ブログ記事17,493件
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨードの続きになりますこの頃の私は腫瘍が大きくなりすぎて厚みは6cm……約人差し指1本分皮膚から腫瘍が飛び出していました腫瘍の厚みと重さが凄すぎて胸を伸ばして寝ると血管が切れて、出血しそうで……平らなベッドで寝ずにソファに傾斜をつけて寝るようになりましたこれは、普段から"後悔とかしても意味ない"と考える私も後々後悔せずにはいられませんでした
もともと病気を知る前の私はアパレルで販売員を17歳から病気を知った26歳までずーーーっと本当に仕事人間でしたどれくらいって仕事第1で"親の死に目にも会えない覚悟で居ろ"って上司に言われてそれを覚悟として受け止めてるくらいでしたそして体調悪くても、熱があっても休まない。てか休めない。なんでって……"まだ倒れてはいないから"そんな事本気で思ってました今、思えば本当にありえないのですが笑どこかで聞いた話"癌になった人はガンばりすぎた人"これを聞いた時凄く納得
以前も少し書いたことがある"私が手術をしなかった理由"今でも、たまに聞かれる事があるので今回詳しく書いてみようと思います1番最初、乳がん告知当初はお医者さんの言うがままに手術しようと思っていましたでも、そんな時のお医者さんの"手術終わったら今まで通りしていい"と言う一言で"え?癌なのに?風邪でも安静に栄養とってとか言うのに?癌は血液病で特に乳がんは再発が命おびやかすのにこのままでいいっておかしくない?"と、疑問に感じたのがきっかけですその後、一旦手術の予約して
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれますこの記事は前回の私が今まで選んだ治療①色彩療法の記事の続きになりますちょうどこの頃の私の状態は出血も激しくなって外で大量出血したら命が危ないのですが……それでも大量のガーゼを持ち歩いてなるべく車移動とかで動いてましたこの時ぐらいからケトジェニックの食事療法をしていたので外食はままならないのですが……それでもこんな風にカフェに行って私はお茶だけ飲んだりしてました笑そして色彩療法にも限界を感じてた頃知った
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨード私が今まで選んだ治療③テラヘルツの続きになりますこの頃辺りから今までで1番しんどい時期になりますテラヘルツ治療で腫瘍は小さくはなったものの……毎日大出血で常に貧血で息するのもしんどいもう1人では歩けなくて誰かに支えられないと歩けないすぐ近くのトイレに行くのも激痛で両杖ついて泣き叫びながら10分くらいかけて行くもう座っても寝ても激痛でも
この記事は33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[前編]33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[中編]の続きになります時間と共に良くなると思っていた腰。これが中々思うように良くならず…それに伴って、いきなり介助が24時間必要になり家族も大慌て。髪の毛は洗えないまま10日の時が過ぎましたもう、身体も、精神的にも限界だった頃訪問看護の方達に来てもらう事になりました初めて訪問看護の方に来てもらった時……その時の私はしんどすぎて腰だけじゃなく足なんか左太
今は前向きに乳がんの自分を受け入れて……でも乳がんは私に必要無いものだから"必ず癌は私の身体から去る!"と確信して恐怖もなく生きれている私ですが……最初乳がんを知った時の恐怖は今でも忘れられません正確に言うと恐怖が強すぎて記憶もあいまいになるぐらい。(人間、痛みが強すぎると、生きていく為にその痛みを忘れるというけど、それと似た感じ)だから今となってはその時の恐怖を実感はできないけど……どれだけ絶望して恐怖したかは覚えています最初のきっかけは胸の小さ
