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たぶん、元々は違う光景だったんでしょうね小屋が山に埋まってました・・・主要道を通った筈なのですがまだまだこんな道がいっぱい1車線通れました・・・土砂ダムになってた場所のようです一見、問題ない道路でももうすごいで到着能登ワイン直売所まだ営業していなかったけれど・・・\(^o^)/訪問日、4月26日ちょっと早かったw営業再開、おめでとうございます『O』がないけど、気にしないすくすく育て、あたしのワイン
■2024年3月24日石川県の災害ボランティアに登録して、持ち物も準備する。今回は雨予報だったので、車で参加。3月25日からは志賀町が現地集合型のボランティアも開始、それに申し込みをしました。今回参加して思ったのは、石川県の人でも一般ボランティアを募集しているのを知らない人が多かったと言う事。ネットだと震災直後に強引にボランティア活動をして叩かれている人がいましたが、それの影響でしょうか。災害ボランティアは、特に受け入れ側の体制がしっかりしないと、ちゃんと機能しないと実感しました。
今月のゴールデンウィーク明けから石川県の災害ボランティアとして活動してきました。まず穴水町のボランティアとして登録したので前泊するために奥能登ボランティアベースに泊まり活動しました。教室や体育館にテントが張ってありそこにボランティアの方が宿泊出来るようになっています。ゴールデンウィーク中は毎日80人くらい泊まっていたらしいのですけど私が宿泊した時は8人くらいでした。ボランティアの活動するところの穴水町は被害が甚大で神社の鳥居もぼろぼろ、一般の住宅は屋根が地面に接するほどぺしゃんこになっ
穴水駅の風景第2回能登半島地震穴水ボランティア報告③能登半島地震が起こって5か月もう少しで終わろうとしていますが、こんなに長期戦になるとは思ってもみませんでした。その期間、市の職員、社協の職員には頭が下がります。多くのボランティアが入れない中で色んなNPOなどが支えてくれたことで何とか前に少しでも進めたのかも知れません。色んな思うことはありますが、小さな町で職員は全力でこの間過ごされたことを改めて労を労いたいと思う所です。私の昨今は多くのお亡くなりになられました方々のご供養
・・・・・キシダのクソヤロー!何がやりたいんジャ!?
能登半島支援「小さなテントサーカス」バナー(のぼり)協賛について令和6年1月1日に発生した「能登半島地震」では多くの方々が被災しました。NPO法人日本ホスピタル・クラウン協会の主な活動は「長期療養の子どもたち」に対するものですが、2003年の中越沖地震以降、東日本、熊本、ウクライナなど、被災地・戦地でもパフォーマンスをしてきました。今回の震災では、まず4月にクラウン4名で輪島市、能登町、珠洲市、七尾市でパフォーマンスを行ってきました。現地の状況が少し把握できましたので、次回からは、東日本、
実際に地震の爪痕を感じてきました。仕切りに放送されていたあのビルもそのまんまの形で残されていました。特に、輪島を訪問するとまるでそこは戦場の様で、数ヶ月前のまんまでした。お母さんと時々食べに行っていた焼き鳥屋さんや、美味しいおぞば屋さんももう、味わえる機会はないかもしれません。幸せな時間をくれたあの、お店の人は無事だったのでしょうか?馴染みのスーパーを覗いてみた時に肌で感じる何とも言えない感覚がありじんわりと涙
能登半島地震の被災地を支援しようと、名古屋市の音楽家が輪島塗のおわんを使った弦楽器の胡弓(こきゅう)を自作して石川県穴水町で演奏会を開きました。この演奏会は名古屋市の胡弓の演奏家、石田音人さんらが穴水町の避難所で開きました。石田さんは阪神・淡路大震災や東日本大震災など各地の被災地で演奏会を開いていて、今回は輪島塗のおわんを使った胡弓を自作し、演奏会に臨みました。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240519/k1001445428
最初はアップルミントでした2012年に養鶏場だった木造の建物をぼかし肥料を作る倉庫としてお借りしました。でもというかやっぱりというか残っている鶏糞の匂いでハエが出入りしていました。それで家の近くで野生化しているアップルミントを建物の外側に移植したのが始まりです。(2012-09-10)(2012-09-10)(2012-09-11)(2012-09-11)アップルミントは1年で1mくらいは広がりました。背たけも1m超えは普通でした。10年以上たった今では正面の
4月26日ボランティアの方々が能登までの移動時間が数時間掛かるため、活動時間を増やす目的で地の利の良い穴水町に設置された。100名が利用出来もちろん無料です。ボランティアの活動に感謝致します。
2024年5月9日(木)の事その2私の従弟、北川博幸の経営する渚水産(海産卸)となぎさガーデン(レストラン)は、穴水町曽福の主要道路「国道249号線」沿いにある。地震で通行止めになった「のと里山海道」ができる前は、七尾湾に面した穴水や能登町に行くルートは、この道路だけだった。曽福には母の生まれた家もあるが、一人暮らしの叔母は県外の親戚に避難していて無人だ。そして穴水町の市街地にも2軒親戚があり、一軒は無人でもう一軒は疎遠。結局足を伸ばすことができなかった。只々平素の無沙汰を反省する