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先日、毎週、妻と楽しみに視聴してました「セカンドチャンスウェディング(AbemaTV)」がエンディングを迎えました。私達夫婦も再婚同士ですから、ある意味、先輩として上から目線で楽しませてもらいました一応の結末まで見終わりましたので誰かに向けて想いを伝えたい!因みにプレミアム契約放送の後日談の番組はまだ見てません。次の週末に見るつもりです。なので、コメントでのネタバレお断りです。『セカンドチャンスウェディングの結末に物申す①』先日、毎週、妻と楽しみに視聴してました「セカンドチャンスウェデ
日々、鬱々としている私こんなに鬱々としている自分を私はステキな男性におススメできないと気付いたそれなのに今まで婚活してきた私さて、どうしようつべこべ言わず早速、自分を変えようじゃあもし自分が男性だったらどんな女性と結婚したい?もっと心身ともに健康でいつも太陽のようにパワフルな女性であってほしいメソメソせずどんな難曲も、前向きに乗り越えるような逞しい女性と結婚したいと思うかも意外に男性は女性より弱いような気がする兄や父、継父を小さい頃から見てきたけ
死別の後妻月子🌛、今日は、冷凍庫の修理業者さんが冷凍庫の基盤変えてくださってる間、子連れ再婚の難しさについて考えてました〜(遠い目)我が家も再婚家庭ですが、うちの場合は、お互いに連れ子がいます。それってある意味、ハンデに釣り合いがある、と思える部分でもあったんですよね。シンママ当時長女が2歳のときに結婚相談所に入ったのも、子育て経験のある男性を探そう、と思ったらでした。(うちの子の継親になってもらうには、初婚の男性は難しい🤣と、2人の初婚男性との破
JETSTREAMSkywayChronicle今週は、国際線就航70年を記念したスペシャル・フライト。今から70年前、1954年当時のサンフランシスコへの旅。ジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード』を、5日間に渡ってお送りしています。翻訳は、青山南。今夜はその第4夜。小説家志望の青年サル・パラダイスが、アメリカ大陸横断の旅で辿り着いた、サンフランシスコの街。彼が転がり込んだ友人レミ・ボンクールと、恋人のリー・アンが暮らす家では、絶えず言い争いが巻き起こっていた。先が
以前の記事で、子ども部屋についての記事を書いた。再婚にあたっては新居にかわいい子供部屋を作り、夫婦の寝室と子どもの寝室を分けた。私たちは“川の字寝お断り!”と浮かれていた。しかし、実際に一緒に住みだすと息子をひとりで寝かせるのが不安だった。それまではずっと私かおばあちゃんが必ず添い寝をしていたから。そこで、↓のようなカメラ付きのベビーモニターを購入した。Victureベビーモニター遠隔監視双方向音声通信カメラ見守りカメラ暗視機能付き子守
いきなり前夫の闘病生活からとびますが今朝、目に入ってきたニュースをみて思うことがあったので。ゆうこりん、男の子2人連れての再婚でしたね。ステップファミリーです。私も離別と死別との違いはありますが同じような年の息子を連れての再婚でした。最初は、新しいパートナー(夫)と子どもたち含めた幸せな生活を夢見るし、付き合っているときは、子どもも懐くし、きっと彼はすぐに子どものお父さんになれる!って思うんだけどステップファミリーとしてやっていくのはそんな簡単じゃな
一昨日の夜は長かった。ゲームで途中からは少し元気になっていた息子。家に帰る車の中まではまだどうにか保っていた。家に帰るとだんだん悶々としてきた。そして過去の話に遡る。やはり、最近のモードは良くない。延々と昔の話に遡る😔そして責めてきたり、『どうするん』の連発。私もわかっている事だし、いくら話しても平行線なのに、ついつい力が入って話したり、気持ちも落ちていく。今まで、このやりとりで自分の事を否定してきたと思うし、もう自分を否定するのは止めよう!と頭の中で思った
子連れ再婚をするとき、あるいは、ステップファミリーになるときに子ども(継子)の性別のことを意識しましたか?私は全く考えなかったのですが子どもの性別は、再婚相手との相性を考える上で大切なポイントだろうと今は考えています。実は、大学院でステップファミリーを研究したときに継親子関係の難しさと子どもの性別は関係あるのか?ということについて過去に研究されたデータがあるか探したことがありました。残念ながら、日本ではそのような研究データはなかったのですが
小さい頃継父を嫌ってバカにしていた子どものいない継父を「子どもがいないからあんな最低な人間なんだ!!!」と子どもがいないことと継父の人格を結びつけて考えていたでも今は正反対の気持ちを持っている純粋に継父はすごい!!!と思う継父に対する気持ちが変わってきたあんなに嫌いだったのに未だに母のために働き続けている40年前と変わらず働いているもはや80歳になろうとしているのにすごい!あっぱれ!!!確かに彼は気持ち悪い人の気持ちが理解できない会話が成り立たない
正直なところ小さい頃子どもがいない大人をバカにしていた特に継父をバカにしていた母の2人目の旦那さん継父は40代で結婚歴も子どももいなかった離婚した母と知り合い母と一緒になったそこから私の地獄生活の始まり継父の冷たい態度自己中心的な振る舞い子どもの気持ち私の気持ちを踏みにじる言動ばかり母に継父の文句を言うと「あの人は子どもがいないから仕方ないのよ」とつぶやいていたそうか子どもがいないとああいう最低な人間になるというより最低な人間だから神様は彼に子どもを
過去の話です『激情型の人くぅ姉さん⑤』過去の話です『激情型の人くぅ姉さん④』過去の話です『激情型の人くぅ姉さん③』過去の話です『激情型の人くぅ姉さん②』過去の話です『激情型の人くぅ姉さん①…ameblo.jpその頃からくぅ姉さんは私に対しては少し横柄な態度が出てきていたのかもしれませんでもその頃はまだ気づいていませんでした。くぅ姉さんはよく、「私は江戸っ子なんだよハッキリモノを言うし性格がキツい」と自分で言っていました。「それで家族ともうまくいっていない。それは母
再婚した夫と喧嘩ばかりしていた時期に、実は同時進行で、別の問題が、我が家に降りかかっていた。それは、子どもどうしのイザコザに端を発した親どうしのトラブルだ。詳しくは書かないが、最終的に、ママ友コミュニティ全体を巻き込んでのメールによる誹謗中傷合戦になってしまった。私たち夫婦の初期対応が悪かったこともあるが最終的には被害を被る側のひとりという状況になってしまった。家庭内では夫婦喧嘩をしていたがこのときは一時休戦。対外的なピンチ
🐉2024変化の年2024年は、衝撃の幕開けでしたね大きくエネルギーが変わったと感じた方も多いのではないでしょうか?私自身も普段とは違う年末年始でした。年末に継父が倒れ能登地震の数日後に帰らぬ人となり喪主である母を支えながら時を過ごしていました。やっと、気持ちの整理ができたころこの時代の変わり目である”今”を生かされている私に何かできることはないのだろうか?との思いが頭の中をグルグルし始めました。『とにかく、や
自己肯定感が低くて周りに認めてもらおうと必死に頑張ってきた私頑張らないと周りに認めてもらえない頑張らないと周りに呆れられるような見捨てられるような不安な気持ちになる頑張らない自分では認めてもらえない不安感周りの人からどんな自分でも認められるという安心感がないだから一人が好きだった一人だとボーッとしていられるだから引きこもりになった結局、小さい頃に立ち戻るが母親や継父、兄から家族全員から私がすることを否定されたことに発