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当時のアサヒグラフより。事故機です。ボーイング727-200型機、機体番号JA8329画像はお借りしました。全日空機雫石衝突事故全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計1
森永卓郎氏の新刊、書いてはいけないこれ、amazonで発売前から予約していたのですが、まだ「見発送」で手元にありません。注文が殺到し、今増版中なのだと思います。なぜ注文したかというと、JAL123便墜落事故のことが書いてあるからです。本を読んでからブログを書こうかと考えていましたが、いつになるかも分かりませんし、またyoutubeで動画がアップされていたのでその内容と変わらないだろうと、このタイミングでいいと判断しました。沢山の方々が紹介されて
43年前の今日。。。1971年7月30日、岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸58便機『機種ボーイング727-281』と航空自衛隊の戦闘機『機種F-86F』が空中衝突し、両機ともに墜落しました。自衛隊機の乗員は脱出したものの、旅客機は空中分解して乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲になりました。ご存じない方もいらっしゃると思いますが、日航ジャンボ機墜落事故(1985年8月12日)が発生するまで、国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故でした。私が知っているのは、
こんにちはトラッカーS2F-U標的曳航機の続きです。機体の組み立てが終わり3色の迷彩で塗り分け作業です。黄色はうまく発色しないので、最初に缶スプレーの黄色系C109キャラクターイエローを全体、2から3回塗布しました。ここから塗り分けと黄色の調整をエアブラシで行う予定です。
今回の投稿では、日航123便の墜落状況ついて解説します。日航123便の墜落状況について、詳しく語られた動画や記事は少なく、そのせいか自衛隊機により123便は撃墜されたなどと、突飛な事を言う方もいらっしゃいます。こうした主張を陰謀論とし、真相追求をしょうとする者を陰謀論者と一括りにして否定し、事故調査委員会の発表はすべて正しいとの印象操作がなされています。こうしたことを防止し、墜落状況を正しく理解すれば、捜索活動がいかに攪乱されて遅れさせられたのかを知ることができます。解説にあたっては、元群馬県
大芝高原西の工業団地からみた中央アルプス普段見る角度と違う山容に戸惑ってしまう真ん中のピークが将棊頭山か?と、後方遠くから大きな音をたてて自衛隊機が飛んできたC-130H輸送機のような...(あまり詳しくない('◇')ゞ)目の前で方向転換していったあっというまに飛んでいってしまったもう少しゆっくり飛んでくれないかな...自分の普段使いのNiconCOOLPIXA900では連写がつらいのだ
ども~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!なんか、台風一過というか、またちょっと暑くなってまいりまして、おかげで、腰の痛みが吹き飛びましたw。やっぱ冷やすとヤバいみたいですね。昨日は、怒りに任せて書いた「ゴジラ」記事に多くのコメントありがとうございました!!また、昨日のアクセス数はなんと1900!!もっともこれは、ロボットアクセスによるものだったようで、深夜に集中しており、ランキング的には下がってしまいましたが(・∀・)さて、また「あの日」が近づいてまいりましたね。