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娘は「父ちゃんなんていなくなればいいのに」「母ちゃんがいればいいもん」と言っていた。父親が近づくだけで「こっち来ないで」と。よく言う思春期の女子あるあるだとは思っていて旦那もそう思って我慢していた。たまに見ていて言い過ぎだろ、娘よ。と思う事はあった。歩くのがやっとの旦那がトイレに間に合わなかったりもうトイレにも行けなくなって排泄物を処理する私を見て、「父ちゃん、、自分がお酒ばっかり飲んでみんなの言う事聞かないからこうなってるのにみんなに迷惑かけてる」と冷静に言う。父親が
仕事が休みの日が増えた。「現場が飛んだ」「延期になった」元々雨の日は休みになる外仕事。現場の状況で急な休みもあったけど月の半分くらい休みだったんじゃないか?と思うくらい。現場に入れないと言う事は売り上げも当然減る。でも、旦那にあまりあせりは感じなかった。そんな中、小学校の運動会。「絶対朝から酒飲まないで!泥酔状態で友達の親の前に現れないで!」と何度も何度も話していた。当日、朝、私たちの前では飲まなかったが夜中起きて飲んで、朝方また飲んで少し寝ただけ。息子は応援団長だった。
9月6日アンちゃんが天国に旅立った朝は雨が降っていました。葬儀社が遺体を運ぶのが一般的らしいですが、赤ちゃんの場合小さいので家族が連れて行くことも可能らしいです。もちろんアンちゃんは私が抱いて連れて帰る。もう片時も離したくない。目立たない地下を通り、出社してくる病院職員と逆方向に進んでいく。車の前で担当教授、看護婦長など主要人物が並んで頭を下げている。「本当に申し訳ございません。」謝ってもらってもアンちゃんは帰ってこない。「お世話になりました、とはいいますが、ありがとうございま
息子は成長するとともに父親の姿に不満を持ち始めた。仕事から帰ってきたらソファーを独占する旦那。雨なら仕事が休みの旦那は休みになる日もずっと酒飲んでテレビを見たりソファーで寝ていた。2023年の7月、脚立から落ちて怪我をし3ヶ月働かなかった事もあり旦那が家にいる事が増えた。飲んで寝てを繰り返す。息子がゲームをしたいからテレビを使いたいと言っても「今見てるだろ」という父親。「寝てばっかりのくせに」と息子が言い返すと「えらくなったもんだな、俺にそんな口聞いていいのか」と威圧的に怒鳴る
追記↓この時、旦那はかなりの腹水があり。毎日吐血していました。この時は病院に行ってなかったので腹水に対しても想像でしかありませんが、肝硬変による肝臓の昨日が低下して血液が心臓に回らず体中に溜まっていたように思います。体の中の血が止まらずありとあらゆる出口から血が出ていたのではないかなと。。血小板はかなり少なく7月の足の怪我の時から「怪我をしたら血が止まらないからすぐに救急車を呼んだ方がいいです」と医師に言われていました。
旦那は結婚してから1日も休肝日はなかった。帰ったら絶対焼酎飲んでた。それでもここ2.3年前までは体調が悪くなる事はなく家族がコロナになってもインフルエンザになっても旦那だけは元気だった。でも、アルコール依存症だった。ずっと前から。本人も分かっていたけど自営業だった事もあり休むわけにはいかないし「誰にも迷惑かけていない」とお酒をやめる努力すらしていなかった。仕事はちゃんとやっていたしそこそこ稼いでいた。女関係は酷かったけど、私はどうでもよかった。どうでもよくなった。旦那の事は
夫は健康で元気で年齢の割に体も鍛えてた去年の9月の終わりに帯状疱疹になった顔の右上1/4がぶつぶつになって右目が腫れて大変なことになったそのあと体調が一向に戻らず内科で検査したら潰瘍性大腸炎といわれた自己免疫疾患の指定難病安倍元総理で有名になった例の病気なにそれ・・・何で急にそんな?一般的には若い人が発症する病気らしい。完治はしないけど寛解することもあるとのことで投薬治療と食事制限頑張っていた。死ぬ病気ではないと言われていた。1月14日の診察の日に突然病院
