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今朝の朝食フルタイムで働いていた頃は、お金は貯めるものと思っていて使うより貯めることに喜びを感じていました。ところが退職して1年過ぎ、お金は、貯めるより使うほうが倍杯も楽しいと今更ながら気付きました。少ない年金で暮らせないわけではないけど。でもそんなの楽しくない〜^^;お金を使わないと楽しめないこともいっぱいある。フルで仕事してたころは、忙しくて考える余裕がなかっただけ。シルバーの仕事は、週3✕3時間火水金が勤務日。今日は3連休明けの勤務、明日は2連勤目。連勤さえ乗
紫陽花ももう少し母、整形外科受診。どうやら4日前に父と1時間ほど散歩してから歩けなくなり2日程寝込んだらしい。そして昨日、うちに来て「歩けなくなったから整形外科受診したい」と。うちまで徒歩10分。うちまで歩行器使って歩いて来てるじゃない?足がしびれる。動かない。歩けない。今日は勤務日、前もってわかっていたら休みをもらってたのですが急な申し出。本当に腰が抜けて歩けない状態、緊急を要する病状であれば休むのですが。行きだけ車で送り父に同行してもらって帰りはタクシーを病院で呼んでもらう
昨日の夜。あぶないあぶない救急車呼ぼうかと…思ったわそれが…昨日は乳腺外科受診だったんだな病院に着いて受付に予約票を渡したらばすぐに乳腺ナースさんが来てくれてねそしてベッドに寝かせてくれたのよねほんとうにほんとーにありがたいよ〜🥲んでポートからの採血なんでねこれまたぁMせんせーがわざわざベッドのとこまで来てくれるのよ〜もうねM先生が率いる乳腺チームには感謝しかございませんです🙏アリガト。🩸採血結果が出るまで〜の約一時間くらい…ベッドで待ち〜の🤤採血
岩手県盛岡市にいる父は現在87歳、この年にして脊髄の手術を行ないました。しかも手術をしたのは、(失礼を承知で)昭和時代に開業した古臭いままの病院の院長で、86歳の脳神経外科医です。健康に対して少々神経質の父は、これまで特に大きな病気がありませんでした。最近になって血圧が140mmHg台という事で、効果が弱い降圧剤を飲み始めました。この年齢になって今更飲むべきかは、医師の間でも考え方が異なりますが、まあその程度の健康状態を保ってきたという事です。若い頃に喫煙をしていましたが、肺の病気も
事実と異なる術前状況の続きです。2020年1月7日に脊髄造影検査(ミエログラフィー)を受け、その検査結果を聞くため、1月17日に外来受診しました。〇〇医師(過失医)より『腰部脊柱管狭窄症であること』『早急に腰椎後方除圧術を受けた方が良い』『腰椎後方除圧術の後、投薬(フォルテオ)で骨を強くしてから数ヶ月後に固定術を受けた方が良い』等の説明を受けました。腰椎後方除圧術については、『早くしないと人工透析になる可能性がある』とのことで、3日後の1月20日(月)に入院、22日(水)の手
現在朝4時です。おはようございますDONちゃんです。術後すぐから痛かった左膝の痛みで目が覚めてしまいました膝など痛くなった事ないのに手術中の体制が悪かった?膝痛いのかなり辛いです。太もももいまだ痛い。さて先程ブロ友さんが入院準備でお買い物されて来たというのを拝読し書くことにしました。リアル現在あって良かったもの術後全く動けません何でもナースコール(なかなか呼べないよ)申し訳ないので我慢しちゃう。私は術後すぐ口が濯ぎたく
おはようございます今日の岐阜はくもり☁️時々晴れ☀️最高気温5度の予報です今朝起きたらまだ雪☃️が振っていましたが今は止んでいますまだお庭の雪☃️はこんな感じですがお日様も少しずつ出て来たので段々と溶けて行くでしょう昨日は雪☃️の中腰椎変性すべり症、腰部脊柱管狭窄症の腰椎側方椎体間固定術(XLIF)の術後1年半の検診でした大雪❄️の為車で行けるかどうか心配でしたがなんとか行って来られました電車🚃は無いしバス🚍停までも距離があり途中乗り換えないと着かない岐阜は都会と違って車が無いと
ゴールデンウイークも終わり間近になってきましたね〜暦通りの私にとってはあっという間だな💦今日、5月5日は脊柱管狭窄症の手術を2021年に受けたから3年が経ちました㊗️3周年記念だぜっ!イェーイもぅ3年かぁ〜と思ったりまだ3年しか経ってないのにぃ〜と思う事を振り返って書いとこうかな・最近になって坐骨神経が時々出たりするけど長引きは今の所してないから湿布で対応(薬を飲むほどではない)・仙腸骨辺りが痛むがある・整骨院では手術したL4.5の筋肉は日に日に固くなってるって言われ
こんにちは!今日は午前中の自主トレをハードにして頑張ったよ(←もぅ2度とやらないけどっ)それぐらい動けるようになってきていますただ、食事をしたり作業で30分ほど座っていると左の痺れが気になります先生は、今回この手術で左側にスペンサーを入れている部分が炎症を起こしてる(昨日のMRI画像を見て分かる)ため血の通り⁉︎神経の通り⁉︎が悪くなってる。徐々に戻るから問題ないとは言ってくれているので安心はしてるんだけどねっ今日は入院中の患者側のメンタルについて感じた事を書いたこうと思います私は大部
