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9時半予約の検診に向かいました9時10分くらいに着きましたいつも検診は、赤ちゃんが動いているのが見れるかも分からない!と少しの期待と不安で向かう気持ちですが、今日は赤ちゃん生きているかな?胎動はますます感じられないお腹よく張るけど早産大丈夫かな…羊水増え過ぎてないかな?違う心配も出てきました30分程で、NSTモニターをする部屋に呼ばれました心音を探す助産師さん…なかなか見つからない…心拍が止まってるんじゃないかと、段々と不安に…「お母さんのおへそと重なって、だいぶ奥だね
今日は1週間後の検診でした最近は胎動が無い上に、かろうじてあったしゃっくりも感じないので、赤ちゃんが生きてるかどうかも分からず1週間過ごしていましたなので、今日の診察でも心拍あるかなぁ、最近お腹が苦しくて胸やけもあるので羊水増えてないかなぁ…など、胎動以外にも不安がありましたまず30分待って、NSTの検査看護師さんが準備してくれていました「胎動はどの辺で感じますか?」私「胎動は感じません。」普通ならおかしな会話だけど、この看護師さん意味分かったかな…この質問、地味に傷つくんだけど
入院を勧められた診察の日、近所に住んでいる義両親に子どもたちを見てもらわないといけないので、遅かれ早かれ打ち明けなければいけませんでした障害を持った子を一度孫に持った義両親は、妊娠の度に心配で心配で出産まで過ごしていた事と充分想像つきます今回の妊娠も例外ではありません妊娠報告した時の反応は微妙な反応で、喜びより不安が大きかった様子が伺えましたそんな中、妊娠初期からの胎児への不安や胎動を感じなかった事はなかなか言い出せず、お互い赤ちゃんの話は出来るだけ避ける様にしていましたでも、もう隠す
火曜日受診し、入院の日程が決まり、次女の幼稚園の先生に行事など重ならないか聞きました詳しい話はしていなかったので、担任の先生から赤ちゃんの状態を聞かれたり、亡くなった長女の話を軽くしようとしたけど、やっぱり診察してもらった日は気持ち的に不安定で泣き出してしまいました…他のお母さんも居てたので、大ごとにならないようにすぐ泣き止んで話しましたが、受け止められてるようで、まだまだだなぁと思いました毎日毎分、赤ちゃんの病気の事を考えない瞬間はありません想像してイメージして覚悟しているつもりでも、
22週の妊婦健診に行ってから、一日中胎動の事で頭の中はいっぱいでした次の健診は2週間…長すぎて、早く経って欲しいと思う反面、週数が経つにつれて胎動を感じないのは異常という確信(あっ、今動いた!)と思ったらしゃっくり…自宅にいる時は出来るだけ横になって胎動を感じやすくしたり、外出中もお腹に感覚を集中し、胎動をいつでも分かるようにしていました胎動を感じない日を過ごし、健診の4日前まで何とか日が経ちました後、4日も待てない…今やれる事をして、少しでも不安から解放されたい。我慢出来ずや
4日後の妊婦健診になりました担当の先生は30代半ばの男の先生で、障害の子を1人産んでいる私は初期から診察中にも質問を何度かしていました先生はその度に、軽く受け取ったかのような笑いで流されるような返答をされている気がしたので、診察が終わる度にモヤモヤ、不安は軽くなるばかりか不満が募っていましたいろんな不安から限界がきていた私は、もうあの先生は嫌だと看護師さんに訴えました長女が生きている時に次女を妊娠した担当の先生が、はっきり受け答えする中でも的確に答えてくれ、長女の病気の事も分かってくれて
胎児診断しないと夫婦で決めてからは、何となく前向きに明るい気持ちに切り替わりつつありました39歳にして5人目。一番上は中学3年の男子。義親に出産時、出産後、色々な育児のお手伝いをしてもらっていたので報告しないと…反応が怖くて、なかなか言えずにいましたが、言わなくてはいけない状況に…3番目の娘は幼稚園年長で、自転車で送迎していました2歳の妹を前に乗せ、後ろに5歳児を乗せて毎日坂道を登り通って数ヶ月、自転車で転倒してしまいました…そのことをきっかけに、近くに住む義父が毎朝来て、2歳
少し前のことを遡って書いていますこのブログを書こうと思った経緯はある不安に押しつぶされそうになり誰にも不安をぶつけられずとにかく気持ちを落ち着けたくて文章にしようと思い始めました私はタイトルにもあるように、2番目の子供で障害を持った女の子を7歳まで育てていました生まれつきの筋肉の病気、先天性ミオパチー(ネマリンミオパチー)乳児重症型という病気を持ち呼吸や食べること、自分で動くこと、手も足も顔もほぼ動かず、目と口だけが唯一動かせるところそれでもほぼ知能に異常はなく、変顔をして
胎児ドッグをしないと言う決断をしてからは比較的気持ちは前向きになっていました赤ちゃんを待つ気持ち幸せな気持ちでも、まだまだ元気な赤ちゃんを産むという気持ちは持たないようにどこかブレーキをかけながら…出血や毎回の検診に怯えて、不安いっぱいでひと月ひと月過ごしていました17,8週に差し掛かり、胎動って経産婦ならもうそろそろ?この頃になると胎動の事で頭がいっぱい2人目の障害を持った赤ちゃんは先天性の筋疾患でしたまさか、お腹の中の赤ちゃんが病気とは考えもしなかったあの頃は胎
長男14歳次女5歳三女3歳長女が亡くなり5年になりました幼稚園のママ達は長女の存在を知らない人ばかりで、年が離れた兄妹だなぁ…と思ってる人も多いと思います私自身4人兄妹でわちゃわちゃして育ったせいか、子どもは子ども同士で遊びケンカして、成長していって欲しい…という思いが強く、子沢山の家族への憧れが常にありました39歳になる頃、大家族を夢見る私は高齢と言う事などから、諦め半分、でも諦めきれない自分が確かにいました三女が3歳になったそんな時、お腹に来てくれたのが今の赤ちゃん嬉しか
次の日、「幼稚園の送迎は車で行くので、朝は来てもらわなくて大丈夫です」と義母に朝にメールしたら「昨日はごめんね。反対しているわけじゃないけど心配で…〇〇(長男)も受験だし…」と言うようなメールまぁ私も戸惑ったし、欲しかったけど素直に喜べなかった中学生は親の妊娠を聞いたらどう思うかな?この心配は大きくて、なかなか伝えられなかった義母の気持ちはよく分かったし、嫌な気持ちはなかったけど、やっぱりちょっと寂しかった誰も喜べない…言えた安堵感はあったけど、そんな負の心でまだまだ覆われ
中学3年を持つ親が妊娠することしかも息子。妊娠する知識もしっかり分かってる年代で、なかなか軽くは言えずにいましたネットで調べては、親を気持ち悪いと思ってしまう、喋らなくなる、など、嫌な情報ばかりに目がいき、悩む日々…だけどある日、大家族の番組を一緒に見ていた息子が、「次出来たなら、男やなぁ〜」と…一言。えっ⁉️あり得るんや‼️続けて、「まだうちも分からんでー。大家族。」と、またまた息子。旦那さんとびっくり顔で見合わせた瞬間でしたその数日後、機嫌がいい日を見計らって「