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食事を終えた後、ショッピングモールに移動して必要なものを買い揃えた。実家に戻る選択をした時から、当分家に帰れないことは分かっていた。だから、しばらくの間はこちらで暮らせるものを用意しなければならない。幸い息子は夏休み中で、戻らなければならない予定もない。問題は私の方で、職場までとても遠いので毎日通うのは現実的ではなかった。始発で出ても、会社にギリギリ間に合うかどうか。終業後は、定時退社をしても実家に着く頃には8時半を過ぎている。毎日のこととなると通勤費も不安で、手持
切迫早産の時も。勤めていた会社の経営が立ち行かなくなり、閉鎖することになった時も。夫は仕事を切らさないようにしつこく言ってきた。いざという時、専門職だったらまだ簡単に見つかると思うのだが。新卒で入った時のスキルはもう役に立たない。数年で辞めてしまい、事務職に移ってしまったし。事務職を希望する人は大勢いた。ひと枠に十人以上もの応募が来ることも多いようで。私の受けた会社は『一日で応募を取り下げた』と言っていた。切迫早産の頃は夫も『万が一辞めること
【このブログの記事及び写真を保存して、インターネット上に自動送信をおこなう行為を禁止します。同様の機能を有するサーバーへのこのブログの記事及び写真の保管、他サイトへのコピー掲載を禁止します】今日、こどもの日…義母から電話があり、息子を連れて遊びに来て欲しい、と懇願されてしまい、断るわけにもいかず、久し振りに主人と3人で行ってきましたよ大御馳走が並び、大喜びで歓待され、久し振りに楽しい会話が続き、以前からの確執も薄れていきました息子が嬉しそうだったし、その息子の姿
午前中はお庭の草刈り梅雨で草がパワーアップする前に一度綺麗にしたい気持ち✨草刈機は重いし私の効率が悪くて時間も掛かるのだけど体幹と二の腕のトレーニングになってお気に入りの時間beforeafterちょっとサッパリしたんじゃない?清々しい気持ちになったところで夕方からは義父母を呼んでおうちでお寿司パーティお寿司は魚魚丸で買ってきたやつ里芋のコロッケと煮物は義母が作ってくれてとても美味しかったとくに里芋コロッケがふっわふわ私は卵のお吸い物(卵入れすぎて上品さがな
夫経由で、義母が息子に会いたがっているとの連絡をもらった。私たちが家を出た時から、こうなることは分かっていた。一度夏休み明けの学校関連の物を受け取る時に会ったきりで。その時もほんの数分の再開だった。あっという間だったから、いつまでも名残惜しそうにしていた。あの日からずい分経つ。いつか顔を見たいと言い出すだろうとは思っていた。気持ちはとてもよく分かるのだが応えられそうにない。もし会うことになったら、夫も間違いなくついてくるだろう。せっかく上手く
息子が一学期に使っていた文房具等の学用品は、ほとんどが破壊されてしまった。夫が力任せに捻じ曲げたり折ったりしたため、使えるものが無かった。一番驚いたのは、筆箱が見るも無残な形に変形していたことだ。『どうやったらこんな形になるんだろう』と思うくらい、原形をとどめていなかった。目の前でそれをやられた息子は、心にまた一つ大きな傷を作ってしまったと思う。大事にしていた筆箱だけど、もう使えるような状態ではない。中身ももちろん破壊されていた。鉛筆類や定規は折れ、消し
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。今回は私が良い嫁をやめるに至った葛藤を書いています。長くなりますが読んでいただければ幸いです私の実家の両親は、初対面の頃から夫くんを気に入っていました。初めて夫くんに会った時のことを、後日、父に聞いた時「この子は間違いないと思った。ワシがどんな子やったら、気に入るか
