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この記事はコチラの記事の続きになります↓↓↓先日の記事でお話ししたように初めて腫瘍が皮膚を突き破って出てきた時は私にとって、衝撃でもあり大きな変化でもあったのですが……じゃあ、その後私の日常生活にも大きな変化があったのか??と、思い返してみると……私の日常生活は、ほぼ変わらなかったです変わった事と言えばガーゼを持ち歩くようになったぐらいですそんな私は、変わらず友達とも遊んだしパーソナルカラーの講師もカフェのバイトもしたりして働きもしていましたそして、そ
▷▶︎▷癌を告知されて自殺してしまう方もおられるようです。そのような方を増やさないために癌を告知された方にかけてあげられる言葉はどんな言葉なのか、いつもわからなくて当たり障りのない会話しかできていません。(私は薬局勤務の薬剤師で抗がん剤で頑張っている方にその副作用予防の薬や鎮痛剤をお渡ししたりする機会があります)もしも、ミミポポさんが薬局で薬をもらうとしたら薬剤師からのどんな声がけが嬉しくどんな声がけがマイナスでしょうか?(一部抜粋)▷▶︎◀︎◁このようなご質問を
病気になると誰しも1度は思うことがあると思う"なんで、私が?なんで、こうなったんだろう?"そんな、悔しいような怒りにさえ変わりそうな……悲しくて、どうしようもないそんな気持ち最初は、病気を知ったとき。その後は検査結果が思うように改善されないもしくは病状が悪化したとき。"なんで、思うようによくならない?こんなに、毎日頑張ってるのに…!""そもそも、なんで私はこんな苦しまないといけない?何か悪いことしたのかな?"なんで?なんで?なんで?!特にガンって"確か
このブログを見て下さっている方からこんなご質問を頂きました↓↓↓私も病気になってから自分と向き合えるようになりました!(中略)でも、気持ちがブレて「病気じゃなかったらもっと色々できたのに」とか病気じゃない人が羨ましくて苦しくなる時があります。ミミポポさんはそんな時ないですか?もしあったらどんな風に対処してるか教えて欲しいです。うんうんもちろん、あります!というより、ありました!!このご質問を頂いて考えてみたら……乳がん告知されてから約8年ですが……その内
"ミミポポは後悔したりしないの?"たまに聞かれる言葉。私の答えはえ、全然するです。笑今の私の状態で後悔する事探しだしたらキリがないくらいあります笑例えば……あの時手術していれば…もっと早く検査受けていれば…最初の頃にホルモン治療受けていれば…あの治療をもっと早くしていれば…今より良かったのかも?確かにそうなんだけどそう考えた後に"まぁ、結局そんなのは分からないな~"ってなりますもしかしたら手術受けても転移して再発したかもあの時そうしなかったから今体力
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)こんばんはミミポポですっ今日は、1ヶ月検診の為に朝から病院に行ってきましたー!今日の主な検査内容はコチラです↓↓↓▫️採血▫️CT▫️主治医の先生の問診▫️ランマーク(骨を強くする皮下式注射)▫️リュープリン(お尻に2ヶ所ホルモンの筋肉注射)▫️整形の先生の問診今日の大阪は大雨でなかなか車椅子で大変でしたが……いつものように介護タクシーさんにお願いして病院に行って無事帰ってきましたでは、早速今日の検索結果を
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)前々から、1度動画とは別で腫瘍の変化を時系列でまとめたいと思っていたので……2015年夏ぐらいに腫瘍が皮膚に飛び出てから2020年4月現在に至るまでを簡単にですが写真と共に並べてみます腫瘍が皮膚を突き破った日の話&写真はこちらの記事に載せています↓↓↓そして2018年5月のこの日↓↓↓忘れもしない日から、腫瘍からの大出血が始まりますその時の母との韓国旅行の写真がコチラです↓↓↓2018年11月頃日本にて。もう、
