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2013年1月頻尿が気になりだした今トイレに行ったのにまたすぐトイレに行くたくなるおかしいなと思いながらも数日様子をみたが症状が続くため公私共に親しくしホームドクターでもあるA先生に電話で相談その日先生は勤務先の大学病院にいるからとりあえずうちのクリニックの方に行って検査してきてと言われた横浜にあるクリニックで検査を受けた少し潜血が出ているけれど多分膀胱炎でしょうと抗生物質をもらい帰宅1週間薬を飲んだが効果は無かった「A先生あまりよくならないんですけど」「チャンピオンは
いつもサブチャンネルを見てくれてありがとうありがとう今回も自分の思いを話してますじゃあの。
結果待ちの時間は長く本当に苦しかった指折り数えてその日を待った結果が出る予定2日前の3月3日A先生から電話があった「さっきB先生から聞いたんだがチャンピオン浸潤していなかったってよかったよかったね〜」僕は天にも登るほど嬉しくて嬉しくて舞い上がった女房にもすぐ伝え二人で本当に泣いて喜んだこれでもう大丈夫だBCG治療を頑張ろう僕はもう半分治った気にさえなっていたセカンドオピニオンの予約はキャンセルしてもいいんじゃないか?とも思ったがキャンセルはあさってでも遅くない
2013年末秋頃から排尿のたびに痛みを感じるようになった痛いというか熱いというのかうまく表現できないのだが熱を持った鉄の塊がオシッコと一緒に出る感じカレーなどの刺激物を食べるとさらに痛みひどく長引いた激痛でうずくまることもあったA先生にその事を伝えるとチャンピオンは大袈裟だよと言われ前立腺炎と前立腺肥大だと診断された僕はその病名を信用してしまった今年に入ってずっと感じていた不調の原因がやっとわかったとどこかでホッとしていたハルナールという薬を処方され薬を飲むと症状
2014年1月6日B先生は口数少なく威厳のあるタイプの医者だったこの日の初診で血液検査エコー尿検査今までの検査とそう変わらないすべての検査結果が当日にわかるわけではなく結局血尿の原因ははっきりしないまままた様子を見ましょうってことで漢方薬を貰って帰宅した特に次の受診予約は取っていなかった2月2日二度目の大量血尿僕の方からB先生に連絡し再診を申し出た2月3日再診診察室に呼ばれたB先生がパソコンの画面を見て急に慌てだす約一ヶ月前に受けた尿細胞診の結果が上がっ
A先生からの電話早くもB先生から僕が転院することの連絡が入ったらしいAは声を荒げていた「どうして?どうして?明日からの入院をキャンセルしたんだって?東大いくの?どういうつもり?まだ膀胱温存したいとか甘いこといってんの?もう命の問題なんだよそろそろ癌と向き合わないとダメじゃないか」と女房に説教をしていたこの人は自分が誤診し続けたことで僕が命の危険にさらされていることに気づいていないのか?誰のせいでこうなっていると思っているのか責任など全く感じていないことが腹立たしかった
2014年3月11日北関東にある大学病院へ行った車で行くと時間が読めなかったので女房と二人で早朝電車で向かったセカンドオピニオンは約一時間最後の15分は元の病院宛に報告書を書いてもらう時間に当てられるので診療時間は正味45分この時間をできる限り有効に使いたいそのために自作の自覚症状を時系列にまとめたものと診察時に確認したい質問希望色々書いて一緒に送っておいた医師もそれを事前に目を通してくれていたようでこちら側からの話をする時間を極力省略できた担当は泌尿器科界では知ら
2日後の3月13日もうひとつ予約していた病院に向かったここは北関東の病院とは別の方法の膀胱部分切除で浸潤癌の膀胱温存を試みているだがやっぱり結果は適応外上皮内がん(Cis)多発しているため部分切除はできないとの見解だったそしてこれはこの病院の考え方なのだろうが僕のような上皮内がんからの浸潤癌は他のタイプより尿道への転移の確率が若干高いそのため尿道も摘出するので尿路変更は回腸導管の一択だというここでは浸潤度T2かT3か明言されなかったがこのまま何もしなければ最悪一年と告げ
11月21日長い長い戦いじゃった医療過誤裁判の判決が出た終わったらブログで報告という約束じゃったからここにご報告します裁判の概要をざっくりいうとAは自宅兼用のクリニックと都内大学病院の外来内科を週2担当の医師俺とAは約20年前に知人の紹介により知り合いプライベートでゴルフや飲みにも行ったりしていたちょっとした体の不調があった時にはまずはAに電話をしたいわゆるホームドクター的存在であった俺は平成24年の1月から頻尿と排尿時痛を感じAの診察を受けた平成24年1月〜25年12月まで
待ち時間長いの〜かなり待っとるなんだかんだで4時間おるわ会計待ち30分経過結果は問題なしじゃあの。
