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致死率18%の感染症を媒介するマダニの数、韓国で前年同月比30%増【独自】(朝鮮日報日本語版)-Yahoo!ニュース致死率が18%超の重症熱性血小板減少症候群(SFTS)感染症を媒介するマダニの数が、1年で30%も増加したことが分かった。2020年以降で最多だ。news.yahoo.co.jp厚労省のカモ国家、韓国で予想通りの病気が発生している。マダニ感染症はコロナ感染症に似ているというが、似ていて当たり前だ。正確にはマダニ感染症でもコロナ感染症でもなく、ワクチン毒症である。
この日も息子と病院の廊下をお散歩していた日の事何と息子が廊下に設置されている自動販売機に手を伸ばしたのですそして指で自動販売機のボタンをポチポチ押し始めたのですそして看護師さんの名札をジーッと見て手で引っ張ったのですちゃんと見えてる指も使えてる先生にも「目は見えてますね」と言っていただけたのです良かった息子は少しずつ回復してきたのを実感できるようになっ
とうとう息子が通っていた幼稚園の卒園式の日が来てしまいました皆は今頃卒園式をしてるでも息子は病院のベッドの上しかも息子は今日が自分の卒園式という事も理解していない幼稚園の先生から「良かったらお母さんだけでも卒園式参加されますか」と聞かれたけどもちろんお断りしました息子が目の前にいない卒園式なんて見たくないよ何でうちの子は卒園式に出れないの卒園式が終わっ
蕁麻疹も良くなり息子の付き添い&介護がまた始まったのです相変わらず息子は鼻のチューブを抜こうとするしその度に何かおもちゃで気を逸らしたり本当に入院生活がストレスしかなかったのですもう私はこのストレスに限界を感じ先生にお願いをしたのです🙇♀️「早く胃ろうにしてください」すると先生から「なるべく胃ろうは避けたいのでだいぶご飯も食べれるようになってきたしこれをきっかけに3食口から食べてみましょうかそれで食べれた
段々息子の痙攣も落ち着いてきたようでそろそろ昼間は病室で治療して夜のみナースステーションで治療していこうという事になったのです今まではナースステーションだったので息子に話しかけるのも小さな声で話しかけていましたでもこの日から個室に移動になったのでちょっと狭いけど息子の隣で一緒にベッドに寝たり思い出話をたくさん話しかけていましたでもやっぱり寂しいな話しかけても反応ないしねこれからもこんな感じなのかっ
段々息子の意識がはっきりしてきたのです鼻から通してある胃管のチューブの不快感がわかるようになってきて抜こうとするのです意識がはっきりしてきたのは嬉しいけど抜いたらダメという事は理解できないのでとにかく胃管を抜こうとするのです仕方なく夜の間は両手にミトンをつけて息子の腕はベッドの柵にくくりつけられ拘束されてしまったのですかわいそうすぎるでも夜中に胃管を抜いてしまっても困るし私は仕方なく拘束する
1月末の退院後、2回目の外来で造影MRIしてきました。結果は良かったです。期待してなかっただけに「あ、え?そうですかー。ということは何となく首の後が痛い気もしてたのは寝違いだったのか〜」という感じで。ただやっぱりなぜ移植後4年半経ったこのタイミングで例のhhv6ウィルスが再活性しだした?のか?先生的にも謎なので「一旦今回の髄膜炎に関しては寛解ということでいいけど、引き続き要警戒で何か変な症状が出たらすぐ病院へ」という経過となりました。まあ、よしとしましょう。いや、よかったです
しばらくはナースステーションで治療してる息子いつものように息子に会いに行った日の事ですナースステーションにもうすぐ着くという所で看護師さんが急いで私の所に来たのです「お母さんれんくんがママ~ママ~って言ってますよ」って言いに来たのです嘘でしょ急いで息子の所に行くとすごい苦しそうに顔を真っ赤にして「まままままま~」と言っていたのですどうやらカニューレを声の出るのやつに交換してくれたよ
痙攣については抗痙攣薬を調整し注射による抗痙攣薬の持続投与は中止出来ている臨時投与は必要な状態である現時点で坐位が不可能な為リハビリが必要である寝返りも難しい状況である現在経管栄養(流動食)であるまだ嚥下は難しい経鼻胃チューブにより経管栄養を長期にすることは困難で胃ろう(胃にチューブを通す)により経管栄養を行う場合もあり得るあんなに元気だった息子が寝返りも出来なくなってしまった
息子はもうすぐ小学1年生ピカピカのランドセルも秋には購入していました息子は嬉しそうにランドセルを背負っていましたそれなのに病気になってしまいランドセルを背負って学校に行くという夢が奪われてしまったのですそんなある日友達から息子へのお祝いが届いたのです🎁「もうすぐ小学生だね楽しみだね」って全然楽しみなんかじゃない小学校に行けないし悲しすぎる私はまだ息子が障害児