以前、失踪騒ぎを起こした義弟の奥さんだが、その後何事も無かったかのように戻ってきた。義父母は『面の皮が厚い』などと散々文句を言っていたが、義弟は嬉しそうだった。義弟に対して裁判を起こすという話も無くなり、それはそれで良かったのだと思う。奥さんが納得して戻ってきたのなら、外野がとやかく言うことではない。夫婦間のことは、その当事者にしか分からないこともあるし。周りは一安心してやっと穏やかな生活を送れると思っていたが、戻ってまたすぐに上手くいかなくなってしまった。そして義弟の鬱
夏休みの宿題だけを受け取るつもりだったのだが、その時に夫から渡されたものがあった。「これ」と言われて目の前に差し出されたビニール袋を見た時、もしかしてと思ったがやはりそうだった。入っていたのは筆箱や鉛筆、消しゴム等の文房具だった。私たちが出ていく直前に夫から壊された物たち。それらはもう使い物にならなくて、『このままでは学校に行けない。二学期はどうするのか』と非難したら「そんな物、持って行く必要はねーよ!!!コイツはちっとも勉強しねーんだから!!!」と言っ
別居中は夫のことをあれこれ世話しなくても良いので、そういった面ではとても楽だった。一緒にいる時は、日中に私が仕事をしていて自分は家にいる時でも、何でも私にやらせようとした。例えば歯医者の予約もそう。近場ですぐに診てくれそうなところを探し、予約をして欲しいと言う。日時まで細かく指定してきて、予約をする時には必ず今の症状を伝えて欲しいという。そんなに細々とした要望があるのならば自分で予約を入れた方が良いのではないかとも思うのだが、それは嫌だという。日中に義父母が家に来ていて大
夫と義父母は、何とか息子を丸め込むことができれば同居の方向に進むと考えていたに違いない。しかし、予想外の抵抗にあってかなり落胆していた。私に対しては憤りかな。母親なら息子を説得して家族三人が安心して暮せるように考えろ、という気持ちがあったようだが。ストレートには言わず間接的にチクチクと攻撃してくるので、気づかないフリをした。息子が頑として譲らないので、結局その日はお開きになり、義両親は残念そうな様子で帰って行ったのだが、その後の夫の荒れ方はとても酷かった。
ご訪問ありがとうございます。こちらは自閉っ子育児ブログです。私うーさん夫はじめくん一歩(いっぽ)くん6才年長よろしくお願いします。先日、義実家に行った時の話。義父母は高齢で持病がある為コロナ以降は一度も会っておらず義実家に行くのは約3年ぶり!前回は一歩くんが3才すぎで、場見知り人見知りの絶頂だったので家に入るのも泣いて入ってからも泣いて…当然まだお話もできないし話しかけたりかまわれると嫌がるし一緒に遊ぼうとしたら手を振り払われるし…そんな様子でしたが今
誕生日やクリスマスには、義父母もプレゼントを買ってくれた。私のお給料では大したものが買えないので、本当にありがたかった。でも、何を買うかで揉めることも多くて、今思い返してみると辛い記憶の方が多いように感じる。義父母も子どもの好みは分からないので、『一緒に買いに行こう』と誘われて出かけた日。事前に『こんなのが良いんじゃないか?』と夫からあらかじめリストアップされたものを渡された。それを見て、私はそれを息子が本当に欲しがるのかと疑問に思ったが。反論できるはずもなく
義実家の山には梅林があります。この収穫の手伝いを頼まれました。梅干しは私の好物です。いつも手作りの梅干しを頂いてるので、手伝わない訳には行きません。底落ち収穫袋収穫バッグD型KJ-8038(株)コジマAmazon(アマゾン)1,500円こんなのを付けて、義父母と共に参加です。夫は仕事でした。ひたすら上を向いて手摘みです。14時頃まで、収穫。その後は、ヘタを竹串で取りながら、梅干し用、梅シロップ用、梅酒用と分けていきます。とりあえずの前処理が終わったのは1
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。前回のお話はコチラです↓『夫母が溺愛するアラフィフ三男①』数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫…ameblo.jpワルオ(夫弟三男)が会社の健康診断の結果から