実際の術前状況の続きです。手術当日の朝、当時の主治医〇〇医師(過失医)が病室まで来てくださり、不安そうにしていた母に「退院する頃にはスタスタ歩いて帰れますからね!」と笑顔でお声掛けくださったことを今でも鮮明に覚えています。私としては母がスタスタ歩くほど劇的に良くならなかったとしても、手術することで腰痛が緩和され、何よりも人工透析を避けられるなら・・・と思っていました。しかし、母は「スタスタ歩けるように」という力強い言葉に励まされたようで、私は上機嫌になった母を見て少しほっと
入院当日の朝の続きです。家を出発した後、母は車の中でも「手術嫌やわ。今度も絶対痛いと思うわ・・・」と言い続け、ずっと不機嫌な様子でした。私はそんな母に向かって「今度は全身麻酔やから全然痛くないって!先生も簡単な手術やって言ってはったやん!」等と、適当なことを言って宥めたような記憶があります。最低最悪の娘です。少し時間に余裕があったので、母の機嫌を取るために「散髪でもしてから入院する?モーニングでもいいけど?」と聞いたところ、「コメダのモーニングが食べたい」と言うので、市民病院近くの
事実の説明の続きです。医療事故から約4ヶ月が経過した2020年5月26日、〇〇医師(上級医)より母の手術動画を見せていただきました。知識のない私が見てもわからないだろうと思っていましたが、ドリルで神経を巻き込んだ事故の瞬間は素人の私でもはっきりとわかるくらいショッキングな映像でした。誠実に事後対応してくださった病院関係者は〇〇医師(上級医)だけでした。この3年間、「手術前まで時間が巻き戻せたら良いのに」という会話を何回したことか・・・〇〇医師(上級医)も私も悔やんでも悔やみきれず、
下肢(足)のしびれ、臀部(おしり)のしびれ、痛み2020/12/07テーマ:足がしびれる、臀部がしびれる下肢のしびれとして代表的な疾患は「腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)」「腰椎椎間板ヘルニア(ようついついかんばんへるにあ)」があります(他にもたくさんありますので、あくまでも代表的なものとして)。今回は「腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)」について「腰部脊柱管狭窄症」は比較的高齢の方に多い疾患です。腰の骨の中の神経の通り道「脊柱管(
今日もですでも日陰は随分マシかな今日は術後約4ヶ月後の診察でしたいつも予約の30分前には行くんだけど受付行ったら10人待ってると…なのでタリーズへ直行早めのお昼ご飯を済ませて明日渡すお手紙の続きを書き上げるくらいの時間がたぁーっぷりありましたそして診察の番が2時間後にやってきましたどうですか?コルセットもせず生活出来てますコルセットしなくても大丈夫?痛みは?我慢出来るくらいなら大丈夫ですよね?痛みは出る?はい、左腰からお尻足にかけて痛みがあったり、長時間座ってると臀
毎日、緑内障の目薬、点眼薬を朝2回、夕方3回点すこと・・・緑内障生活がもうすぐ丸6年に成り、そこまで苦痛に感じなくはなった。グラアルファ・・・アイファガンとグラナテックの点眼薬が1つの合剤になったのが本当に有難い。それが無かったら朝は3回、夜は4回も点眼していたので。コソプトのジェネリックのドルモロール点眼薬を点していた2年近くは副作用に悩まされなかったが、ドライアイが角膜に傷?や目が滲みる痛さが半端なくて、ヒアルロン酸ナトリウムPFでは目の痛みが取れなく、ムコスタ点眼薬を点しても、タ
手術終了直後の続きです。手術終了後、病棟内にある小さなカンファレンスルームで〇〇医師(過失医)は沈んだ表情のまま静かに話し始めました。以下のような説明を受けたことを記録しています。「手術中に問題が起こった」「ドリルの先端が硬膜に当たってしまい、神経が飛び出して元に戻した」「現段階では神経が切れたかどうか、後遺障害が残るかどうか分からない」「問題が発生したことを正直に家族に話したいと自分から上級医に申し出た」※しかし、後日(2月4日)上級医から全く逆のことを聞かされまし
こんにちはっ昨日の夜、眠剤貰ったのにさぁ〜やっぱり2時間おきに目が覚めるんだよね〜あんまり体を動かしてないし疲れないから仕方ないのかなぁ。今日は午前中に抜鈎してもらえましたー!(抜鈎←読み“ばっこう”ステープラーを抜く事)痛い?人によっては感じ方はそれぞれなんですけど痛くないように頑張りますね。いきますよ!…こんな感じです、どうですか?うんうん、チクッてする感じだけど大丈夫!てな感じて、時々イテッてのもあったけど、大半は髪の毛を一本勢いよく抜かれた感じの痛さ⁉︎や無痛でした。
令和6年の母の日に思い出したこと2007年(平成19/8月)母の痴呆症に介護が必要になった。3人の妹たちは鳥取の実家のそばに暮らしていたが、介護を拒否した。その理由は私のただ1人の家族である娘は外国に留学中だった。気ままな独り暮らしだと思われてもしょーがない。介護はいつ終了するのかメドがたたない。寝
退院しました!テープカットならぬネームバンドカット5月4日に入院してちょうど3週間。終わってみれば早かった3週間。色んな人に心配をかけ、いろんな人に支えてもらえたから今日元気に退院出来た!本当に本当に有難うございました。昨日、ふと思い出したの…私の幼少時代のことお母さんと離れるのが嫌で嫌で毎日大泣きで幼稚園のバスの後方からお母さんの姿が小さくなるのを見ていた頃のことを…小学校へ入学しても行きたくなくて、集団登校時も大泣き…姉2人はいつも泣いている私を見兼ねて鞄に入れていた10円玉を