昨日の1ヶ月検診でCTを撮ったと報告しましたが……2019年の9月末に病院にかかってからだいたい2~3ヶ月に1回のペースでCTを撮って昨日で計5回目?だったと思います私としては放射線とか気になるし……できるなら年に1回も撮りたくない!って思う人なのですが笑こればっかりは仕方がない骨の状態を確認しないと次のステップにはいけないし……ガンの状態もちゃんと見ないと私の場合、命に関わってくるので……もう今や、まな板の鯉状態で(°∀°ミэ)ЭCTのとこまで大人しく運ば
この記事はコチラ↓↓↓の続きになります乳がん告知され標準治療を選ばずに免疫療法で治すと決めた私とそれに理解を示し応援してくれた母その2年後には"標準治療無しには腫瘍が小さくなることはありえない。"と、お医者さんに言われた私の腫瘍が半分以下まで小さくなりましたそして、このまま消えて無くなるだろうと同じように免疫治療を続け……乳がん告知され4年の歳月が経った頃……ガンとの生活にも慣れとくに、腫瘍がある以外はガン告知前より健康になっている感じ……(風邪などほ
最近、以前考えていた目標を少しずつこなせてきたので……✨今日、新たな目標を考えてみました!!そして、この私の目標をいつも応援して下さっている皆さまに分かち合いたいと思います!↓↓↓◻️新たなジャンプ写真を撮るっ▷▶︎▷多分、これ骨が完全に強くならないと危険すぎるやつ。笑◻️寝返りをうつ▷▶︎▷今は布団を、はさんで少しの間横向きキープが限界それでも、これもかなりの進歩!✨◻️スタバの店の中で過ごす▷▶︎▷こんな風に今はまだドライブスルーが限界だから次は、お店の中で写
今日は、私の記念すべき日!約8ヶ月ぶりに自宅のお風呂場でシャワーをあびれましたーっ(浴槽には、まだです!お風呂場でシャワーです)自宅でなければ、約半年前にホスピスで入浴介助機?みたいな機械を使ってお風呂に入ったのですが……その時は、大分痛みも取れつつあったものの…まだ椅子に座ることもしんどくストレッチャーに防水シートを貼ったクッションなどで身体を支えて、ほぼ私は動かず……というか痛みで動けずそのストレッチャーのまま入浴室に入り頭からつま先まで看護師さん2人が
私が乳がん告知されてからの8年間。民間療法から始まり現在、標準治療するまでの私の想いは、このブログでよく話して来ましたが……その時、私の家族はどう考えて(うちは、母子家庭なので、私の場合主に母との関係の話になると思います。)どう話し合いをしてきたのか?などは、今までお話ししてきませんでしたこれは、この話をしたくないとかよりどうしても、この話をすると私だけの話でなく母の話にもなってくるかと思うのですが……その場合100%、母の想いは分からないので無責任に話せな
"親の死に目にも会えない覚悟でいろ"私は17~20代前半までのアパレル販売員時代そんな上司の言葉を本気で受け止めて仕事をしていましたその時の私の生活は朝6時に起きて準備して終電ギリギリで帰宅して寝るのはいつも夜中の2時とかでした休みも週に1回あるか無いか…そんな働き詰めの毎日。だから、朝メイクしながら途中、意識飛んでるなんて、日常茶飯事でした。笑私が働いていた、お店は全国的にも人気で有名なお店だったので毎日絶え間なく店内はお客さまで溢れていて体育会系で真っ直
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)今日は、1ヶ月検診の為朝から病院に行ってました!そして!!2019年9月末の余命宣告からの約1年後の今日!初めて介護タクシーじゃなく母の車に乗って母と私だけで通院することができました~!!✨今までは、自分で移乗も車のシートにさえ全身の痛みとか動かせなくて出来なくて介護タクシーさんにお願いしていたけど……(その様子はコチラ↓↓↓)『骨転移した私の【移動手段】』2019年の9月末の余命宣告時に私は肺の転移やリンパそして、
この記事は、こちらの↓↓↓続きになります↑乳がん告知から2年目28歳の時仕事も何もかも乳がんが気になって思う存分できない…そう思っていた、この頃とにかく色んな所に行って誤魔化していました↑友達とマクロビのレストランにてよく友達と会って出歩いて遊んだり……私の大きな転機は30歳なる直前くらい腫瘍が皮膚から飛びでてきてそれに伴い今まで一切無かった腫瘍の痛みを少しずつ感じるようになりましたちょうど実は…元々の私はで書いた時期でここに書いてるようそんな時に一世
