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【4月20日】京都府八幡市にある臨済宗妙心寺派円福寺さんの万人講へ。御朱印は沢山あるので事前に全部書いたのをお願いしていました。
日本にある臨済宗寺院は約5,650ヶ寺、その内の約3,350ヶ寺を妙心寺派が占めている。実は僕の家のお寺さんも臨済宗妙心寺派日本の仏教界の一大勢力と言って間違いないでしょう!以下、妙心寺のスケールなどについてこの日いただいたパンフレットから抜粋してみました。【妙心寺について】妙心寺の敷地は一体どのくらいあるかと言いますと、南は南総門から北は北総門まで約600m、西は大法院から東は東林院まで約550m、坪数で言いますと約10万坪ございます。一言で10万坪と言いましても想像つ
【4月14日】京都市右京区にある臨済宗大本山妙心寺塔頭長慶院さんへ。午前中は住職さんがお参りで不在でしたので御朱印帳を預けて午後から取りに行きました。
【岐阜】【平安寺御朱印】【平安寺御朱印】【平安寺御朱印】【本堂】【宗派】臨済宗妙心寺派【山号】洞海山【寺号】平安寺【御本尊】薬師如来【開基】白河法皇【霊場】西美濃三十三霊場10番札所弓削寺・寺伝によると応徳年間(1084年~1087年)白河法皇が谷汲産参詣の折、発病され谷汲観音の姿の御告げで池田郡弓削寺にて湯治平癒されたので平安殿を建て大般若経600巻を書写奉納されたのが平安寺とし
怒涛の3月を終え気がつけば4月半ば…ブログをすっかり忘れてましたw忘れていても月日は経ち桜が満開となっています。そんな桜に囲まれた中の4月8日お釈迦様生誕である華の日に愛知県犬山市にある臨済宗妙心寺派の瑞泉寺にて浄行をしてきました。無縁を有縁にする意味もあり30名ほどで石碑を磨き周辺を綺麗にして最後に瑞泉寺の老師様と雲水さんに法要をしていただきました。磨かれて綺麗になった無縁台座は空気が変わったようにスッキリした雰囲気になります。喜んで頂けたかな?と思いまし
「ご朱印」令和3年に参拝した神社仏閣「崇禅寺」令和3年分(2019年)1枚目:(通算1235枚目)参拝日:令和3年(2021年)5月31日地元の寺院「光雲山崇禅寺」宗派:臨済宗妙心寺派寺院本尊:聖観世音菩薩住所:岐阜県土岐市妻木町55-1崇禅寺の沿革:文和3年(1354年)、土岐頼貞の九男で初代妻木城主となった明智頼重(妻木氏の先祖)が菩提寺として開基し、虎渓山永保寺三世の果山正位が開山した。鎌倉時代の
参拝日2024/3/311/11蔭凉寺いんりょうじ山号:大樹山宗派:臨済宗妙心寺派愛知県田原市高木町中畑3☎0531-32-0443三河准四国八十八ヶ所29番霊場渥美半島十七観音11番霊場いただいた御朱印は東三坂東霊場三十二番札所調べた見たのですがこの霊場が分からないままです。山門表札本堂と境内左側にはお堂が二つ右のお堂は文殊師利菩薩左のお堂は馬頭観世音菩薩が祀られているようです。上空写真(Google)
龍安寺(りょうあんじ)は、衣笠山の麓に創建された臨済宗妙心寺派の寺院で、大雲山と号し禅苑の名刹で、平成六年(994年)に世界文化遺産に登録された。龍安寺は、もとは徳大寺家の別荘であったが、宝徳二年(1450年)に細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天玄承を開山として創建された。方丈庭園の石庭は国の特別名勝の史跡であり、また、寺の南側には、大きな鏡容池を中心とする池泉回遊式庭園になっており、平安期の庭園の名残である。所在地:京都市右京区龍安寺御陵下町13龍安寺の境内図石の大
龍安寺(りょうあんじ)は、宝徳二年(1450年)に管領・細川勝元が徳大寺家の別荘であったのを譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)禅師を開山として創建された禅寺である。創建当時の建物は応仁の乱で焼失し、明応八年(149年)に勝元の子・細川政元が再興したが、寛政九年(1797年)に火災で方丈・仏殿・開山堂などを失った。現在の方丈は、西源院の方丈を移築したもの。方丈の前庭は、枯山水の石庭として国の特別名勝の史跡として有名である。古都京都の文化財として世界文化遺産に登録されている。
下呂温泉街から東へ500m程のお寺に来ました寺院名;瑞泉山泰心寺宗派;臨済宗妙心寺派御本尊;釈迦牟尼所在地;岐阜県下呂市森743TEL;0576-25-2385泰心寺の開創は不詳ですが聖観音2体、日光菩薩の円空仏が所蔵されている寺院です寺標鐘楼門鐘本堂堂内子安地蔵尊像*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆いつどこでいつどこでわたしのことを思うてペンをとったり祈りをしたり道を歩いたり草をむしってり御飯