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50年前の出来事実は、その霊的な問題の発端は、今から50年程前に遡ることになります。私がやっと物心(ものごころ)が付き始めた頃だったと思います。自宅から見て、南側の道路を一本挟んだその敷地には、50年程前までお稲荷様の祠(小さいお宮)と、5~6本ほどの御神木と、コンクリートで蓋をされた二つの古井戸があったのです。ところがある日、ご神木が全て切り倒され、お宮は取壊されて古井戸に投げ入れられ、敷地一面に砂利が敷き詰められ、完全な更地にされてしまったのです。
今日の一読は「誉田別命(ほむたわけのみこと)」です。息長帯比売命(神功皇后)の子どもで、神功皇后が新羅を攻めた時に、すでにお腹の中にいて、帰路に生まれたようです。武神とされていましたが、天皇即位後は朝鮮半島からの渡来人を多く受け入れたとして、好戦的な印象はありませんでした。「神としては八幡様の愛称で知られている。八幡大神は誉田別尊の神霊(死後に神になること)で、第29代欽明天皇の時代に大分県宇佐の地に初めて示顕した。のちに源氏の氏神として崇められることでその名が知られ、武芸や弓矢の神として
5月13日火曜日、鹿児島県は霧島市にいます【止上神社鳥居】霧島町蒸留所から県道60号線を南下、15分約10キロほど走ったところで『止上神社(とがみじんじゃ)』の看板を見つけました県道から近くだったので行ってみました朱色の鳥居をくぐると石製の鳥居がありましたふむふむ、なるほど、ふむふむ止上神社囎唹郡惣鎮守六社大権現と称され、祭神は六座、日向三代の神である。創建の年月は詳らかでないが、社記によれば、景行天皇の御宇日向の隼人が叛き天皇親から征伐された時、六所権現の霊神