息子の付き添いが本当にストレスで仕方ありませんでした運動面は回復したものの脳は萎縮してしまい理解が出来ない病室を歩き回るし廊下に出て行こうとするし鼻のチューブを抜こうとするしで目が離せなくなってしまったのですなので特別に病室の鍵を閉める事を許していただいたのですでも外から鍵を閉める事は出来ないのでトイレに行くのも大変なのですトイレに行きたくなったらナースコールをしてトイレに行かないと息
両親にボイスレコーダーにメッセージを録音してもらいそして幼稚園の皆からもメッセージをもらえたら絶対息子は元気になれるそう思い私はボイスレコーダーを持って幼稚園の先生にお願いしに行ったのです先生は「もちろん良いですよ」と引き受けて下さり早速お友達からのメッセージを受けっとったのです他にも皆で歌った歌のプレゼントお手紙皆の似顔絵そして先生達で作っていただいた千羽鶴までプレゼントしてくれたのですそして絵本
道端で倒れて救急搬送されたみい、そのまま入院し、翌朝目覚めました。もう、普通に受け答えできて、少しフラフラするくらい。朝ご飯を食べて、退院となりました。脳炎発症時よく行っていたお気に入りのプレイルームを覗きましたが、保育士さんは変わっていて知らない人でした。見知った看護師さんもおらず、みいは少し残念そうでした。もうあれから六年くらい経ってるもんね。早いような…。やっとのような。みいが大きくなるにつけて、周りの普通の子との差を大きく感じるようになっています。きっとちょうど成長期で、
以前の記事がアメトピに掲載して頂いたようでビックリするようなアクセス数になっており思わず携帯を落としそうになりました(笑)脳症や脳炎の認知に繋がれば嬉しく思います。picuで息子が眠っている間毎日保育園へ行くときに大好きで車で観ていたペットというDVDと仮面ライダーのアルバムをプレイヤーで流していました。本人に聞こえていたかは分かりませんがスタッフの皆さんもわたしが面会する前からDVDやCDを流してくださっていました。アラーム音と呼吸器の空気の音だけが鳴
息子が手足麻痺と告知されてから初めての面談でした病名:難治頻回部分発作重積型急性脳炎難治性脳症である痙攣のコントロールが難しいMRIの検査にて脳が萎縮後遺症として四肢麻痺体幹機能障害が認められる坐位がとれない状況手足は意思で動かしていないある程度はリハビリで改善できるかもしれないがどの程度まで機能が回復するかは不明である根本的な治療は難しい息子の大事な脳が
ついに恐れていたことが起きてしまったのです朝方息子が何かゴソゴソしてるなって思ったらミトンも拘束バンドも外してしまい胃管も抜いてしまったのですどうやら足を使って必死に取ってしまったようですもう目が離せないこの日から入院生活が一気に大変になってしまったのです私はこの時思ったのです目が離せないこんなに大変なら意識が戻らない方がどれだけ楽か私はますますこんな生活もう嫌だ
突然息子は障害児になってしまった私は受け入れれません何で息子なの乗り越えられない壁はないってよく聞くけどこんなの乗り越えられれないずっと健康で育ってくれることが当たり前だと思ってたもうすぐ幼稚園の卒園式で小学校の入学を楽しみにしてたとにかく全部奪われた私はどうして良いかわからず障害児を育ててる方からの情報が得たくてたくさんたくさん調べましたその中で目に留まったのが施設で育てるという記事だったのです
今日2018年9月5日、広島カープの新井選手が引退を表明しました。みいは、新井さんが大好きなので、「あたしの新井さんが~😭」と泣いていました。大好きな新井さん、もうちょっと現役でいてほしかったなあ~。カープと新井さん、去年のリハビリ中のみいの元気の源でした。今もね!!回想記~2017年8月24日治療開始さて、アシクロビルとステロイドパルスを投与する事になり、処置の間私は控え室でまっていました。あまりの事に涙が止まらず、なぜ、うちの子が、脳炎!脳炎!とそ
座ることが出来るようになったとは言えまだまだ寝てる時間が多い息子淡も増えてくると吸引してもらうのですが看護師さんによってやり方が全然違うのです鼻からやる人もいればあまり奥までチューブを入れない人もいればおもいっきり奥まで入れる人もいれば息子が苦しそうに真っ赤でむせてるのに吸引し続ける人もいれば様々ですでも淡をしっかり吸引しないと肺炎につながるからそれも恐いでも息子の苦しそうな顔を見る
しばらく元気に過ごしていた息子。感染性胃腸炎での入院を経ての退院後、少し歩きにくそうにしていたけれど、入院中寝たきりだったからかな?とあまり気にせずいたけれど、12月初めより頭痛を訴える回数が増え、12月4日再度病院を受診。頭痛の期間が長いので、MRIを撮りましょう!と言って下さり、急遽入院。MRIの結果、脳炎疑いとの事。入院している病院では子供に対して詳しくみれないとの事で、子供専門の病院へ救急搬送される事に。まさかそんな大事になるとは思わず、それでも脳炎疑いだし、、、大丈夫かな?と