退院した病理検査は2週間後の3月5日に出るというだが浸潤の可能性が5分5分で膀胱全摘しか方法がないと言われて頭の中は絶望感でいっぱいだったそれでもただただ落ち込んで何もせずに待っているわけにはいかなかった癌に限らず病は情報とスピード戦だ浸潤性膀胱癌であっても膀胱温存治療を行なっている病院があることをネットで知った実にネット社会は情報の宝庫だと思った女房はその病院に片っ端から電話をし僕の今の状況を話しその病院での治療方法を聞いていった膀胱温存治療を行っている病院は全国にいく
ネットサーフィンしていたらこんなの見つけた始めに・・・がんを克服できた人の特徴多数の闘病ブログを見てきて、克服できた人の共通点は以下の3つです。①食生活の見直し②精神力③娯楽力この3つをさらに改善すればがん克服の一助となると思います。①食生活の見直し朝食(鮭の塩焼き)byアマナイメージズ野菜や魚を多めに意識して摂取しているようです。克服から思うこと・・・、それは、人間にとっていかに『毎日の食事』が大切かということ②精神力がんに負けない強い気持ち気持ちが免疫力に
先日突然の激腹痛冷や汗💦ダラダラ痛くて死にそうで耐えられなくなり救急車を救急車の中で病院に断られまくりなかなか決まらず大変な思いをしましたやっと決まった病院でもかなり待たされ激痛との闘いでした応急手当をしてもらい少し楽に帰れると思ってたのに入院だって😱病名はイレウス〔腸閉塞〕でした腸が回復するまで絶食きつかったな現役時代は10キロも減量してたのに3〜4日が耐えられない腸が回復しはじめて1日おきに3分粥5分粥お粥となりちょっと早いけど無理言って退院さ
僕はAともう話したくなかったしゃべったところでどうせ不愉快になる話に違いない僕は今治療を最優先させなければならないAとしゃべればまたストレスがたまり免疫力を落としかねないそんなバカらしいことはない東大病院へ転院してからも何度かAから着信があったが僕は出なかった僕が出ないもんだから女房にもかけてきたがそれも出なかったそしてそのうちかかってこなくなった僕は約5ヶ月間入退院を繰り返しながら抗がん剤治療手術免疫療法を終えた8月28日が最後の免疫療法の点滴日だったその日
2014年3月28日の朝コロンに別れを告げ僕は女房と子供と東大病院へ向かったいろいろあったが今日から本格的に癌と向き合い戦わなければいけない東大のキャンパス内の八分咲きの桜並木が本当に綺麗だった来年の桜はどこでどんなふうに見ているのかひょっとして観られないかもと感傷的になっている自分がいた入院手続きをして部屋に部屋の隣は食堂で人通りが多く少し賑やかだった部屋の入口のネームプレートを見て僕のことに気づいた患者がいたらしく看護師が急いでネームプレートを外しにきた配慮が足りなく
検査手術は全身麻酔で行われた僕は気がつくと病室に戻って寝ていたまだ麻酔が効いているのかぼーっとしていたそこへB先生が来て僕の枕元で話し出した手術は予定通り終わったただねぇよくよく見たら膀胱の右壁に腫瘍があった大きさは2.5cmくらいだから麻酔を追加し肉眼で見える腫瘍は出来る限り削り取った正式には病理検査の結果が出ないとなんとも言えないのだが筋層まで達しているかどうかは5分5分ってところだなぁただ削りとった感触では底が固いんだもし浸潤していれば昨日説明したBCGで
女房は僕の病気が発覚してから診察時の医師からの説明を書き込み検査結果を貼った癌ノートを作っていたノートには自分で調べた癌にいいという食材やサプリ体温を上げる方法など癌にいいことはなんでもメモっていた僕は僕で携帯にたまに日記をつけていたが女房もその日にあったことや僕の体調をノートにつけていた今ブログも自分の携帯とそのノートを見ながら書いているリンパ節転移がわかった日の夜僕はひどく落ち込んでいた女房がプラスになる言葉ややりたい事をノートに書いてみたらどうかと勧めた僕
僕の免疫力アップ作戦の一つに本を参考にビワの葉自然療法を取り入れた友人長さんの家の庭に立派なビワの木があったビワには凄まじい生命力があるようで長さんも何気なく庭に苗を植えたらみるみるうちにでっかくなりこまめに枝を切らないとどんどん育ってよその家まで侵略していってしまうそうだ初夏に実がなるとカラスとの戦いも大変でネットを張ったり壊れたビニール傘を木に取り付けて対策していたもちろん農薬や化学肥料など一切撒いていない毎年初夏になると見事なビワの実を実らせる長さんは葉っぱも実も好きなだ
抗がん剤を投与した1〜2日目は体調に変化がなかったのだが3日目くらいからだんだんと食欲が落ちてきた全身に薬が回ってきたのかもしれない朝食は無理して7割食べたが昼食は半分も食べられなかった抗がん剤治療中のメニューというのがあったので(冷たいうどんとか)そっちに変えてもらったりもしてみたが全く食欲はわかなかったなんか味覚もなんもおかしくなって何もかも受け付けなくなってきた僕は癌がわかった2月から食生活を徹底的に改善してきた具体的にいうと極力添加物を避け四足歩行の肉類をや
