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ミス①の酸素無供給の時、ミスした方とは別の担当看護師さんからは後に、再発防止に努めると謝罪頂きました。そこから数日後、またもや沐浴後の酸素チューブの付け替えの時です。チューブが途中で外れている。今回は前回の学習もあり早く気付き、すぐにナースコールを鳴らし対処してもらいました。なんだかな〜ミス①の疑問に思った、ナースステーションでのモニターの管理について。夫が一度付き添い入院をした際にもあったそう。夫から、「モニター心電図が付けられないまま30分以上経っても誰も来なかったから自
タイトルが仰々しいですが、牽制の意味もこめて。そして誤解のないようにお伝えすると主治医の先生や執刀医の先生、看護師さん達など多くの病院のスタッフさんへは感謝してもしきれないくらい、本当にお世話になっていて信頼もしています。出産に関してもこの病院にお世話になって本当に良かった、と思えるくらい、気持ちに寄り添って頂きました。なので、こういう事が起こってしまうのは残念でなりません。原因は「人」の問題と言うよりも、管理側の問題(体質、職場の雰囲気、チームワーク的な)だと思います。ミス②につい
20148/9(土)手術室からICUへ夜、面会時間も過ぎていたと思う胸部外科、主治医T医師執刀医O医師、ほか数名小児循環器、すべての医師が揃ってくるみのまわり、近くにパパ、母親あたしは立っても居られず丸イスに座り壁にもたれ聞いていた目の前には恐ろしい人工心肺、透析これまで一度も使用せずに手術を受けてこられたのに予期せぬ事態に人工心肺を使うという恐さこんな恐ろしい光景タオル一枚掛けられた
はじめまして🌸我が子は重度の心疾患で生まれてからこれまでずっとNICU/PICUに入院しています。これから同じような経験をする方のお役に立てればとの思いと記録の為にブログを始めました。生後3ヶ月まではリアルタイムの投稿ではないので、思い出しながら記します。妊娠15週41歳の高齢妊婦だったこともあり、通っていた都内の大学病院でNIPTを受けました。『陰性』の結果に一安心しましたが、念の為と思い、妊娠19週で胎児診断の専門医院で高度超音波検査を受診しました。検査中、問題なく進んでいたの
生後137日にして、やっと一般病棟へ転床となりました。これまでPICUでの面会生活に慣れていた私、一般病棟での看護レベル(親と看護師のサポートの線引き)に衝撃を受けます。まず、付き添い入院について。主治医からは育児へ慣れてもらうため、付き添って欲しいとストレートに言われました。我が子の場合、退院予定があるわけではなくPICUが満床で追い出された格好なので24時間一緒にいれる事への喜びはあるものの、期限なしの付き添いは精神的にも体力的にもしんどい状況です。とはいえ、転床直後は3日間
一般病棟での付き添い入院について記す前に、不安な事があったので先にこちらのお話を。一般病棟に移って2週間が経ちました。非常に不安に思っていることがあります。まず、我が子ですが、グレン術後1ヶ月、2Lの酸素管理で安静時サチュレーション80〜85の状況です。何があったかと言うと、沐浴の際、看護師さんに移動用の酸素ボンベに付け替えてもらうのですが、お風呂から戻った際もお願いしてベッドサイドの酸素への付け替えをしてもらいました。ところが、しばらく経ってもサチュレーションが50台。術後大