8年前?くらいに白河フラワーワールドに行った時その日だけのサービスでジャーマンアイリスを1株頂いたこれがさぁ〜薔薇と薔薇の間に植えちゃったらその時は薔薇の開花前で陽当たりが良い!っと思ってしまったのだ😓待てど暮らせど花が咲かない事数年薔薇の季節になると薔薇の葉でが当たらなかった😱で…3年前に場所を移したら綺麗に咲いたぁ〜しかも年々株が増えて今や立派なジャーマンアイリス専用の庭に🐶お日様大事よね🐶そうそう!人間もワンコもニャンコも植物も元気の素だね適度な日
2021年1月22日朝から全然起きない息子昨日熱も下がって元気だったのにあれ?今日は全然起きない高熱で寝不足だったのかな?まぁいいやしばらく寝かせておこう私だけ起きてリビングに行きましたしばらくしたら息子は隣にママがいない事に気付いたのかリビングに眠そうに起きてきてまたソファーで寝てしまいましたまだ眠いのか?もうお昼なんだけどとりあえず熱を測ってみようと測ってみたらまた高熱えっまた昨日熱が下がって元気だったのにとりあえずお薬だけ飲ませない
10月初旬の富士山夕陽をあびて綺麗です今月からいよいよフィコンパがゼロになりました去年の5月から飲み始めたフィコンパ1年5ヶ月の月日をかけて1㎎→2→4→5→6→7→88㎎→6→5→4→3→2→0登って降りてきました長かった〜増薬中4㎎で良い手応えがありましたが、半月ほどで元に戻りました6㎎からは発作は減らないくせに、副作用で精神的にイライラする時が増えました主治医のもう少しだけ増やしてみたいって泣きの頼み←とことん突き詰めたい主治医に付き合うとろくな事がないで8㎎まで頑
夫と2人で家にいる時間はとても静かでさみしい朝が来るのが辛い横を見てもいつも一緒だった息子はいないこれが現実なのか辛すぎる息子の為に何かできる事はないかそうだボイスレコーダーにメッセージを録音して息子に聞かせてあげよう今は薬で寝ちゃってるけど耳は聞こえてるはず早速電気屋さんに行ってボイスレコーダーを購入してきたのです私の両親夫の両親にボイスレコーダーを持って録音してもらったのですそして毎日毎日20分間の面会時間でボイスレコーダーを息子の耳元で
鼻のチューブカニューレ寝る時の拘束バンドミトンから解放された息子ICUの時はとにかく息子の体は管だらけだったのがついに身一つになれたのです寝る時も何もついていないICUの時から考えるとこの姿が信じられないそして身軽になった息子はある日ベッドから落ちてしまったのです私は付き添いベッドが硬くて苦手でまだその時は息子も身体が小さかったので息子のベッドで一緒に寝ていたのですが夫は息子のベッ
昼間は病室で治療をし夜はナースステーションで治療をしている息子この日も昼間は夫と息子と3人で過ごしていました季節はもう春桜が満開の時期でした入院したのは1月22日あれから2ヶ月ちょっとが経ちましたあ~あ本当なら家族3人でお花見行けたのにな毎年お弁当持ってお出かけしてたな今年は病院かぁすると看護師さんが偶然にも「れんくんを見ててあげるから息抜きにご夫婦
ICUで治療してる時から手足を動かすリハビリをしてもらっていましたそしてICUの時に一度だけハチミツを口に入れたら目を大きく開いたのですそしてナースステーションに移動になって数日後に声を出したのですそして息子の意思ではないけれど起き上がる事も出来たのですついに嚥下のリハビリも少しずつ始めていくということで私が居ない時間にやっていただけたそうですまずは綿棒のような味の付いた棒を息子の口に入れたら
リハビリも順調に進みついに息子は歩く事もできるようになってきたのです初めはその場をクルクル回っていただけだったけど徐々に廊下の手すりにつかまって歩く事もできるようになりさらに今度はつかまらずに息子の好きなおもちゃを見せながら「こっちだよ~」と言うとおもちゃを取りに行こうと必死に歩いておもちゃを取りに行こうとするのですそんな姿をたまたま見た主治医が「日々の回復に驚いています」と、目を真ん
ついに先生から「お話がある」という事で面談をすることになったのです病名:難治頻回部分発作重積型急性脳炎難治性脳症の1種で発熱に続く難治かつ頻繁に痙攣を認めるMRIでは異常がみられないこともある脳波ではてんかん波がある発作は眼球や顔面が多く全身性となることもある発作は数分程度だが頻度が多い通常の抗痙攣薬では発作抑制が難しい難治性のてんかんの後遺症を残す可能性がある治療には抗痙攣薬を
ICUで治療してる間も息子の筋肉が固まらないようにリハビリの先生が腕や足を動かしてくれていました息子の体は動いていないし栄養もギリギリのカロリーを摂取してるのでガリガリになってしまったのですこの日もいつものように息子に20分間会いにいた時の事ですこの日は嚥下のリハビリ看護師さんが蜂蜜を息子の口に入れたら息子の目が大きく見開いたのです久々に口にするからビックリしたのかなこうして徐々に息子のリハビリが始まっていったのです