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植原ピアノ教室知らない間に庭の片隅に咲いてたフリージア✨とってもいい香り🌷🍀🌷🍀🌷🍀🌷月曜日また新たな一週間が始まった息子を送り出してホッとひと息波瀾万丈だった昨年から生活のパターンが大きく変わったそれは息子がグループホームに入ったこと🥲息子は2歳の時にインフルエンザによる脳炎で重度の後遺症を抱える身となり生活の全てに介助が必要になる長年家族で過ごして来たけれど
意識するしないに関わらず、節目はやってくるものなのだろうか。だからこそ節目になりうるのだろうか。10年という数字は特別感がある。12年前に最愛の夫が脳炎に倒れた。意識障害は日に日に顕著となり、入院2日目には自分の名前も言えなかった。ただ、数日間は私の名前を呼び、手を伸ばしてくれた。結局のところ原因は分からない。自己免疫性脳炎なんて、後からつけられた名前だ。ただの名前。でも、ここに全てを賭けてもいた。病名すらつかなかったら、正気でいられなかった。彼が亡くなって10年が経と
ブログ382日目身体からのメッセージを読みとりお悩みを好転させる鍼灸師ゆうこ先生です心理カウンセリング・アロマセラピータッチフォーヘルス・個性學・強髪・鍼灸身体とココロは氣(エネルギー)でできていますその氣を調整し治療します人生に目的を持ち自分らしく生きるきっかけを提供し日々施術しています^^毎日その日感じた事をブログにつぶやいてるで〜読むとぷっぷっぷーって笑っちゃうホッとひと息エネルギーチャージって感じて貰えたらめっちゃ嬉しいで〜す春ですなぁ〜
こんにちは。アンベルソのライターの蓮です。今回は犬の病気「脳炎」についてを2回に分けてご紹介します。パート2はこちら>はじめに我が家で暮らしている現在10歳のトイプードル(メス)は、8歳11ヶ月の時に特発性の脳炎、肉芽腫性髄膜脳炎(GME)と診断されました。この病気は、発症原因がはっきりしていません。診断されるまで時間も掛かりますが、早期発見、治療をすることで命を救うことができる可能性がある病気です。ただし、時間の経過とともに悪化すると命に関わる怖い病気です。
この日の夕方病院から電話がかかってきたのです病院から着信があるとドキッとします電話に出るとICUの看護師さんからでした「今日はれんくん元気で足をよく動かしてます🦶🦶病院の浴衣がはだけてしまうのでパジャマのズボンを持って来てもらえませんかえっ元気なのどういう事食べてないし動いてなくても足を動かす元気あるんだ私は嬉しくて直ぐにパジャマを準備しました久々に息子のパジャマ姿が見れるんだそしてもう一つ嬉しいお願いをされたのです
いつもブログ閲覧いただきありがとうございます今日は、11月16日におこないました脳炎治療1ヶ月後のMRI検査の日のことについて書かせていただきます。MRI検査と結果_2023年11月16日犬の脳炎_免疫抑制療法:29日目摂取カロリー:134.kcal[目標:223kcal]飲み水の量:30ml[基準:125ml]グリム様の脳炎発症に気が付いたのは10月11日。その後検査を重ね免疫抑制療法が始まったのは10月19日。あっという間の1ヶ月間でもあり、毎
晴れているけど寒い朝です我が家にコタツがあったなら...ずーーーーーーっと入ってるだろうなぁ~コタツLOVE💞のたけままですだいぶ間があきましたがてんかんの事、検索しまくったシリーズ④をお届けします「てんかん」って言葉では知っていても、じゃあ実際に発作を見たことある?私は長く生きてますが息子が発症するまで「てんかん」の発作を見たこと、なかったです脳炎の後遺症でてんかんになり、その当時の主治医から「側頭葉てんかん」だの「複雑部分発作」だのと聞かされても全くわからず、口をモグモ