生後3日目で早々に手術が必要かもしれない、と説明がありました。娘の場合、肺に流れすぎているためリスクの少ないバンディングの手術をする事になるとのこと。・バンディングして動脈管を薬で開いた状態をキープし、成長を待つ・3ヶ月まで引き延ばせればグレンの可能性が見えてくる・もし、動脈管が閉じてしまったらシャント手術しなければならなくなるが、娘の場合『類洞交通』がありシャントだと心筋梗塞のリスクが極めて高いとのことで生後6日目に手術を受ける事となりました。手術日当日の朝、外科の執刀医から術式に
8/9やたら胸が苦しいギューギューって喉のあたりにつまりを感じるふと、あの日だくるみが物凄く辛い思いをした日だからか、忘れちゃいけない辛い辛い日術後、心臓停止エクモ、人工心肺装置がついた日くるみが空へ旅立ちその後に綴った記録ですお時間があればくるみの頑張った頑張った闘病生活を少し覗いてみてください辛い方は止めてくださいねはぁ、キツいな、キツいありがとう
手術当日最高に良い天気、病院の周辺には満開の桜🌸勇気をもらいました。8時に娘のベッドに向かうと、すでにお薬で眠っていました。看護師さんの計らいで、寝姿の娘と夫婦の三人で写真を撮って頂きました。9時前に手術室へ見送り、待合室での待機が始まります。勢揃いした各方面の御守りを抱え何度もお祈り。扉から人が出てくると、ドキッと振り返り。嫌な妄想に支配されて、すすり泣き。予定時間の4時間を過ぎてもなかなか呼ばれません。4時間40分後名前が呼ばれ説明室へ通されました。執刀医の先生が来ら
生後1日目主治医となる先生から診断結果の説明を受けます診断名『純型肺動脈閉鎖症』?以前に書いた、ネットの情報があてにならない件です。胎児診断の時にも肺動脈閉鎖は言われていましたが、最初に診断された『三尖弁〜』の印象が強烈すぎてそればかり調べていた私達夫婦は一瞬???となったわけです。三尖弁は閉鎖だろうが狭窄だろうが、重要なのはそこじゃない、とハッキリこの主治医に言われました。ここから間も無く、私達が想像していたよりも何倍も重症であることを実感する事となります。主人は私が麻酔で動け
妊娠20週胎児診断専門医に推薦していただいた大学病院と、夫婦で希望した小児循環器の実績の多い2つの病院にエコー検査に行く事となりました。*その前にタイムリミットの迫った私達夫婦は完全な検索魔と化し、この病気の生存率や手術の成功率など調べ上げ、『生きられる可能性があるのに諦めたら後悔する』との結論に至っていました〜エコー検査結果〜大学病院→三尖弁閉鎖、肺動脈閉鎖循環器専門→三尖弁狭窄、肺動脈閉鎖、類洞交通2つとも主な疾患は同じで治療方針にも大きな差はありませんでしたが、一緒に受
人工呼吸器抜管後、痰もゆっくりと減っていき酸素濃度も減らす事ができ、比較的安定した状態で生後3ヶ月を迎える事ができました。少し前から、制限時間付きで哺乳瓶でのミルクの練習をさせてもらえるようになり「普通の赤ちゃんっぽいなぁ」「病気、治ってたりしないかなぁ」なんて気の抜けた事を思ったり、凄く幸せな時間を過ごしていました。でも、やっぱり重度の心疾患。3ヶ月を迎えた2日後に急にサチュレーションが下がり、酸素カニューレもパワーアップ。あれよあれよと元通り。主治医からは「そろそろ動脈管
出産当時、インスタもアメブロも何もしていなかったので、心臓病の子どもの話ができる人は家族程度でした。岡大病院に付き添い入院すると、心臓病の子どもママさんたちと多く出会えました。(パパさんも1人いました)付き添いの方は様々ですが---・・・・心臓病の子どもを妊娠した、と分かって仕事を辞めた・産休&育休を活用、でも先行き不安・仕事してるけど介護休暇とって付き添い・子どもが大きくなったので、おばあちゃんが付き添いなどなど・・・。心臓病の話ができる!病児の子育ての話ができる!
