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日本一の縄割り奉行(黒田官兵衛)と石工集団(穴太衆)!「福岡城の石垣①官兵衛と左助」の続きです。福岡城下ノ橋御門の石垣福岡城の築城に当たって、縄張りを担当したのは黒田官兵衛如水と初代藩主の黒田長政の親子。そして、普請奉行を務めたのが野口左助一成(のぐちさすけかずなり)。左助は官兵衛から優秀な石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」を預かっていた。穴太衆(あのうしゅう)は全国の主な城郭
始めにお断りをしておきます。長文ですので、時間を惜しまれない方が、じっくりとご覧下されば幸いです。とある人が、とある投稿で「かんろだいを作製していた石工は金を持って逃走」と書いてありました。『ほんまかいな😯』と思い、調べてみたが、そのような内容を見つけることは出来ませんでしたが、調べてみたお陰で、『ホォー🤔』という、貴重な資料が見つかりました。2017年、おやさと研究所の深谷忠一氏が「かんろだいの石ふしん」について述べられており、興味を引きましたので、抜粋いたします。こういっちゃなん
0277移築復元玉江橋(たまえばし)鹿児島県鹿児島市浜町1-3石橋記念公園内甲突川に架かっていた石橋橋長:50.7m幅員:4.0m架設年:1849年建設費:1,560両石工:岩永三五郎氏型式:4連アーチ橋壁石:二重アーチ、扇積み石橋記念公園は年に数回訪れる場所ですが、この1基だけがまだ要石拱頂部の刻印を確認していなかったので、撮影に寄りました。川床の泥土はかなり柔らかいので、めり込まないように周り込んでの撮影になりました。場所によっては膝上まで潜り込みそうで
・・・・・すずめ踊り職人(笑)先生!すずめ踊りの衣装ってどうして・・法被なんですか?法被の方がハッピーだからね〜♫・・こりゃ失礼。それでは今回もちゃんと・・説明しましょう。すずめ踊りの由来は政宗公が青葉城(仙台城)を建てるとき大阪の堺から石垣づくりの職人を大勢呼びました。そして彼らが踊っていたのがすずめ踊りの原型とされています。当時の職人は股引・腹掛・法被(半纏)の姿が仕事のスタイルでした。今でも植木職人をはじめ職人と言われる人は法被を仕事着として使用している人は多い