「悩みのるつぼ」朝日新聞be2021.10.30.相談:「環境が違う義父母と、どう接するか」相談者:女性40代回答:「あなたは魂の上流階級を学ぶべき」回答者:歌手・俳優美輪明宏さん相談内容:義父母のことで悩んでいる。実家は経済的に恵まれており、私は中学から大学まで東京で私立に通った。行事も大切にしており、今でも一人ひとりの誕生日に全員集まって祝う。母はいまだに私の夫の誕生日に服や時計などのプレゼントをしてくれる。夫の実家は経済的余裕がない。
少し前から義母が調子を崩しているらしい。元々体が丈夫ではない。体力も無いので、少し無理をすると途端に具合が悪くなってしまう。最近は夫のこともあるし、義弟の面倒も見なければならない。無理がたたったかな。気温の変動も大きくて皆が体調を崩しやすい時期なので、本当に気を付けて欲しいと思う。義母のことは心配だが、夫からの『会ってあげて』というお願いを叶えるのは難しい。年齢も年齢だから夫にしてみればこのまま会えずに時間が経つことに不安もあるみたい。でも、やはり
義実家に行って今の状況を打ち明けた後は、途中の大きな駅で下車して少しだけ時間調整をした。いつもより早く帰れば確実に怪しまれてしまう。こういう時、鈍い旦那さんが本当に羨ましい。夫は家にある小物等がほんの少しずれているだけでも気づくほどなので、バレやしないかと冷や冷やしながらの義実家訪問だった。記憶力も恐ろしいほど良いので、言い合いになった時には細かなあら探しをしてきて、どれだけこちらに非があるかを並べ立ててとことん攻撃してきた。だから、常に言い負かされていた。最初の頃は結婚
日頃から口座をこまめに確認している。残高が心許ないというのが一番の理由。万が一引き落とされなかったものがあったら困ると思ってつい確認してしまう。我が家は非常にシンプルな家計。限界までコンパクトになっているので、無駄は無いと思う。引き落とされる件数も多くはなくて管理はしやすい。元々ズボラな性格の私は、口座を分けるということができない。たぶん、分けたら移動し忘れて引き落としができないものが出てきてしまうと思う。現在はほぼ一つの口座で全ての引き落としが行
どーもー!えりてぃーです家ではそんなことないのに義実家へ行くと好き放題になる息子4歳最初の頃は義実家でも色々注意してたけど義父母は全く協力してくれないどころか息子を甘やかすばかりなので私ばかりキーキーしてるのが馬鹿らしくなり今では義実家は無法地帯と割り切って放置プレイ状態ですだから、義実家で夜ご飯を食べる時息子はタブレットをやりながらご飯の前におやつを食べジュースを
上の娘が生まれた時、義母が初孫だった事で「娘ちゃんのために貯金してあげたいから口座があれば預けてちょうだい」と言われて作った事がありました。「余裕がある月に少しずつ貯めてあげるから通帳だけ預かるわ」と言われて預けていました。(キャッシュカードは私が持っていました)その後私が家計管理する間は、義父母を含めた旅行によく行っていたので「娘ちゃん預金が少し貯まったからそのお金使って旅行いこう」と誘われて使ったりして、少し貯まっては使い、貯まっては使い、、という感じであまりまとまって貯まっている印象
お豆腐です!ご訪問ありがとうございます!!はじめましての方はこちらだいぶ過ぎちゃったけど、ゴールデンウィークに義実家帰省した時のお話をお送りします🎵前回のお話はこちら『【4話】義母の独特過ぎた?言動〜GW義実家帰省〜』お豆腐です!ご訪問ありがとうございます!!はじめましての方はこちらだいぶ過ぎちゃったけど、ゴールデンウィークに義実家帰省した時のお話をお送りします🎵今回…ameblo.jp1話はこちら💁♀️『【1話】久しぶりに会ったのにいきなり超絶
夫や義父はとにかく必死だった。何とか息子の気を引こうとして、まるで戻れば良いことがあるようにアピールしていた。でも、夫に何を言われてもほぼ無反応な私たちを見て、焦った様子でもどかしそうにしていた。このチャンスを逃すまいと義父が懸命に『心配していた』というフレーズを連呼するものだから、余計に冷めた気持ちになって取り繕おうという気持ちも失せてしまった。あの家に帰ることの方が心配じゃないのだろうか。また息子が虐待されることは確実なのに、あなた達と離れていることの方が心配だなんてどうか