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私は、右胸に乳がんがあって26歳の乳がん告知から約4年後の30歳くらいから少しずつ右胸にあったしこりが胸の表面に出てきて気づけば私の右胸には自分の握りこぶしを超える大きさの腫瘍が飛びでましたなんで、そんなになるまで居たのかとか、、それには色んな理由や状況が重なったとは思うけどでもやっぱり後悔することも沢山あって……でも、あの時の私は勿論放っておいた訳でもなくあの時の私なりには無我夢中でやれる事をしていたんだけど
私が癌になって約8年その時から沢山の食事療法を試して色々、知識と共に変わったけど…結局、コレだけは絶対食べないと変わらないもの。それは砂糖ですこれは白砂糖だけに限らず蜂蜜やメープルシロップ、甜菜糖などの甘味料も含みますもともとチョコレートとかプリンやケーキが大好きだった私は最初糖分断ちするのは本当辛かったけれどしんどいのは最初だけで止めてしまえれば今度少しでも砂糖とか入ってたら"うぇっ甘っっ"ってなってむしろ気持ち悪くなった多分これは、以前の私
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます今日は1ヶ月検診で朝から病院に行ってきました!イブランス1クール目の検査結果も見て今後の治療方針も確認しました{本題に入ります…{ピ…まず、今日したのは採血(血液検査)ランマークの注射(骨を強くする為)ホルモンの注射(お尻に2ヶ所)です{チューシャイッパイ…まず採血の結果!先月から始めたイブランスこの1番の副作用が白血球の低下なんですけど…2週間目の時に少し下がったけどそれもイブランス使用した割に全然下がっていな
私の腫瘍が皮膚から飛び出して来たのが2016年30歳ぐらいの時今思うと自分でもビックリなんですが…というか"バカだったな~"てつくづく思うのですが……最初皮膚から腫瘍が出てきたのを"あ、外に腫瘍が出たのは中で広がらずに身体の外に出してくれてるんだ"そう思いましたその後すぐに、これは悪化だと気づいたのですが本当にこの時の私は身体を見る方向が偏っていたように思いますだから今はその失敗を反省して偏った見方に捕らわれないようにと思っていますそして、腫瘍が飛び出
よく深刻な病気になったら"この病気が癒されますように"と願う人が多いと思う私は少なくとも乳がんが発覚した後は毎日切実に願っていたと思うでも今はそうじゃなくて毎日"癒しをありがとう私は癒しを受け取ります癒された者です"て声に出して宣言してます笑何が違うかっていうと"癒してください"と願う=癒されるかもしれないし癒されないかもしれないまだ起こってない出来事だからどちらになるか確信がない状態でも"癒されました。ありがとう"はもう完了した感じなんなら完
ブログでもたまに紹介する私のグローバルな家族何かハーフでも無いしでも、どう見ても外人が居る笑笑{アソコニイル不思議な家族構成だと思われた方も少なくないはず実はここに至るまでちょっとばかし複雑な家庭環境だった方かもしれません私が3歳の時に母は私の実の父親と離婚し私が6歳になる前に再婚しましたその人は私の育ての父親となり私が16歳の時母と育ての父親が別居するまでずっと一緒に暮らして来ました私は育ての父親にいつも気を使っていて父が家にいる時いつも窮屈で
先日私の記事をアメバのトピックに掲載して頂いたようで沢山の方のイイねやフォローを頂きありがとうございますこれからもつたない文章ですがありのままの私を飾らずにお伝えできればと思います!こんなミミポポを今後ともどうぞよろしくお願いしますっ(↑この時の私は既にいつ出血してもおかしくなくて常に大量のガーゼを持ち歩いて…それでも大好きなスタバに行っては腫瘍を気にしながらも友達とお茶していました笑)そんな訳で……飾らずに……私の今の日々の過ごし方を書いてみようと思います笑
私は、2019年の9月末から標準治療を受け始めたのですがその頃は、今以上に自力で動く事が出来なくていきなり24時間・介助が必要になり仕事をしながら母やニコ、母の知人が代わる代わる傍に居てくれましたけれど、いつまで動けなくて、いつまで私は、24時間介助が必要な状態が続くのか…?母子家庭の私の家は母が働かない訳にもいかない……そんな中、看護師さんに勧められたのが"ホスピスの病院"でした"いざ、家族で看れないとなった時の為にホスピスを体験しておくと緊急でも入り