よく深刻な病気になったら"この病気が癒されますように"と願う人が多いと思う私は少なくとも乳がんが発覚した後は毎日切実に願っていたと思うでも今はそうじゃなくて毎日"癒しをありがとう私は癒しを受け取ります癒された者です"て声に出して宣言してます笑何が違うかっていうと"癒してください"と願う=癒されるかもしれないし癒されないかもしれないまだ起こってない出来事だからどちらになるか確信がない状態でも"癒されました。ありがとう"はもう完了した感じなんなら完
この記事は26歳で乳がんになった私と、母との歩み[前編]と、こちらの記事↓↓↓の続きになりますその後、ついに私は歩くこともままならず24時間介助が必要な状態になってしまいますこの時、大出血を繰り返し輸血が必要になり病院に輸血をお願いに行く度に標準治療を受けてないという理由で血が無く今にも倒れそうな私を輸血してくれずに帰すお医者さんを目の当たりにし……ただでさえ、頑ななだった私の心は更に頑なになりつつありましたそれでも、その頃からお願いし始めた訪問看護の看護師
先日この記事で、私に勇気をくれた人を紹介させていただいたのですが↓↓↓これを見た、読者の方から"こんな人も、居るよ!"と、教えて頂き、ただただ感動して凄い勇気をもらったので紹介させていただきますニック・ブイチチ(NickVujicic)1982年にオーストラリアで生まれテトラ・アメリア症候群によって誕生の時から両手・両足がありませんでした一時は、自殺を考えるのですが両親の愛を思い出し、とどまりますそんなある日、ニックさんの母が重度の障害を抱えた人の記事を読みそれ
今の私は、基本自分が乳がんだということを隠す事は無いのですが……(もちろん必要以上にも言わないですが)以前の私は、極力親しい友人や知人を除いて自ら乳がんだと言うことを避けていたように思いますこの時の心境を思い返した時に自分でも、これ!と、いう絶対的な理由は分からなくて……ただ、言えるのは必要以上に乳がんを隠さずありのままの自分を言えるようなった今はとても心地よく、生きやすい!そう思えますそう考えたら……以前の私は、乳がんの自分を受け入れているようでどこか
ミミポポと読者の方へまずは出会った時の話から…ミミポポとは16才の頃、イベント関係のお仕事で一緒になったきっかけで仲良くなりました。出会った時から、ミミポポは本当に自分にストイックで、私からみていてしんどく無いの?って思うくらい真面目で純粋で、妥協もしない。そんな女の子でした!ギャルやのに笑また、出会って間も無いのですが親元を離れて暮らす私の家で一緒に住む事になり、私のお誕生日に文鳥とミミポポがやってくる事になりました!まさかの文鳥プレゼントと言う凄いサプライズをサ
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私が乳がん告知された26歳の時腫瘍は約1.5cmくらいほんと、パチンコ玉みたい…(パチンコした事は無いけど何かそう思いました。笑)そんな感じでしたもちろん、腫瘍は皮膚の中にありましたその2年後の28歳の時私の腫瘍は6.5mmぐらいになり半分以下に縮小しました。それから更に2年30歳手前ぐらいまではほとんど変化なく痛みなどもなく……腫瘍の変化がほとんど無く過ごしてきて変化を初めて感じたのが30歳になる手前くらいか
"頭では喜ぶって分かっていても心をそっちに持っていくのって難しくない?どうやってる?"って今日、看護師さんに(訪問看護師さんに来てもらって介助を手伝ってもらっています)聞かれて"……いや、それ正に私が知りたい!笑"それ今朝から考えてた!自分がいつもどうやって心切り替えてるのか自分でも不思議だったんです笑笑しかも今新しい薬使う直前で少し不安がある状態……どうせ飲むなら"私は絶対これで良くなる"って思って飲みたい!あの、心から"私は大丈夫。"って根拠のない