改めて経緯を話しましたぜひコメントで皆さんの経験やご意見を聞かせてくださいじゃあの。
3月24日手元にあった検査データーを持って東大病院へ行った今までのいきさつも紙に書き出したものを自作し持参した画像を見る限り浸潤度はギリギリT2に見える見ようによってはT3にも見えなくはないがこの画像だけでこれ以上は断定できない治療計画はT2ならば術前抗がん剤なしで手術T3ならば術前抗がん剤のあと手術最終判断は先週撮ったCTとMRIを見て判断すると言われた手術はすぐに入れてもらえますか?浸潤度が浅くて抗がん剤不要ならすぐ手術の準備を入れますただ先に抗がん剤をやった場
北村弁護士に語っていただいたことメインチャンネルで載せきれなかった内容をサブチャンネルにあげました
診察室の前にポスターが貼ってあった「体外式術撃波結石破砕術」切らずに体外からエネルギー波を照射し筋肉や他の臓器を傷つけることなく結石のみを粉々に破砕するって書いてあったこれいいじゃん僕はF先生にこの方法でできないのかって聞いてみたところが僕の場合石が尿管の出口付近の新膀胱とのつなぎ目あたりにありなかなかそこにピンポイントで当てられないって他には身体を切らずに下から内視鏡でたどっていき石を破壊するって方法もあるらしいんだが僕の場合はそれもできないって(涙)僕は新膀胱の手術を受けて
僕の今までの大きな手術といえば今回の膀胱全摘手術の他に24歳の時、ボクサーの職業病と言われる左目の網膜剥離の手術だったこの時も極秘で入院し手術を受けたバレてしまえば即引退だったからまぁ結局引退したけど元々1.5あった視力が術後は一気に0.04くらいになった手術後はガスを抜くためドーナツ枕に顔を埋めて下を向いていなければならなかったそれでもこうしていれば良くなるものと信じて寝返りも我慢してずっとうつ伏せで過ごしただがなかなか良くならなかった結局、剥離した所を止め切れておらず数
CTの読影の結果右側の骨盤リンパ節(膀胱に腫瘍があった上側)に2カ所の転移が認められた幸いそれ以上の遠隔転移はCTで見る限りはないまずは抗がん剤治療GC療法G=ジェムザールC=シスプラチン一般的な投与スケジュールは1日目ジェムザール2日目シスプラチン8日目ジェムザール15日目ジェムザール休薬というのを1クールとしてくり返すだが東大病院のスタイルは15日目のないショートスタイルだった僕の場合このショートスタイルをまず2クール行いCTによる効果測定を
そんな頃畑山から電話があった「俺竹さんのこと早川先生に相談してみたんだが東大病院はどうかっていうんだ」何件も病院を回った僕は心身ともに疲れていた「入院日も決まったしもう遅いわ」と言ったのだが話だけでも聞いてみたらどうか言われ僕は早川先生に連絡した本人に承諾もらったので名前を出すが早川先生とは板橋で皮膚科医をしている早川浩太郎先生ボクシングが大好きでオヤジファイトにも出場した事もある戦績は1勝無敗だと自慢している去年還暦を迎えたちょっと変わった先生畑山がとても親しくしている
僕は治療を終え2年経つがいまだ経過観察中の身だそれでも今のところ順調に回復しやっと振り返る余裕も出てきた闘病中は僕と同じ膀胱がんをはじめたくさんの方の闘病ブログを読ませてもらった経験者の情報は何よりもありがたく僕自身も自分の治療方法の選択にも大いに役立ったそこで今度は僕の体験をブログに書いてみようと思うどこかで誰かの役に立てたなら幸いである初回は何からいこうかなと迷ったが「自己免疫力」について思ったことを書いてみる健康な人でも1日5000個の細胞が癌化しているというしかし自己免疫
完成したらえっ〜ちっちゃくねまぁいいかロウリュじゃひと汗流そう中で身動きが取れんでも気持ちええわじゃあの。
2015年3月27日術後9ヶ月の検診だったいつもの通り病院に着くとまず採血採尿をしCTを撮るその後は食堂で昼食を食べて診察を待つこの病院のシステムは1日である程度結果が出るのでありがたいいつも通りの流れで診察室へ呼ばれたするとF先生「癌の転移や再発の心配はないようなんだが前回より結石が大きくなっている」と指差された画像には白色というか銀色っぽい石がピカッと光っていて僕が見てもハッキリわかった大きさは1㎝くらいはあるという自然に出る可能性があるのはせいぜい8㎜くらい
この頃の僕は癌にいいといわれていることは何でもやってみたいとあれこれ手を出したこの時は「フコイダン」昆布のドロドロの部分のエキスなんだが膀胱癌に良いときいた一本30000円ホントに効くのかな僕はパンフレットにある劇的に良くなったと書かれたいくつもの体験記を読むと試してみたいという欲求が抑えきれなかったそれでいてこういうのって足元見られているだけかな〜ただのカモなのかな〜という冷静な自分もいて葛藤しながら迷いに迷っていたすると女房はやってみたいと思ったことは何でもやってみたほ