玄関で息子がもたついた。元々がのんびりとした子なので、焦ると余計に上手くいかない。「早く!」私も慌てていた。背後では寝室にしていた和室で夫が暴れていて、今にも私たちの方へとやって来ようとしている。それを押さえる義父も必死の形相だった。何とか義父が押さえている間に外に出なければ、と思い息子を急かした。不器用な息子は急かされれば急かされるほど上手くいかないので、「裸足で良いから!外に出てから履こう!」そういって手に持たせた。その間も常に背後で夫が暴れているの
義父母に手紙を出した数日後の夜の事私は、下の子と一緒にハンバーグ作りをしていたその時、電話が鳴った義母からだった一瞬、出ようかどうか躊躇した(ハンバーグこねてたし)けど、このままにするのも…と思い、出ることにした電話に出ると、義母の声がしたsakuraちゃん?今日ね、手紙届いてね・・・本当にごめんなさいね。何にも知らなくてごめんなさいね。●●(元夫)からは、「sakuraは何も悪くないから」てしか聞いてなくてね、
夫と義父母との電話は、実は聞こえてしまっていたので気まずかったが、義父母はそれを知る由もない。いつも通りに話しかけてくれて、歯切れの悪い私に義父は「なんか今日は元気ないな」と言った。お昼時なので皆で食事をするのかと思ったら、夫がすぐそこのコンビニまで買い物に行ってくると言う。これは非常に珍しいことだ。一人で出かけると体調が悪くなった時に大変だからと、近所の公園までの散歩でさえ誰かと一緒に行こうとする人だ。そそくさと出かけている夫を見送り三人になると、義父がいきなり「も
息子が一年生になった頃、新しい友達ができた。保育園の時にはいなかったような活動的なタイプの子で。自分とは違う部分に憧れているようにも見えた。入学直後の春頃はまだそれほど接点はなく、夏休みが明けたくらいから段々と仲良くなっていった。放課後に誘われることもしばしばあったのだが。夫は息子が友達と遊びに行くのを快く思わない。というよりも、全力で不機嫌になって時には直接「人が具合が悪いのに、よく遊びに行こうなんて思うよな」と嫌味を言った。そう言われてし
夫は、素を知られてしまうことを何より恐れていたように思う。「ふざけやがって!!!」その怒りは息子に向かった。物凄い勢いで隣にいる息子の元に行き、首根っこをつかんで持ち上げた。「止めてよ!もうそういうことしないで!」全力で止めに入り、今回は大柄な義父も加勢してくれたのだが、こういう時の夫はどこかリミッターが外れてしまっているのか、通常では考えられないような力を出す。私たちも必死だった。この力で投げられたら、息子は大けがをするだろう。義父も息子をとても可愛がってくれてい
義実家のことでいつも悲しい気持ちになる。義父母、義兄弟、考えるといつも涙が出る。『厚意と勘違い(と非常識)』前回、嫁ハラって書いたけど、この言葉が合ってるのかわからなくなってきた。『【嫁ハラ】腹が立つこと』お彼岸ではなく月末にお墓参りに行くことにした。一周忌の…ameblo.jp悲しくて苦しくて寂しくてでも、なんで悲しくて苦しくて寂しくなるんだろう。考えてみた。きっと、誰も寄り添ってくれないから。気持ちをわかろうとしてくれないから。
息子のペンケースが何だか汚れて見えるので、洗ってあげようかと思って一緒に中身を取り出した。以前使っていた物は、↓の記事にも書いたが夫によって破壊されてしまった。『覚悟を決めた日』度重なるモラハラに耐えかねて、とうとう義父母に『これ以上一緒に居るのは難しい』と伝える決心をした。事の発端は、夫が息子の文房具を滅茶苦茶に破壊したこと。首根っ…ameblo.jp入学以来大事に使っていたもので、息子も気に入っていたのに。恐ろしい力で筆箱だけでなくありとあらゆる文房具が壊され、息子は