術後3日目、人工呼吸器が外れました。抜管時に大泣きしてチアノーゼになったそうですが、すぐ回復し面会時には落ち着いていました。浮腫は相変わらず、顔が『おにぎり🍙』みたいで可愛い。術後5日目、外科の先生から「横隔膜に麻痺が見られ、その影響からか酸素の取り込みが不十分」との説明がありました。一時的なものもあるそうで、数日様子見となりました。横隔膜神経麻痺については、心臓手術のリスクとして割とある(5%くらい?)そうなのですが、癒着剥離時なのかグレン吻合時なのか、いつ神経に触れたかは分からない
妊娠中、何の不調も無くすこぶる元気に過ごしていましたが唯一、逆子が治らない!という事で38週に帝王切開の予定となり1週間前から入院する事となりました。*こちらの病院では胎児に心疾患がある場合、予定日の3週間前からの入院になるそうですが、長期入院だけは阻止したいと思っていた私を、赤ちゃんが気遣ってくれたかのように頑なに逆子のまま出産を迎えました。〜出産〜この病院での最初のエコーの時に先生から「赤ちゃん、って言うけど、この病気の子は赤ちゃんで生まれてこない(チアノーゼ)」と言われていたた
生後1ヶ月を過ぎた頃に、人工呼吸器の抜管計画がスタートしました。我が子はかなり痰が多く、日に何度も吸引が必要だったため、抜管して痰が減ってくれるかやってみないと分からない状況でした。自発呼吸の状態など条件が揃い生後50日にして人工呼吸器が抜管でき、そしてこの時、初めて我が子を抱いてあげることが出来たのです。繋がれた管もまだまだ多く、看護師さん3人がかりで私の腕の中へ。その姿に涙する看護師さんもいたくらい皆んなに支えられながら、ここまで凄く長い道のりでした。体重は出生時とほぼ変
生後6日での手術後、人工呼吸器に繋がれ鎮静した状態ですが生後1ヶ月を迎える事が出来ました。その間、毎日PICUへ通いました。呼吸器が挿管されているため抱っこもできないし、まだ目も開けない、しかも点滴も15本くらい入った状態で触れられる箇所は僅かでしたが、少しでも刺激になればと頭を撫で撫で。「このまま目を覚まさなかったら」と反応のない中での面会は精神的に不安定になってしまいましたが、先生から「触られている感覚はあるから触ってあげて下さい」と言われた事が支えとなりこの時期を乗り
グレン手術、無事に終わりました。その前に、執刀医の先生からの手術前の説明について。今回は、『やってみないと分からない』と言われていたため、かなり高い数字(リスク)を提示されるだろうと踏んでいました。「手術のリスク5%」(私たち夫婦)拍子抜けです。前日、夫婦で「何%って言われるかな」「一か八かって50%くらいかな」「そんな高い数字言われたら卒倒するかも」とかなり弱気になっていました。質問したところ5%というのは循環するかしないかは含まれず手術のみのリスク、という事でした。主
手術予定日が決定し予定日2週間前にCT検査となりました。主治医の先生からは「検査結果を外科チームと検討して術式を決める」と言われていましたが、月曜に検査し、2日たっても4日たっても何の説明もありません。どんどん不安になってしまい、翌週、担当の看護師さんに「CTの結果、まだ何も教えてもらってないんですが」と尋ねると、とても言い辛そうに、「この後先生から説明があるので少し待ってください」と。嫌な予感しかしない…先生「バンディングした先の左の肺動脈が成長していない可能性があるためカテーテ
生後2日目車椅子を押してもらいながら初めての面会に。酸素の値が安定しなかったため夜間に人工呼吸器が挿管され、初めての抱っこは叶いませんでした。私の入院中は何度でも面会okという事で、朝昼晩と鎮静で目を開けない我が子に会いにNICUへ通いました。そこで、毎日のように主治医の先生が今の状態や治療方針について説明してくれます。ですが、その度に泣いてしまう。個室に戻って夜は主人や母とビデオ通話。辛くて泣いてしまう。見回りの看護師さんが心配して声をかけてくれる。泣いてしまう。妊娠中より
大切なひとり娘の誕生日でしたお花のアレンジをお任せで頼んだらさくらでした🌸おめでとう、くるみ🩷
横隔膜の手術の日朝9時スタートで、予定通り2時間弱で声がかかりました。前回のグレン手術に比べれば、体の負担がかなり少なく術後の顔色も良好で、無事に横隔膜を固定する事ができたとの事です。ICUも2日目にしてベッドに空きがないとの事からPICUへ移動しました。PICU移動後、サチュレーションも落ち着き80キープ。そして、PICUも満床との事で、3日後に一般病棟に移ることとなりました。