昨日はパブコメを送ってくださって、ありがとうございました。パブコメの募集はいつも知らない間にこっそり・・そして意見の欄が開かなかったり、FAX送れなかったり、国民の声を聴くつもりはない!と言わんばかりに感じました。パブコメには、「コロナワクチン後遺症の驚愕結果」をご存じですか?とも書きました。ワクチンによる被害を無視して、利権のみでワクチンを推進し、国民の健康や命を蔑ろにする政策はあってはならないことです。2021年春のコロナワクチン開始からから3年経ちました。まだ3年目なんです。
最近「SNS上での偽情報対策」と頻繁に目にしますが、むしろ逆です。政府や省庁、あるいは西側左派のメインストリームメディアの孫引きである、日本の新聞やテレビなどのマスコミが、偽情報のプロパガンダをしているので、それを是正しているのがSNSの個人発信なのですhttps://t.co/3N87wtRTVE—AMENIMOMAKEZU(@aaamenimo)2024年3月13日😂ちょっと奥さん〜💩犬HKのはしかニュース見たぁ??見たわよ〜はしかで死ぬはしかで重症化するとか馬鹿みたい
僕が6日程、兵庫の実家に帰っている間も、妻は殆どスーパーの仕事には行かなかったようでした。無断欠勤したり、行っても遅刻したりしていたようです。パートだったらとっくに辞めさせられていたと思いますが、1年半ほど前にパートから社員にしてもらっていたので、続けることができていました。社員になり、僕の扶養家族になれるかなれないかの年収140万円の壁をわずかに超える収入で、僕の扶養家族からは外れていたのですが、こういう状態になると、社員にしてもらっていて本当に良かったです。病気休暇、休職を使った後、
病院に到着してパパと息子も無事合流すぐにMRIと骨髄液を検査したいと話がありすでに夜中の3時を回っていて何日も寝ていなかったせいか気づいたら寝ていて何時間も経っていてパパが先生の話を聞いていた娘が辛い中検査しているのに寝てしまった自分を責めた体が大きいから骨髄液が取れず再チャレンジしたいと話があり承諾してなんでこんなことになったんだろうと20日の体調崩してからのことを何度も振り返ってみるも早め早めに受診を繰り返していたし出来得る検査も全てしていただいていたので一体何の病気なんだ
昨日も今朝も肌寒い。普段半袖の私にも寒さが感じた。長女にも伝わってた⤴昨日、図書館にリクエストしていた「脳に棲む魔物」スザンナキャハランを一気に読み終えた娘と同じ坑NMDA受容体脳炎になり、幸運にも職場復帰し、自分の病気の事を本に纏めた…と情報をネットで得て興味を抱いてリクエストした本発症前に多くの方が、精神疾患をあげて受診してこの脳症に運が良ければ早く診断され、早期治療を受け回復を得られる稀な脳炎。抜粋【全快する人もいれば、死亡もしくは、治療が完了した後も長いあいだ患った
おはようございます。人間より動物好きの獣医シワ神シワ男です。猫を飼ってる人で猫がてんかん起こした人はわかると思うけど猫のてんかんって激しいよね。かなりバタバタ暴れるし走りまわる子もいるし怒り狂う子もいるよね。飼主さんが初めて猫のてんかんをみたら驚くよね。あればビビると思う。猫がてんかんが起こってる時は意識がないからてんかんじゃ死なないから大丈夫なんだけど大丈夫と言われてもビビるよね。犬は硬直してその場
身一つになった息子ガリガリになってしまったけど入院する前と同じ姿だでも顔の表情が違う痙攣の食いしばりで歯が抜けちゃったからかな話せなくなってしまったし理解できなくなってしまったしパパとママの事もわからないし楽しかった思い出も忘れてしまったし息子はとにかく頑張ってくれたのにICUで1ヶ月管に繋がれて眠り続けながら治療を頑張ってくれたのに手足麻痺と言われてたのがご飯も食べれるようになったのに歩