本当に自分の限界を越えてしんどすぎた時本能的に生きるためなのか……痛みの記憶を消すような感じで……普段は忘れてる事がありますそれが私にとっては2019年9月末にされた余命宣告の前後によくあるのですが……昨日、訪問看護師さんと話しててまた1つ思い出したのが余命宣告前"精神的に崩壊しそうになった"という事でした精神崩壊しかけた〜!と今なら笑って話せる話"その体験を是非ブログで書いて!"という話になり……なので今日、少しずつ思い出しながら書いてみようと思い
※閲覧注意※この記事は、腫瘍の動画が含まれます今日は今、使用してるイブランス2クール目の2週間ごとの経過観察の為朝から、病院行ってきました採血だけした結果……ほぼ、2週間前と変わらず特に悪くなってるとこもなく順調との事でそのまま続行になりました!けれど!腫瘍は更に2週間前より小さくなり身体中にあったしこりも全部小さくなってて!中には、もう触った感じでは無くなったものもあります!とにかく、そんな感じで順調で良かった良かったーそして!題名にも書いた私の腫瘍が大き
2019年9月末"このままだと年は越せない"と私はお医者さんに言われましたその時の私の状況は……身体中が痛くて寝るのも苦痛痛さ、しんどさで泣き叫んで寝れない毎日座る事も痛いし自分で身体を動かせないし起こすこともできないから1度座ったらポジションを変えれずいつも痛いソファとか柔らかい所には座れない少し硬めの椅子にクッションやタオルを置いて座るだからリラックスなんて24時間1秒も無いベッドに寝ても寝返りできない腰が痛くても自分で動かせない本当に人形みたい
いきなりですが……私は癒されたら韓国に住みたい笑実は24歳くらいの時に初めて韓国行ってから多分20回近くは行ったくらい韓国が好きです何が好きって韓国のセンスが好き!いちいち可愛いしスタイリッシュなお店が多い食事も好き!辛いもの好きの私としては最高ですしかもオーガニックとか無添加とか日本より断然意識が高い!こんなオシャレで身体に優しいお店がいっぱいあるここは砂糖無し乳製品なし化学調味料なしグルテンフリー卵なし他にも色々なしがあった忘れた笑と
普段、私はブログで自分の日常を載せたくない。というより"誰が私の日常に興味あるねーん"的な感じであまり載せてなかったのですがコメントで同じ乳がんの方から"ミミポポさんの今の日常を見せてくれたら参考になるので嬉しい"と、温かいお言葉をもらい"確かに……いつもありのままの私を。と思ってブログを書いてるからそういうのも書いてみよう!"と思い…{アリガトゴザイマス!前置き長くなりましたが……早速、今日の私の日常を書いてみようと思います!とりあえず今日の私です
この記事は26歳で乳がんになった私と、母との歩み[前編]と、こちらの記事↓↓↓の続きになりますその後、ついに私は歩くこともままならず24時間介助が必要な状態になってしまいますこの時、大出血を繰り返し輸血が必要になり病院に輸血をお願いに行く度に標準治療を受けてないという理由で血が無く今にも倒れそうな私を輸血してくれずに帰すお医者さんを目の当たりにし……ただでさえ、頑ななだった私の心は更に頑なになりつつありましたそれでも、その頃からお願いし始めた訪問看護の看護師
"痛いのは生きてる証"私が癌の痛みに痛がって泣いて耐えてる時に何度か言われた励ましの言葉たとえ痛くてもまだどこか身体や心に余裕があった時はポジティブに捉えれたし"確かにね〜"って、痛いながらも笑えた話でも……33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[後編]にも書いたようにここまで身体中が痛くてしんどくて……もう気が狂う寸前までいった時痛みで泣き叫ぶ私に"痛みは生きてる証だよ!"と言われた瞬間……"そんな生きてる証いらない!何で?!生きてる証に痛みが必
よく病気になってから"病気になって良かった"と前向きな人の言葉で聞くことがあります多分、病気になって色々気づけたから。変われたから。成長できたから。とかの理由が多いと思うのですが……実は私自身もそう思っていた時期がありました最初、自分が乳がんだって知ったとき思ったのは"まさか私が?"そして少し時間が経つと……"なんで私なの?"と怒り、憤りが出てきて……その後病気に向き合って必死に戦いだして……その時は"病気になって良かった"そう思ってました。