(※この記事には腫瘍の写真&プロモーションが含まれます。ご了承の方のみお読み頂ければ嬉しいです)心の休息を経て……その間の出来事、2つ!皆さまに報告したいことがありますーー!(今日zoomあと。タレがカメラスタンドに恐がって来たいのに近づけない様子最後諦めてポンに求愛しだしました。笑)①つめ▷▶︎▷実は!!先週の今頃、、ついに……!!腫瘍部分が全て干上がりましたー!!18日前→2020年6月26日現在かなり写真では分かりにくいけど……分かりますでしょうかーー笑18日前
私が乳がん告知されてからの8年間で1番辛かった日々…。骨転移が進んでいたであろう2019年7月頃~10月頃がピークの時期寝れなかった辛さについてコチラの記事で書きましたが…↓↓↓同じように朝、起きるのもその時の私には苦痛で…いつも寝ると同時に朝を迎えるのが、恐ろしくさえ感じていましたというも、、身体中の痛みで歩くのもままならなかった時もう、私は自分でベッドにもたれることもできずもちろん、起き上がる事も出来なくなっていましただから、ベッドにもたれる時はリク
今日は、木曜日!ということで、最近毎週木曜日に来てもらってる理学療法士さんとリハビリとかチェックの日でした今日は、いつも通り姿勢や、普段の動きを確認してもらって……以前コチラの記事でもできた!と報告した↓↓↓『【全身骨転移】また回復できたこと✨』今日は、木曜日!!ということで理学療法士さんが来てリハビリの日でした元々、理学療法士さんに来てもらうことになったのはコチラの記事にもあった↓↓↓『【骨転移】皆…ameblo.jpうつ伏せの、おさらいをしたりしました1週間前と比べ
乳がんになって何度も直面してきた落ち込むこと。癌を知ったとき。期待と裏腹に悪化したとき。お医者さんのネガティブな言葉。痛みで心が折れそうな時。なにより、自分の癒しを信じれなくなったとき私はこの時が1番しんどいだから、こういう時に私はマインドを"喜ぶこと"に持っていくようにします。というか、したい。笑もちろん今目に見えてる状況は良くないかもしれないけどまずは喜ぶ!!無理矢理であっても笑だって泣いて嘆いても状況は変わらない。それなら絶対自分は
今日は、木曜日!!ということで理学療法士さんが来てリハビリの日でした元々、理学療法士さんに来てもらうことになったのはコチラの記事にもあった↓↓↓『【骨転移】皆で計画ミーティング✨』こんばんはミミポポですっ今日は夕方から再び病院に行ってきました!……その目的はというと私の目標達成の為の計画ミーティングの為です!✨もっと詳しく説明すると………ameblo.jp私が決めた"再び歩く"という目標に向かっていくなかで今、まだ左大腿骨が1/3なくて骨待ち中の、左荷重禁止の中でもできる
私は2019年9月末病院で余命宣告を受けた時点で全身骨転移していて特に左大腿骨の付け根部分が約1/3溶けていたことにより左脚荷重禁止になり今に至る約7ヶ月間病院に行く以外は外出せずに家の椅子かベッドで安静にして過ごしていますそして、今世の中はコロナによる影響で動ける人まで自宅待機を要請され家で大半を過ごされる方が多くいると思います私は以前から自宅待機していたような状態なので…笑生活の過ごし方に大きな変化はなく過ごしていますが……いきなり、自宅待機を強いられた
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)今日は、朝から1ヶ月検診でした!前回撮った骨シンチの検査結果も整形の先生から報告される日でもありました!✨そして、前回の検査からこちらの記事で話したような↓↓↓『乳がん末期の私の【CT検査の変化】』昨日の1ヶ月検診でCTを撮ったと報告しましたが……2019年の9月末に病院にかかってからだいたい2~3ヶ月に1回のペースでCTを撮って昨日で計5回目?だったと…ameblo.jp最初から最後まで回復室のベッドで処置や問診をしてもら
私がガンになって、やめたこと末期ガンになって、ようやくやめれた事がありますそれは……"完璧を求めない"ということですガンになるまでの私はいつも完璧を求めていましたそれも、無意識に!そもそも完璧って何だろう??いつも目指すところがあってそこに到達してもまた目標が出てきて追いかける車輪を転がすハムスターみたいにどこまでも、どこまでも突き進んで結局、どこまでいっても満足出来ない!そんな風になってしまう……以前の私は、そうでしたいつも、何かを目指していていつ