みんなの回答を見る久しぶりにまた病気のことを振り返ってみようかなと思います。抗NMDA受容体脳炎という珍しい病気になって3ヶ月意識が無くなり、目覚めてからもう4年が経ちました。当時のことはまったく覚えていないけれど、今に至るまでの経緯は、記憶に蓋をしたいくらい辛いこともたくさんありました。でも、こうして元気に元通りの生活に戻れたことは、たくさんの人の助けと自分の頑張りがあってのことなので、全ての記憶をまっさらにはせずに、きちんと覚えておきたいなとも思います。意識が戻らない可能性、障害が
息子はICUに移動になってしまいました夫はしばらく仕事を休む事にしたのですとは言え面会時間はたったの20分⏰それ以外の時間は夫と2人テレビなんて見る余裕ないし外食する余裕ないしかと言ってじっとしてても落ち着かないしなので2人で千羽鶴を折る事にしたのです元気だった頃はよく一緒に折り紙してたなぁ息子はとっても手先が器用な子でした私と夫はとにかく息子が元気になってくれる事だけを想いながらせっせせっせと鶴を折り続けたのです千羽鶴
息子を車に乗せて病院に向かいました息子の体は反ってしまい真っ直ぐな姿勢で座っていられなかったのです仕方なくシートベルトを外し足元に丸くなった姿勢で座らせ病院に向かいました病院に着いて夫が抱っこして救急外来の待合室で呼ばれるのを待っていました全然呼ばれないそのうち顔の痙攣が始まりましたマスクの中からヨダレも出てきて泡吐いてるしすると待合室にいた警備員さんが息子の異変に気付いてくれて慌てて診察室の中に入って順番を早めてもらうようお願いしてくれたので
早くワクチンを打たないと「昭和47年以前生まれ」の人は「はしか」で脳炎死するらしいです、ああ大変だすぐに打ちに行きましょう、怖いですよ脳炎死なんですからね、まだ言う?「昭和47年以前生まれ」の人は要注意!「はしか」大流行で、52歳以上は“脳炎死”の危険が(msn.com)MSNwww.msn.com
蕁麻疹も良くなり息子の付き添い&介護がまた始まったのです相変わらず息子は鼻のチューブを抜こうとするしその度に何かおもちゃで気を逸らしたり本当に入院生活がストレスしかなかったのですもう私はこのストレスに限界を感じ先生にお願いをしたのです🙇♀️「早く胃ろうにしてください」すると先生から「なるべく胃ろうは避けたいのでだいぶご飯も食べれるようになってきたしこれをきっかけに3食口から食べてみましょうかそれで食べれた
小さな和室で夫と二人ICUに移動になった息子これからICUでの治療が始まるための準備が整うのを待ってる時間はとても長く感じましたようやく息子の準備が整ったようです私と夫はICUに入っていき息子に会いに行きました人工呼吸器に繋がれた息子がベッドで寝てるすごく悲しかった痙攣を止めるすごく強いお薬息もできないくらいすごく強いお薬💊だから人工呼吸器が必要らしいのですでも痙攣がない
担当医は困った顔をしていたけど私のわがままを聞いてくださったのですそしてついに恐れていた言葉を聞いてしまったのです「息子さんは手足麻痺です」隣から夫の大きなため息が聞こえてきました私は頭をトンカチで殴られた気分でしたうそだ絶対うそだそんなはずがないだってこの前も元気に足を動かしてたじゃん担当医から「あれは彼の意志で動かしているわけではないんです」私は不思議な事
1年以上前、娘に、「子宮頸がんワクチンのキャッチアップ接種」の案内が来ていました。娘はずっと放置していて、僕も気になっていたけど、引っ越し等がありそのままになっていました。やっと受けさせようと思い立ち、接種の申し込みを病院でするときに、母子手帳が必要だと言われました。母子手帳には、これまで子供が受けた予防接種の記録が書いてあり、子宮頸がんワクチンを接種したことがないか確認したいとのことでした。母子手帳とか妻が管理していたので、どこにあるかいうか、どうなっているか全く分かりません。なん