セカンドオピニオンを終え、厳しい現実に押しつぶされそうになりました。スラムダンクの安西先生の言葉が頭をよぎりました。「諦めたらそこで試合終了ですよ。」10年後まで息子が生きてくれれば、体も大きくなって、母親である私からの生体小腸移植が可能になるかもしれない。10年経てばiPS細胞の人工臓器が実用化され、移植できる日が来るかもしれない。どんなに可能性が低くとも最後まで希望を捨てるわけにはいきません。「オメガベン」を使おうと決めました。オメガベンはスイスの製薬会社の静脈注射用脂肪製剤の
7月12日(水)ペット検査日ブドウ糖に放射能が入った注射をする。腕に針を刺したらレントゲン室のようにガラス張りの別室に避難する看護師さん💦身体にブドウ糖が行き渡るまで1時間待機室で待機…その後検査に30分…その後も待機室で放射能出すために水たくさん飲んでおしっこ出して30分待機してからのやっと帰宅。。。長かった💦お腹も空いたし💦転移があまりありませんようにと祈るばかり💦7月14日(金)検査結果の日…今日は確定診断😣初めての告知…原発乳がんでした〜多発リンパ節転移多発骨転
食道静脈瘤の破裂した時、どうだったのか。の続きの続きの続きの続き。入院中の(主に内視鏡手術後の食事の)話です。ドクターから最低2週間といわれていた入院期間は9日で終了しました。治療関連については大きく以下の3つ・消化管内での出血の確認(うん〇の色チェック/自己申告、内視鏡による確認1回/入院5日目)・貧血対策(追加の輸血、鉄剤の静脈注射)・栄養と水分補充の点滴(最初は絶飲食)ひたすら地味な内容です。一日24時間、ほぼ何もしません。入院中は食い物のことばかり考えていまし
今日のお昼に知りました。小さい頃大好きだった舞ちゃんが亡くなったと。若い方はご存知ないかもしれませんが、、、舞ちゃんとは、NHK「ひとりでできるもん!」に水沢舞役で出演されていた平田実音さんのことです。肝不全を患っていたそうですが、、、33歳という若さにショックを受けてしまいました。昔クリスマスにいただいた葉書。大人になった今でも大切に残しています。以前、ブログにも「ひとりでできるもん!」の事を書いたことがありますが、、、(ブログ記事「懐かしの「ひとりでできるもん!」。」参照。
「先生から話がありますのでいいですか?」そう言われ唐突に終わりを告げた1回目の面会時間。ICUを出た瞬間涙が止まらない。なぜ、こんな事になってしまったのか。何故、こんなに状態が悪いのが。なぜ、兄は若くして・・・死ぬのか。先生からの病状説明「お兄さんはですね、今、肝不全を起こしています。」「それに人工透析をしていて肝臓の回復を待っていますが、恐らく回復の見込みはありません。」「それから、肝臓をかばってしまっている為腎臓がダメージを受けていて、腎不全もおこしています。」
ついにこのときがきてしまった。。父が通っている病院からご家族にも来てもらってくださいとのことで、本日病院へ。アルコール性肝硬変を患いついに肝不全になり、肝臓がんも発症‥来年を越せるかむずかしいとのことで、余命宣告‥治療もガンの治療は肝不全のため何もできず、肝不全はもう肝移植しかないとのことだけど、本人は肝移植はしないということで、出来る事は何も無い‥残りの時間をどう過ごすか。決めていかないといけないけど、何から手をつければよいかわからない。。とりあえず、色々と頭を整理して、家族ができる
肝不全末期の金バエさんがかなりヤバい状況ですよっさんニュース「あと3カ月くらいか・・・」「伝説になったね・・・」
昨日、母が永眠しました。3/2に危機的な状況と主治医に言われ、14に危険な状態は脱したと言われ、23に肝不全が急激に進行し回復の見込みなし、今日か明日かと言われ、それから4日目の26日に亡くなりました。多分本人が一番信じられないと思っていると思う。こんなはずではなかったのに、どうして、何で、と。私はもっと母の健康を気遣えばよかった、私が施設に丸投げしていたから、体調不良にもっと早く気づいていれば、と自責の念に潰されそうだけど夫に話すと私のせいじゃない方に無理くり結論を持って