こんにちはミミポポですっ昨日は、コチラの記事の↓↓↓『【1週間献立】&ご相談があり〼』こんにちはミミポポですっ今日は、我が家の1週間献立とこのブログを見て下さっている方々にご相談があります!✨では、まずは1週間献立をどうぞ♡私の今の食事への考え…ミミポポnote+26歳で乳がんになったわたしzoomのご相談について沢山のご意見ありがとうございます!✨前向きに検討しようと思ってますのでまた、考えがまとまったら報告させて頂きますね!✨そして随時、ご意見募集してますので良かったら
私が乳がん告知されてからの8年間で1番辛かった日々…。骨転移が進んでいたであろう2019年7月頃~10月頃がピークの時期寝れなかった辛さについてコチラの記事で書きましたが…↓↓↓同じように朝、起きるのもその時の私には苦痛で…いつも寝ると同時に朝を迎えるのが、恐ろしくさえ感じていましたというも、、身体中の痛みで歩くのもままならなかった時もう、私は自分でベッドにもたれることもできずもちろん、起き上がる事も出来なくなっていましただから、ベッドにもたれる時はリク
こんにちはー!ミミポポです今日は、2週間に1回の血液検査と2ヶ月半ぶりのCTを撮りに朝から病院に行ってきました✨今日の主な検査内容は……◻️採血▷▶︎▷白血球の数値をみて薬をもう一週間続けるか、休薬するかの見極め◻️CT▷▶︎▷血液検査では分からない骨や転移部分などの確認◻️主治医&整形外科の先生の問診でしたっその、検査結果は……いたって、良好でしたーー!✨昨日のブログでも話していた大腿骨や股関節の違和感と痛みで動かしにくさは、あるものの……CTで見た感じでまず
26歳の時に乳がん告知されその後、私なりに色々勉強して今では、口に入れる物の重要性を知ったけど……それまでの私の食生活や生活習慣は食事療法を主に診ているお医者さんに"ガンになる為の食生活や生活習慣だ"と、言われるくらい悲惨なものでした💦今日は、そんなふうに言われた乳がん告知当初の私の食生活や生活習慣のお話をしようと思いますちなみに、そのお医者さんに特に良くないと言われた部分をご紹介します!というか、ほとんどなのですが……笑(※この食生活や生活習慣の為にガン
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)以前コチラの記事で腫瘍の変化を時系列でまとめたので↓↓↓余命宣告前~現在に至る"自覚症状の変化"を主に、まとめてみたいと思います(↑2019年1月。歩けなくなる3か月前)身体が動かなくなり始めたのは腫瘍が1番大きくなった頃↓↓↓▷2019年4月末~:骨転移当初(厚みは、私の人差し指1本分。約6cmほどあり縦の長さは11cmを超えてました)✓...治療法:コロイドヨード✓...出血が酷く出血多量で救急車で運ばれることも
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨード私が今まで選んだ治療③テラヘルツ私が今まで選んだ治療④BlackSalveの続きになりますこの頃からもう家の中を自力で移動もできなくなり部屋の段差も足が上がらないから越えられないもう誰かの介助無しには生活出来なくなってある日、訪問看護の方に来てもらうことになりましたそして私の状態を見て1度病院に行く事を勧められ……私も血がなくてフラフラ
33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[全編]から3日間にかけて私の今までの人生で1番しんどかった時期を書いたので気分を変えて私の今までの人生で1番笑える時期を書きたいと思います笑笑本当、今回はただのネタ話という感じなのですがただ、この時も含めて今の私に繋がるので……ただ興味のない方にはあしからずです…{スミマセン実は10代の時の私はギャルサーというものが絶世期で(年代が違う方には分かりにくいかもなんですが、、当時、パラパラやトランスなどが流行っていて