しばらく元気に過ごしていた息子。感染性胃腸炎での入院を経ての退院後、少し歩きにくそうにしていたけれど、入院中寝たきりだったからかな?とあまり気にせずいたけれど、12月初めより頭痛を訴える回数が増え、12月4日再度病院を受診。頭痛の期間が長いので、MRIを撮りましょう!と言って下さり、急遽入院。MRIの結果、脳炎疑いとの事。入院している病院では子供に対して詳しくみれないとの事で、子供専門の病院へ救急搬送される事に。まさかそんな大事になるとは思わず、それでも脳炎疑いだし、、、大丈夫かな?と
私と夫は約束をしました病名をネットで調べるのを止めようってなので息子は今後どんな状態になるのか全く知らなかったのですというか怖くて調べれなかったのですところがいつものように会社に行った夫からお昼頃LINEが来たのです「ごめん…病名、調べちゃった…辛くて仕事出来ないから今から帰る」そっか…調べちゃったんだね夫からそんなLINEが届いたら私も調べずにはいられなくて調べてしまったのです夫は泣きながら帰って来ました私達の家族これから
痙攣で脳が萎縮してしまった息子理解することができなくなってしまったのです鼻のチューブからもカニューレからも解放されたとはいえ自由にトイレにも行けないストレスやこの狭い病室での息子の介護本当にストレスしかなかったのですそして介護の中で一番厳しかったのが便のオムツ交換部屋中をウロウロする息子をベッドに寝ころばせておしりを拭いて新しいオムツを履かせるという赤ちゃんの時にやっていたことでも赤ちゃんの時の
看護師さんが点滴を交換しています私には何の点滴をしてるのかもわからないし先生も何も言ってくれないし息子の状態を見て無言で出て行ってしまうし息子は確かに点滴を外そうとした私と夫を見て笑ってくれた声も聞けたでもまた寝てしまったいつになったら息子と話せるの私は不安になり先生に聞きました「息子はどうなんですか」すると先生から一言「改善されてますよこの点滴は脳炎に効きますからね」
息子と私二人きりの部屋シーンとしていてとても寂しいでも痙攣だけは頻繁に起こるそのたびにナースコールして淡を吸引もう精神的にも体力的にもヘトヘトですそして夕方6時頃息子が急にゴソゴソ動き出したのです「れんくん起きたのわかるママだよ」すると息子は腕に付いてる点滴を一所懸命外そうとするのですでも包帯でグルグル巻きなので取れない事を理解できたのか諦めてまた眠ってしまったのです今、起
初めまして夫(会社員)私(専業主婦)息子(特別支援学校2年生)3人家族です息子が病気、障害になって2年が経とうとします今でも忘れられない2021年1月22日当時6歳3ヶ月の息子突然の痙攣その日から私達家族の人生が変わってしまいましたまだまだ暗闇の中にいるけれどそれでも絶対この暗闇から抜けれるって信じて生きています息子の病気の事私の想いなどをこれから書いていこうと思いますブログ初心
この日もナースステーションへ夫と一緒に息子に会いに行った日の事です夫と一緒に息子の頭をなでなでしたり「また鉄棒やろうね」「また鬼ごっこしようね」「また鬼滅の刃の映画見に行こうね」とにかくたくさんたくさん息子に声をかけていましたこの日は隣の市の大学病院の先生に息子の状態を診てもらう日でしたお昼過ぎには先生がいらっしゃると聞いていたので待っていたのに夕方になっても全然先生が現れないようやく夕方にな
2月の終わりに近い良いお天気の日、長く長くお世話になった静岡てんかんセンターを無事卒業中退しました(^-^)v2013年7月28日まるでサッカー合宿にでも行くかのような荷物で挑んだ静岡への入院「ここに行けば治るんだ!!」「帰る時には発作は止まっているんだ!!」「息子の新しい人生が待っているんだ✨✨✨」そう思ったあの日ふふっ、馬鹿だったな息子のてんかんはそんなに甘くはありませんでした「普通の成人の2倍の量の薬をのんでいますよ」「脳炎後のてんかんは手強くて難治中の難治だからね」