、、。私は間違えていないような気がするのですが、入院手続き中問診票に最近、気になっている事はありますか?の設問があった。もちろん迷わず!正直に書いた。「阪神タイガースのアレンパ、連覇、、」看護師さんがそれを見て「タイガースがお好きなんですね」私、「気になって!気になって!夜しか寝れません、、、」看護師さん「、、、、」会話が続かない。私は間違っていない、、、はずだ。
西宮の門戸厄神に参拝しました。入院前なので気になりました。18日が雨のために19日がすごい人を予想しておりましたが、意外と空いていました。#芦屋市#西宮市#門戸厄神#門戸厄神東光寺#たくさんの人#賑わい#厄神さん#門戸厄神駅
あしや温故知新VOL53親王寺〈阿保山親王寺)「親王寺」打出町の国道43号線の北側に、阿保山親王寺があります。この寺の言い伝えでは、芦屋と関係の深い在原業平(ありわらのなりひら)の父である阿保親王がこの地に住んでいたことから、約1150年ほども昔の平安時代にこの親王寺は建てられ、阿保親王の菩提寺とされたと建立の経緯が記されています。この阿保親王の子孫であるということで、長州(山口県)の殿様の毛利家は江戸との行き帰りに必ずこの寺を訪れ、しばしば進物を贈ったと言われております
芦屋トーヨーボウル神戸市東灘区深江本町の国道43号線沿いにありました。本来は「深江ボウル」とするべきですが、高級住宅地として「芦屋」がブランドになる頃でした。芦屋と名のついたマンションが深江の地にも登場してしまうほど人気があったものだと推測します。(深江文化村など街づくりは芦屋を遥かに凌駕している地域なのに!)また芦屋市には遊興施設がなく、ゲームセンターなどは市民運動によって排除されるのが常識的に広まっていました。しかし、そんな禁止するような条例規制は一切存在していませんでした。